第7章 禍座
1 四十二は多いのか少ないのか問題
逃走術。
そんな言葉があればの話だが、逃走の術にかけては俺に一日の長がある。普段は全く働いてくれない集中力も、逃げる際には
そしてそれは歳月を経ても衰えることはなく、経験によって一層磨きがかかっていく。だから逃走に関しては誰にも引けを取らないと自負している。
だがしかし。
それでもだ。
「また来たよ!」
「何人いる」
「三、四……全部で五人」
「行くぞ山田。何をぼやぼやしている」
「ったく、これで何度目だよ」
「山田さん、ファイトです!」
『ファイト言われてもなぁ。お前逃げてるだけだし』
休日が来るたびに、こうも追手どもから逃げ続けなきゃならないとなると、また話は違ってくる。
しかもこっちはたったの四人。〈逃げる〉のと〈逃がす〉のでは勝手が違うし難易度も全然違うんだぞ。その辺判ってくれてんのかな、同級生の女子連中は。
「待てーっ!」
「逐電士め! ヒヒイロカネの
「そんなの知らないし、町中で騒ぐなよみっともない」
俺の苦言など一語も届いていないだろう。それでも言わずにいられないこの気持ち。
「ヒヒイロカネだと」アルティアの漆黒の瞳がきらりと閃いた。「あのヒヒイロカネのことか? 架空の金属とばかり思っていたが、実在したのか」
「あったとしても、あたしたちとは関係ないよ。相変わらず、向こうはそう思ってないみたいだけど」
「どうすんだ、サナギ」
「とにかく人のいない所まで退かなきゃ。道案内よろしくね、逐電士さん」
「やれやれ、結局それか」
おまけにここは電車を乗り継いで初めて足を踏み入れた地だ。こんな見慣れない町じゃ逃げようにも土地勘が働かない。
大体、何故に大事な休日を費やしてまで危険な逃避行に身を投じねばならないのか?
『ホントに存在するのかねぇ、マガクラなんていうパワースポット』
さあな。
『俺たち、マッドガールにまんまと担がれてんじゃねーか?』
……さあな。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
話は二週間前に遡る。
例の校舎消失騒動ののち、俺たちは結局残った校舎でこれまで通り授業を受けることになった。学校がなくなっても、別に授業まで中止になるわけじゃないのだ。なんてこった。屋上や倉庫の隠れ場所が減った分、むしろマイナスじゃないか。
警察による現場検証も何度かあったようだが、事件に至った経緯など判るはずもなく、一様に首を傾げるしかなかったに違いない。建物が消えていく瞬間を最も間近に見ていたこの俺でさえ、あの
もちろん校舎の消失そのものは一大センセーションを巻き起こしたし、いつもは
そんな中、俺だけは青汰に持ってきてもらった電動バリカンで残りの髪の毛をごっそり持っていかれ、心にそれはそれは深いダメージを負ったのではあるけれども。
「まっこんな感じだ。鏡見るか?」
「…………」
「山田さん、短い髪も似合ってますよ」
「さっぱりして良かったんじゃない?」
「…………」
「もう少し暇になったら、全自動散髪機でも設計するとするか」
「アルティアさん、僕手伝いますよ!」
「俺で試すんじゃないだろうな」
それから間もなくのことだった。
学校の敷地内に、不審な人影が多数見受けられるようになったのは。
「呪物盗難事件の真相が、判りかけてきた」
ある日の放課後、誰もいない教室に俺とサナギを呼び出したアルティアは、机の上のノートPCを開いてそう切り出した。
「犯人が判ったの?」
「いいや、それはまだだが、犯人の目的は特定できそうだ」
「そっか。こないだ仕切り直して行った犬塚のお堂は、結局壊れたご神体があっただけで収穫ゼロだったけど」
もしこの場にご神体の破壊者たる少女がいれば、さぞ居心地悪そうに顔を伏せたことだろう。
「
アルティアは言い、OSが起動するのを待った。黄金色の西日が斜めに射すがらんとした教室。あらゆる輪郭がくすんだ茜色に
「詳しい説明は省くが、ザナドゥの精髄を受け継いだライプニッツ・システムというのがあって、最高ランクのスパコンにそれを組み込んだものが〈マグヌス・ウィズダム〉。むろんマグヌスというのは13世紀に実在し、その幅広い叡智から〈普遍博士〉と尊称され、修道士・神学者にして錬金術師でもあらせられたアルベルトゥス・マグヌスに因んでいる。ライプニッツのほうはもはや説明を要すまい」
「全然判らないんだけど」サナギが俺の気持ちも代弁してくれた。「まいっか、続けて」
「要はコンピューター神秘学の叡智と、現代が誇る超性能コンピューターが超高次元的融合を果たしたということ。で、〈マグヌス〉を個人利用することは厳重に禁じられているのだが、非常事態ということで無理矢理ハッキングしてその処理能力を拝借することにしたわけ」
「それ犯罪じゃないのか?」
「抜かりはない。無理矢理と言っても、〈マグヌス〉にライプニッツ・システムを移植したのはこのワチキ。特定の外部入力でワチキに従うよう、プログラムを予め埋め込むことなど造作ない」
「完全犯罪か」
「その比喩は不完全。明るみに出なければ犯罪ではないのであって、完全犯罪は犯罪に非ず」
「そんなもんかね」
『話の腰折ってんじゃねー』
お前に言われるとは。俺も焼きが回ったか。
「村雨の出現、
寡黙にして優秀。誰かさんとは正反対だな。
『お前に言われるなんて俺も焼きが回ったなー』
液晶画面に灰色のブラウザーが立ち上がる。
おや? これ、見憶えがあるぞ。
夏休みに遊びに行った紺画の家で。確か、何々ちゃんねるとかいう巨大掲示板専用の……。
慌ててブラウザーを閉じるアルティア。
「今のって、どっかの掲示板の」
「な、なんでもない。忘れてくれ」いつになく狼狽しつつ、稀代の天才少女は弁明するように、「べ、別に夜な夜なBBSに粘着的な書き込みをしているわけではないぞ。これは、ええと、日本の掲示板の社会学的考察のために」
「いいから肝腎の話を続けてくれよ」
空咳を放つアルティア。シンプルな黒のウィンドウを画面上に呼び出して、
「これだ」
俺とサナギは両脇から首を伸ばして表示を覗き見た。
数行の英文が続いた後、何段か改行があり、その下にこれもアルファベットで〈MAGAKURA〉と八つの文字。
「マ・ガ・ク・ラ。マガクラ?」
「マガクラって……」
俺に続いて呟いたサナギだったが、その含みのある声音にすかさずアルティアは、
「知っているか、狩魔」
訊かれたサナギはうーんと一声唸って、
「名前だけはね。けど、あたしずっと神話伝承の類いだと思ってたんだけど」
滑らかな指
異なるウィンドウが次々と現れ、グラフ画像やサーモグラフィー状のものなど様々な情報が画面上に溢れた。
「太古の人類が残した究極の負の遺産。それが〈
「何も判っちゃいないってことか」
アルティアは無視した。更にキーを叩き、表示を切り替える。
「この高校に来る前から、〈マグヌス〉を用いて日本の
「それが〈禍座〉ってわけ?」
「ああ。〈禍座〉がこの国内のどこかにあり、近いうちに眼に見える形で出現するのではないかと」
『嘘くせーな』
超性能コンピューターにまでいちゃもんつけるのかお前は。まあ俺も右に同じくだが。
「パワースポットみたいなもんか?」
「あー、あの手を翳して『キテる! お
「その程度で済めば良いが。ただ、日本に来てからワールド・シェイカーに村雨、先週の仮面剣士の情報もインプットしたし、精度はかなり上がってきているはず」
「仮面、剣士?」意外な名前の登場に、俺は大いに訝しんだ。「お前何か知ってるのか、あいつについて」
「仮面ではなく、所有していた剣のほう。あれは八握剣というもの」
「八握剣って、こないだ黒服の誰かが言ってたよね」
「そうそれ。柄の形が独特だったから、すぐ調べがついた」
「じゃあ、十種の神宝を盗んだのはあの仮面だったのね。となると、ほかのも全部あいつの仕業!?」
「断定はしかねるが、可能性は高い」アルティアは顔を上げて、「いずれにせよ、向こうから接触を図ってきたのだ。遠からず正体も判明しよう。仮面の件はともかく、これで漸く今後の指針がはっきりしたのだ。今までのような一方的な受け身の状態と違って」
「いよいよこっちが攻勢に転じるわけね。そうこなくっちゃ!」
サナギが胸を叩いて朗々と言う。
『今日びの女子高生って、みんなこんななのか? アグレッシブっつーかワイルドっつーか』
野蛮っていう心の声が聞こえたぞ。こいつは例外中の例外だろ。戦闘に慣れすぎて本能が目覚めちまったんだよ。それにルキと違って全身武器みたいなもんだからな、ある意味村雨よか怖いわ。素手だから間合いが狭いのが救いだが。
「〈禍座〉を探し出すのだ。この地図上に示された、四十二の候補地の中から」
「よしきた! って、え? 四十二?」
サナギはアルティアの顔を二度見して言った。
「そうだとも」対するアルティア、自信満々に、「八百近い候補地からここまで絞り込めるとは、さすが〈マグヌス〉。我ながら末恐ろしい〈天才児〉を開発したものだ」
「四十二もあるの?」
「そう、たった四十二」
サナギの絶望的な問いに、平然と答えるアルティア。
「四十二もかよ」
「四十二しかない」
ダメだこりゃ。微妙だが決定的に話がすれ違っている。
四十二って、ええと二の二十一倍だろ? それから三の十四倍であって、六の七倍でもあり、七の……。
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