4 秘術透け透け大作戦

「……!?」


 い、いつの間に、俺の周りに?

 すぐには状況が呑み込めなかった。俺だけ時間を切り取られ、置いてけぼりを喰らったみたいな、そんな信じがたい感覚。


臨兵闘者皆陣列前行りんぴょうとうしゃかいじんれつぜんぎょう反閇へんばいにて貴様を囲う、六芒星ろくぼうせい奇門遁甲きもんとんこうは完成した」

「大人しく式神を返すのであれば、半殺し程度に留めてやる。さもなくば、死あるのみ」

「臨兵闘者皆陣列前行!」


 陰陽師らの詠唱が大きくなり、不穏な空気が辺りを支配する。背筋を這い撫でる悪寒。

 俺の頭上だけ暗雲が垂れ込めたように感じられ、不意に両膝を突いた。


『どうした、コラ』


 全身が気怠い。脚に力が入らない。なんだ、この、イヤな雰囲気は。


獅子吼法ししくほうの一、内陣金剛ないじんこんごうッ!」


 重苦しい気配を一喝する大音声。サナギが輪の中に颯爽と飛び込んできた。


「ちょっと追一、何捕まっちゃってんのよ情けない」

「な、なんとかしてくれ。力が」

「力が抜けるの? そういう結界を張ってるのね、きっと」


 サナギは平気らしい。お得意の獅子吼法ししくほうで体力の漏洩を防いでいるようだ。


「しょうがないわね……ホントは話し合いで潔白を証明したいけど、時間ないからここは強行突破でいくよ。ほら、アルティアとルキちゃんも、大人数相手に大苦戦してるし」


 歩道に眼をやる。遠巻きに集まる野次馬たち。こういうときに限って警察は来るのが遅い。

 二人の姿が見えた。向こうもこっちと似たり寄ったりの状況らしい。俺たちを包囲する陰陽師の付近にも、さっきまではいなかった全身ローブ姿の奇っ怪な輩が多数、様子を窺っている。

 怪しい連中は一通り見てきたつもりだが、この新たなローブ軍団はその不気味な佇まいにおいて眼を瞠るものがあった。ただ突っ立って、戦闘の様子を見守っているだけ。いや、見ているかどうかさえ怪しい。目深に被ったフードのせいで顔は確認できず、視線もはっきりしない。服の色調は一貫性がなかったが、地味な色合いだけは共通していた。絵本の中の魔法使いを思わせる容姿。

 あいつらも俺を盗人か逐電士と思っているのだろうか。こっちは完全に冤罪えんざいだし、単なるギャラリーならまだしも、このまま追手が増え続けると逃げ道探しにも支障が出かねない。


「なあ、どんどん増えていってないか、追手の数」

「そんなこと百も承知よ。下がってて、追一」


 印を結び瞑想状態に入るサナギ。


「狩魔の娘よ。盗人に手を貸すか」

「あんたたち堅物には、何言っても通じそうにないからね」

「黙りおれ! ならばお前もこの六芒星の結界に呑み込まれるがいい。急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」

「あんまり人前でやりたくないんだけど……獅子吼法ししくほうの一、摩利支天隠形法まりしてんおんぎょうほうッ!」


 叫んだ直後、サナギの全身から旋風が吹き荒れ、着ていた服が掻き消え、素肌の色まで透けて見えるようになった。


「お、お前、ど、どうしたんだそれ」


 サナギは恥ずかしそうに背を向けたまま、右手だけ後ろに差し伸べて、


「あんまり見ないで。早く、手を握って」

「手?」


 そろそろと腕を伸ばし、手を掴む。やけに温かい感触。それは瞬く間に俺の全身に広がり、遂には俺の肉体からも服が消えてほとんど輪郭だけの姿となった。


「これで、握ってる手と足の裏以外は、障害物を通り抜けられるようになったよ」

「マ、マジか。嘘だろ」

『すげーなこいつ。ただの暴力女じゃなかったか』


 サナギと共に駆け出す。


「むっ!」


 近くにいた陰陽師の一人が短刀を数本投げつけてきた。俺は背を屈めて躱したが、サナギは一切よける動作をせず、しかも短刀はサナギの体を何事もなくすり抜けていった。


「うおっ、貴様ら!」


 更にサナギは直進し、その陰陽師に頭からぶつかっていく。防御に身を固めた男を、俺とサナギは一陣の風の如く通り抜けた。


「ぬうっ、六芒星を易々やすやすと脱出するとは」

「待てい!」

「くそっ、式神たちさえおれば……なんと卑怯な」


 次は謎めいたローブ姿の一行が相手かと思いきや、そいつらは立ちはだかる様子もなく、フード奥から両眼だけ輝かせてじっと見つめてくるのみ。捕らえるのは無理と諦めているのか?


『薄気味悪い連中だな』


 ああ、不気味だ。動きを見せないところが余計。


「今のうちに二人を助けるよ」


 ローブ軍団を素通りしたのち、サナギは俺の手を引いたまま言った。

 アルティアはというと、長槍と真紅の剣を縦横に振るう、綺麗な顔立ちをした白人女性二人を相手に防戦一方だった。女性らしからぬ苛烈かれつを極める攻撃の数々に、反撃の端緒など掴みようもない。


「よ、よもや、グングニルとレーヴァテインに、討たれることになろうとは……成分分析が、できないのは、心残りだが」


 アルティアの動きが鈍い。すっかり息が上がっている。むしろ背後のルキをかばいつつここまで渡り合えたのが奇跡的だ。フェンシングというのもなかなかどうして侮れないな。


「ルキちゃん、アルティア! 助けに来たよ」

「お、追一さんに、サナギさん?」

「なんだ、その、はしたない、恰好は……ふざけて、いるのか?」

「なわけないでしょ。さ、早く掴まって」


 アルティアがサナギの手を掴む。半袖ジャケットとデニムのパンツが消え、全身が透き通っていく。

 ふと見ると、ルキが空いている俺の手に視線を落としている。触れようかどうか迷っているに違いない。俺は自分から手を差し出して、


「何してんだルキ。早くしろ」

「で、ですが、村雨が」

「あ、そうだ」


 一瞬手を引っ込めたが、偃月刀やその他諸々の武器がルキのすぐ真後ろに迫っていた。もはや一刻の猶予もない。


「いいから来いっ」


 無理矢理右手を握り締めた。左手の村雨は……。

 動かない。俺が間合いに入っても、なんの反応も示さなかった。


「あ……」


 ルキの着ていたワンピースが消える。水玉をちりばめた鞘も、その鋭利な流線型だけ残して見る間に透けていった。


「行くよ、みんな」

「は、はいです」

「山田、安全な逃げ道はどこだ?」

「まあどこでもいいんじゃないか、この状態なら」

「あと数分しかもたないのよ。なるべく遠くに逃げて」


 時間制限付きか。だが数分あれば充分。

 手を取り合う四つの輪郭となった俺たちは、追手の強固な囲いを難なくすり抜け、今回ばかりは無理かと思われた脱出に、辛うじて成功したのだった。

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