5 追儺士・逐電士・タイヤの精霊・そしてキャパシティオーバー

 その日の放課後。

 玄関口で待っていてほしいというルキの言伝てを受けたサナギと一緒に、俺は西日を避けるように下駄箱の陰に凭れかかっていた。除霊の件はすっかりお預けとなってしまい、俺が話題に出すまで向こうも綺麗さっぱり忘れていたらしい。


「お祓い? あ、そういややってなかったっけ」サナギはにんまり笑って、俺の腕を叩いた。「ナイス追一。よく憶えてたね。大事な金づるだし、あたしも忘れないようにしなきゃ」

「誰が金づるだよ」

「で、まだ聞こえるの? 声」

「おう。今は聞こえないけどな」

『甘い。天才は忘れた頃にやってくるんだぜー』

「……前言撤回」


 俺にとってはまさに天災だ。


「ねえ、どんなこと喋ってくるの?」

「別に。全然大したことじゃない。無視するなとか文句垂れたり、教科書に落書きしてんじゃねーって小言並べたり」

「ふうん。てことは、周りの風景は見えてるのね」

「ああ、俺の目線まで乗っ取られてる」

『シェアしてるって言えよ』

「例えば、あたしのこととか何か言ったりするわけ?」


 だってさ。どうするよ?


『美人って言っときゃ間違いねーだろ』

「美人って言っときゃ間違いねーだろ、だと」

「何それ。ふざけてんの? もう」


 今度はグーで二の腕を殴られた。逃げようと思えば逃げられるが、別段痛くもないのでまあいいだろう。


『質問だ』


 お?


『追儺士ってなんなんだ?』


 そういえば昨日、逐電士のせいであたしたち追儺士がどうのとか言っていたな。てことは、逐電士の情報も知っているに違いない。ついでにそっちも訊いてみるか。


「追儺士ってのは、退魔行……悪霊退散とか、憑き物落としとかの専門職の一種で」


 軽い気持ちで尋ねると、サナギは言い渋るでもなくあっさり答えた。


「節分の日に豆いて鬼を追い払うでしょ。あれのもっと本気度を高くしたやつ」

「でも豆は蒔かないだろ実際。あんまりイメージ湧かないな」

「鬼だって原義は姿の見えない異界の生き物を指してたんだから、どっちかっていうとあたしたちの仕事のほうがオリジナルに近いのよ。ただ、この辺は大昔の政情とか絡んでて一概には言えないから、詳細はアルティアに講義してもらってよ。あの子のほうが詳しそうだし。そうそう、ちなみにうちの家族は全員追儺士の免許持ってるのよ。すごいでしょ」


 免許制なのか。一子相伝いっしそうでんみたいな厳格な決まりがあるのかと思ったら、意外と現実的なんだな。


「けどさ、そんなの商売として成り立つのか?」

「うちの父さん普通のサラリーマンだけど、追儺士の副業のほうが収入多いときもあるわよ。依頼数は少ないけど一回の金額がすごいから」

「マジかよ」

「うん。それにあんたが思ってるより、取り憑かれちゃってる人って結構多いのよ。人にも動物にも器物にも取り憑くしね。あと、憑く側だって亡霊だったり生き霊だったり精霊だったり千差万別」


 俺に憑いてるお前はなんの霊だろうな。アルティアの探知機にも引っかからないところを見ると、せいぜいが下級霊って感じだが。


『うるせえな。追儺士はもういい。早く逐電士について訊けよ』


 そう急かすなって。今訊いてやるから。


「んじゃ、逐電士は?」


 サナギの眼つきが一変した。


「退魔の一族でもないし正規登録もしていない、流れ者の追儺士を総称してそう呼ぶの。そいつらが厄介なのは、頼まれてもいないのに、憑依霊や精霊たちをどんどん逃がしちゃうところなのよね。でもって、そのうちの一人が最近この辺りで幅を利かせてるみたいなの」

「霊を逃がすって、そんなに悪いことなのか?」

「うちらの仕事にならないでしょ! そんなことされたら」


 鼻息も荒くサナギは言った。商魂たくましいというかなんというか。


「あたしの家はちゃんと組合に加入して寄付金も払って、その上でこの地区全体の除霊業を請け負ってるのよ。それなのにこっちに無断で霊たちを逃がされて……これじゃあ自分の庭を土足で荒らされてるのと変わりないわ、ほんっと冗談じゃないっての!」


 偶然通りかかった男子生徒が、サナギの怒気に怯えてこそこそと前を歩いていく。


「な、なるほど。お前が怒るのも無理ないな」

「でしょ? んで、あんたは本当に逐電士じゃないんでしょうねえ、2年F組の山田追一さん?」


 たっぷりの皮肉を込めてサナギが言う。


「当たり前だろ。自分で名乗るわけもないし、大体何も知らないからお前に訊いたんだ」

「なら、あんたに攻撃するのはやめるけど。でも、ルキちゃんすっかり信じ切ってるわよ……あ、噂をすれば」


 サナギが何かに気づいて声を上げた。見ると、廊下の隅にルキがもじもじしながら立っている。


「ルキちゃーん」

「あ、はい……お待たせしてすみませんでした、です」

「いつからいたの? 早くこっち来ればいいのに」

「す、すみませんです……お二人が、その……いい感じだったので」

「な、何言ってんのよもう!」


 照れ隠しに笑いながら、サナギは裏拳を俺の顔面に飛ばしてきた。


「うわっと!」


 これはよけないとまずい。タッチの差で屈んで躱す。

 手の甲にぶち当たった下駄箱の蓋が――スチール製であるにも拘らず――ベッコリ凹んだ。直撃なら、あるいは鼻骨が粉砕していたかも。ていうか条件反射で顔面狙うか普通?


「あっぶねーなお前、どういう腕力してやがんだ。ちったあ手加減しろっての」

『言ったそばから攻撃してんじゃねーか。まさかこいつも天然か?』

「あーごめん、うっかり〈獅子吼ししく〉使っちゃった。ほらほら、行こっルキちゃん」

「あ、はい」

「なんなら、追一と一緒に行く?」

「え? で、でも、刀が」

「平気平気。腕の一本ぐらい斬り落としちゃっても」

『差し当たり、お前はまずこいつらと縁を切るべきだな』


 ああ全くだ。並んで歩く姉妹のような同級生の後ろ姿を見やり、俺はできるだけ距離を置いて後に続いた。


「嘘じゃねーってマジでいたんだよ」

「全身黒タイツの男が? 駐車場に? いるわけねーだろ、くだらねー」


 足早に俺を追い抜いた運動部らしきジャージ姿の生徒たちの会話が、ふと耳に届く。


「いたんだって。すぐにいなくなったけど」

「うわ、やっぱ嘘くせー。なんで男って判るんだよ」

「いやそこまでは判んないけどさ」

「自分の影でも見てたんじゃねーの」

『なあおい』


 ジャージ連中が部室の陰に消えようという頃、今度は心の声が聞こえてきた。


『ソウル・ブラザー、我が魂の同胞よ。どう思うよ?』


 何が?


『駐車場に黒タイツの男だってよ』


 ……知らん、そんな奴。俺には関係ない。

 ただの変態だ。


『今のところはそれで済むかもしれないが、明日は判らんぜ』


 ふーん。で、お前の予想は?


『タイヤの精霊と見たね。全身黒で駐車場とくれば、それ以外にない! すげーだろ、俺様の名推理』


 もう知らん。キャパオーバーだ。これ以上おかしな連中に関わるのはご免被る。

 俺は足許の小石を腹立ち紛れに蹴り飛ばした。小石の飛んでいく先を、敢えて眼に留めないようにして。

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