先史遺物《アーティファクト》と蒼い星

筏田蜜虫

第1話 狼と蒼い星 1

2050年、人類は地球から文明を棄てた。

進みすぎたカガクはこの星を汚し、ヒトが暮らせない程に壊してしまったからだという。

そしてヒトは、この星に贖罪することなく空へと上がったのだと伝えられている。


「まぁ、俺には関係無いんだけどね」

外套で頭を覆い少し長い前髪から蒼い目を覗かせた150センチメートル位の少年は、乱立する木々を縫うように前に進みながら独り呟くのだった。

「ふう」

少年は木の根本にポツンと落ちている少し大きめの岩の上に腰を掛け前を向いた。

そこには森に飲み込まれ見るも無惨な姿となった建造物が眠っている。

朽ち果て風化した石材は、巻き付く木々の重さすら耐えられなくなり居住空間の名残をわずかに残し横たわっている。その中に一つ目立つ物がある。まるで空を刺すように上に伸びた建物だ。そこが少年の目的地である。上を向くと生い茂る木々の隙間からでもその物体を認識できる。それほどの存在感がそれにはあった。

「お日様が高いうちに着かないとな」


ウル森林遺跡。そこは森の中にあるにもかかわらず、どこか乾いた風が吹き、常に土埃が舞って立ち入る者を毛嫌いしているような気がする。


「そろそろ歓迎してくれないかな」

そんな事を考えていると、

「アルエー」

自分の名を呼ぶ少女の声を聞く。

「やべ。シルカだ。」

アルエは近くの木によじ登り息を潜め、自分の名を大声で読んでいる少女を探した。

「いた」

アルエがもといた場所の南側200m位だろうか。

背の高い草の群生地をかき分け進んでくる

自分よりも10センチ位背の高い桃色の髪の少女を見つけた。

「相変わらず目立つよな、あの髪。見付けやすくて助かる。」


もうすぐシルカという少女は彼が休んでいた場所につく。

真上を向けば目的の少年は簡単に見つかる。

しかし彼女は

「アルエー。どこー。いるんでしょ、返事してよ」

どこか心細そうな声で周囲を見渡し、真上にいる少年の名を呼んでいる。

「もしかして、遺跡の中に入っちゃったの…」

そう呟くと逡巡し、意を決したように、少女はウル森林遺跡の奥へと進んでいった。

「バカだな。どんくさいくせに」

アルエは木から飛び降り彼女の後ろをそっと付いていくことにした。


旧時代の遺跡

足を踏み入れては行けない禁忌の場所。

おばば様からはそう言われている。

なぜ禁忌なのかは教えて貰ってない。

ご先祖様からの言い伝えだそうだ。

危ないからって皆言う。

集落の皆もたぶん何も知らないんだと思う。


侵入者を拒むように牙を剥く棘道。

気を付けていても、いつの間にか傷ができている。

「アルエを見つけないと。」

その使命感だけが震える彼女の背中を押す。

「早く出てきてよ。」

そんな事を思いながら、精一杯彼の名前を呼ぶ。


陽光の届かぬほど大きく育った木々の中にある薄暗い遺跡。

「禁忌なのだからきっと恐ろしい場所なんだろうな。」


薄暗い森に横たわる石塊と化した建物群。その奥へと進むと少し開けていて日が射す場所へ出た。

眩しさで細めた目をゆっくり慣らし、目の前にある異様な何かを確認する。

ウル森林遺跡の中心部。そこにあったのは一棟の細長い建物、<ビル>。先史時代と言われる昔の時代の建築物だ。


「うわぁ」

地面から見上げるそれは太陽をちょうど背負い、とてつもない圧迫感を覚えさせる。


しかも

異様なのはそこだけじゃない。

ビルに寄り添うように大樹が生きていた。

村からは離れていて見えなかったそれは

根が、幹が、ビルに螺旋状にピッタリと巻き付き屋上部分から無数の枝を伸ばしている。


「これってビルだよね。おばば様が話してくれた 。」


どのくらいの月日が経ったんだろう

神秘的だな。けれど少しだけ怖い。

複数の感情が交錯しているであろう彼女がまず吐いたのは


「大きいなぁ。」


能天気な感想だった。

あるいは、それ以外の言葉が出せなかったのか。


「いけない、早くしないとお日様が居なくなっちゃう。アルエのことだもん、きっとこの中だよね。」


シルカは駆け出そうとした。

が、すぐに立ち止まった。

見に覚えの無い寒気に、体中が総毛立つ。


「誰か居るの?」

問いかけるも返事がない 。

しかし、漂う空気はあきらかに異質。

本能が進むのを拒絶している。

鼓動が早くなり、全身から汗が噴き出す。

永遠に近い一瞬が過ぎてゆく。

足が震え、自然と立ち止まる。


がさっ!

茂る木々の隙間から全長3メートルは優に超すほどの大きな熊が現れた。


「うそ…」

突然の出来事に怯えながらも、熊から目を離さず、後ずさりしようと踵を引いた瞬間

「きゃあ」

シルカは地面を踏み外してバランスを崩し、大きく尻餅をつく。刹那、


ブォン!


さっきまで彼女が立っていた場所に赤褐色の太い腕は音をたてて空を切った。


お腹が熱い。状況を理解するのに時間がかかった。

見たこと無いほどの巨熊。

お腹の熱は自分の血だ。服と薄皮の少し下を裂かれた。一匹だけで他には見当たらない。まず立たないと。なるべく大きく見せなきゃ…。必死に冷静を装い錯綜する思考を纏めあげる。ふと、

(こけてなかったら、死んでたのかな?)

そのことに思考が至り、目の前の巨熊と目が会った時、シルカは全身を恐怖に縛り上げられた。

薄暗い森に巨熊の喉なりだけが響く。


「おぁ、あ、あぅ」


震える体から嗚咽の様な、声にならない叫びが漏れた。


しゅぅるるる


巨熊が息を吐き動き始める。ゆっくりと、ゆっくりと。

次は確実に仕留めるとでも言うようにシルカから目を離さない。獣が持つ独特の臭いがシルカの鼻腔から全身を犯す。

「どこにいるの」

自身の危機に漏らす息にはアルエへの心配が多分に含まれていた。

「アルエ」


ぐぅるるぁ


呟く名前は巨熊の叫びにかき消された。

巨熊が前肢が振り上げ、自身を仕留めようとしている。

現実逃避でもするように、目をギュッとつぶり、自然と体が縮こまる。目を開けた時には、私は生きていないかもしれない。

そんな、とてつもない恐怖の中でシルカは確かに聞いた。ここに来てから、ずっと探していた少年の声を。


「シルカから離れろよ、獣野郎!」

とても荒い口調にはミスマッチな、懇願のような響きのする声。それに少し遅れて、ピュッと顔の近くを何かが通り、ブチャッっと潰れる音を聞いた。シルカは自身を包む冷たい空気に少し暖かな風を感じ、恐る恐る目を開ける。

ウゥーン

目の前の熊は先程の地面に響く唸り声とは打って代わって、甲高い音を鳴らし、鼻先を地面に擦り付けている。

混乱しているシルカの背後から

「狼の糞玉だ。逃げるぞ、シルカ」

とアルエが近より声を掛ける。

「アルエ」

なんとか声を絞り出す。

「ほら、早く行くぞ。」

シルカの手を取り引っ張り起こそうとするが

腰が抜けて動けそうにない。

「しょうがねぇな。しっかり掴まれよ。」

そう言うと、背中と膝裏に手を回してシルカを抱えあげる。

「大きくなりすぎだ。また重くなりやがって」

なるべくいつも通りに、なるべくいつもより優しく、震えるシルカに声を掛ける。

「ごめん」

シルカはか細く震える声でそう呟いた。

全身にちょっとだけ熱が戻る。

「走るぞ。」

アルエはシルカに確認して精一杯駆け出した。


どのくらい彼の腕の中に居るんだろう。

もう、一日中抱えられている感覚だ。

だけどまだ感情が安定しない。

未だ虚ろなシルカにアルエが声を掛ける。

「あそこ、あいつの縄張りなんだ。

遺跡探検したいなら、そおっと回り込まないと」

アルエはシルカを抱えたままビルの壁際を走り、

熊と遭遇してから二回目の角を曲がった。

「ここまで来れば大丈夫だろ。あそこで休ませてくれ」

と、‹ビル›の一角に目を向けた・

あそことは、昔の高層建築物には必須だった非常階段。その踊り場だ。

小さな段差を、シルカを抱えたまま一歩ずつ安全に上に上がる。

そして、二階あたりの日が射す踊り場にシルカをゆっくりと降ろし、アルエは対面に座る。

踊り場と言っても大樹の根が絡み付き、赤錆特有の鉄臭さ等は微塵もない。もう、森の一部なのだ。

「ふぅ。疲れたな。大丈夫だったか?」

そう問いかけてくれるが、震えは収まらない

「何で」

シルカは対面のアルエにしがみつき沸き上がる感情を吐き出す。

「ん?」

「何でいつもいつもこんなところに来るのよ。なのに何で、来てるはずなのに何で私の後ろにいるの。バカ、バカ。怖かった。怖かったんだから。もう会えないと思ったんだから。なんでいつも私ばっか心配させるのよ。アルエ。」


泣いた。いつぶりだろうか。こんなに子供みたいに、我が儘に。言いたいことが沢山あって、でも、声に出した瞬間に違う感情に飲み込まれ忘れてしまう。だからまた同じことを言う。

自分でも何が言いたいのかわからない。

しかし、アルエは黙って聞いてくれる。

だから当たってしまう。甘えてしまう自分が、今、この瞬間に物凄く嫌いになった。


どのくらい経ったのだろうか。

少しだけ落ち着きを取り戻し、肩で何度も息をした。

「ごめんなさい」

とアルエの目を見ずに言った。

今まで黙っていたアルエは、

「ごめん」

とだけ言った。そして、自身が被っていた外套をシルカに預け、

「痛くないか?」とだけ聞いた。

「何でアルエが謝るの。もう血も止まってるし痛くないよ。」

シルカは外套を羽織ながら、無理やり笑って答える。

「そっか。今日は何でばっかりだな。」

アルエが笑いながらそう言うと

「それはアルエが言うことを聞いてくれないからでしょ。私の方がお姉ちゃんなのに」

とぷくっと頬を膨らます。

「悪かったって。1年に3日だけお姉ちゃんだもんな。」

「あ、その言い方はお姉ちゃんって思ってないでしょ。」

「そんな事ないって」

アルエの明るい声音にやっと緊張が溶けたのか、今日初めてちゃんと笑えた気がした。

「ついてくる?」

唐突にアルエが聞いてきた。

「ねぇ、帰ろ。ここは来ちゃ行けない場所だって言われてるでしょ。それになんか…」

「なんか、なに?」

「なんか怖い。アルエがどこか遠くに行っちゃう気がするの」


本心だった。得体のしれない何かに出会った時、本能が拒絶する。臆病とは人間という生物の強さだ。


「バカだな。どこにも行かないよ。」

「でも、やっぱり…

ねえ、何でビルの上に行きたいの?」

「ここはビルって言うんだな!?」

「うん。おばば様が先史時代の縦長の建物がそう呼ばれてたって。」

「そっか、ビルか。俺もちゃんと聞いとけばよかったな、おばばの話。…なぁ、シルカ。」

「なに?」

「この上からは何が見えるのかな。」

「え?」

「俺が地面から見る世界って物凄く狭いんだ。背だってシルカよりも小さいし。けど、木に上ったらもっと世界は広くなる。シルカが見えないところも木の上の俺は見えるんだ。じゃあ、この一番上は何が見えるんだろ。俺が知る限り、ここは一番お日様に近い場所だ。」

「知らないよ、そんなこと。」

「一緒に見に行こう。」

「でも…」

「俺を守ってくれるんだろ、お姉ちゃん。」

「あっ」

それはシルカの口癖だった。

集落で一番年下の二人。

おばば様の孫娘のシルカ。

拾われてきた子のアルエ。

とりわけアルエは村で一番背が低くよく笑われた。だから、その度にシルカが言い返した。

「アルエはちっちゃくない。」と。

そして、アルエに言い聞かす。

「アルエはお姉ちゃんが守るから。」と


自分の事で精一杯だった昼下がり。

なぜ自分がさっき、あそこに居たのかを思い出した。


「俺はこのてっぺんに行きたいんだ。何も、何も怖くないから。シルカは?」

アルエはシルカの目をまっすぐ見つめ、そう問いかける。

「ずるいよ。」

アルエに聞こえないようにそっとこぼす。

「何か言った?」

「ううん、何も言ってない。しょうがないから、お姉ちゃんが守ってあげる。」

「ふふ、そっか。頼りしてるぜ、お姉ちゃん。」

「あ、今のは完全に馬鹿にしたでしょ。」

「してねぇって。」

二人だけの景色に笑い声が響いている。


フォーン

地面から少し離れた場所を陽気な風が歩いた気がした。

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