4 あーもう何がなんだか
『おい山田、何ぼけっとしてんだ。お前からその娘に声かけろや』
あ? なんで俺が。
『このままじゃ気まずいだろ。センセーまだ戻ってこねーし』
いいだろ別に。俺が気まずくても、お前には関係ない。
『そういう問題じゃねえ。ほら、気まずすぎて今にもぶっ倒れそうじゃねーか、そこの日本刀娘』
まあ確かに。けど、そこまで言うならお前が話しかければいいだろ。
『俺の声はお前にしか届かねーんだよ。これまでの経験でそれくらい判れよ』
当然判ってるっての。ところでお前、視界はどうなってんだ。まさかそれも俺と共有してるとか?
『だな。お前の見える範囲しか俺にも見えん。背後とか完全に死角』
ったく役に立たない居候だな。
『居候じゃねえ! タダ飯喰らいみてえに言うな』
居候は撤回するにしても、要するに口煩い毒電波が増えただけじゃないか。
『てめーいい加減にしろよ! 毒だの電波だの。俺はもっと崇高で気品溢れる何かなんだぞ』
何かって……もうちょい気の利いた何かは思いつかないのか。
「あ、あ、あのう……」
消え入りそうな声に、はっと眼をやる。
病的な回数の瞬きをしながら、布巻きの刀をきつく握り締めた少女と視線が交わった。が、それも一瞬のこと、すぐに相手は恥じ入るように顔を伏せてしまい、ふうと息を洩らした。
「な、何か?」
我ながらぎこちない返答。少女の張り詰めた雰囲気が移ってしまったのかもしれない。
「な、なんでもないです……」
「あ、そう」
『おいこら。あ、そうじゃねーだろが。お前がだんまりを決め込むから、要らん気を遣わせたんだぞ。今度はお前が話しかける番だ』
「う、ううむ」
一理ある。かつ、何気にちゃんとした発言もできるのが腹立たしくもある。
「ええと、暁月だっけか? 苗字」
当たり障りのない話題を振ってみる。
「は、はいっ……です」
上擦りすぎてほぼ裏声だ。緊張は未だ解けずといったところ。
「同じ学年なのな」
「は、はいです。A組です」
「下の名前はルキだよね、確か。珍しい名前だよな」
「あ、その、えっと……本当は、見るに姫と書いてミルキです」
「ミルキ? ルキじゃないんだ」
「みんなルキと呼ぶです。パパもママも、学校のお友達も。本名はミルキです」
なるほど。まあ見姫も珍しい部類には入るだろうけど。
「山田さんは、その」
「俺?」
少しずつだが、見姫……ルキの声色が和らいできたのが判った。その表情にも明るいものが混じり始めた。
「
「おお、よく知ってるな」
「はいです!」
『うわー変な名前。うわー』
待て。自分の名前も知らん奴に言われる筋合いはない。
「山田さん、有名なのです! なのでルキも知ってるです」
「俺有名なの?」
「あぅ……」
それまでのハキハキした喋りが嘘のように、再びルキの口調が弱まった。
「その、あの、そのぉ」
言い淀んでいる。イコール悪い方面で名を馳せているわけだ。それに心当たりがないでもない。どうせ遅刻欠席の常連だとか、そっち系の話が彼女に伝わってるんだろう。
「……
「……ああ」
『どんな理由だよ。それだけで有名って、そんな大物なのかそいつ』
いや全然。単なるサボり仲間。そっか、A組だから
にしても、これじゃあなんだか旗色が悪い。早いとこ話題を変えよう。
「追一ってさ、変な名前だろ?」俺は敢えて自虐的に言い放った。「名前に追うとか本当イミフだし。適当に付けたに決まってんだよ、うちの親」
『自覚はあるのな』
「そ、そんなことないです! いいお名前です」少女は何故かムキになって俺の意見を否定した。「山田さんのお名前、ルキよりずっといいお名前だと思います。夢を追いかけるとか、希望を追い求めるとか、きっとそういう願いが籠もってると思うです。夢のあるお名前です」
『プッ!』耳許で例の奴が盛大に吹き出した。『なんつー皮肉だよ。理想を追うどころか現実から逃げてばっかりなのにな。名は体を表すってのはとんだ嘘っぱちだな。なあ
「うるせーなっ!」
あ、いかん。つい声に出しちまった。
少女を見る。驚きと怯えが入り交じった異様な表情。ひくっと肩が痙攣した。まずい、泣かれる……。
「いや、あの、君のことじゃないから。気にしないで。なんでもないから」
「や……や……やっぱり、気にしてたんですね、斬られたこと」
と、背を丸め
「いやいや、違うんだって」
「そうですよね、イヤですよね、ルキみたいな女。ドジばっかりで」
『あーあ、お嬢ちゃん泣かしちゃったよ。罪な男だねお前さんも』
うるさいっつーの。どう考えてもお前のせいだろうが。少しは黙ってろよ。
「ダメね。留守電にもならないわ」
肩を
「あら、修羅場?」
「違うッスよ……」
少女が落ち着くのを待って、先生はそのコンシェルの名前を尋ねたが、すみません判りませんですとだけしか回答は返ってこなかった。DMにも載っていないようだ。
「本来ならね」
少女は頬を引き
「そうよね、判ったわ。先生方にはわたしから伝えておくから、暫くここにいなさい」
「あ、ありがとうございますです、先生!」
少女の顔が一気に明るくなる。
「教室の授業は受けられないけれど、この隣で自習はできるしね。そこなら誰も入ってこないし。あなたは山田くんと違って真面目な生徒だから、独りにしておいても問題ないでしょう」
『さては劣等生って奴かお前』
「うるせ……い、いや、そりゃないッスよ先生」
「ただし、君も協力するのよ山田くん。暁月さんはこれからも不便な思いをするでしょうし、独りで何もかもやらせるのは可哀想でしょう?」
「そりゃ、俺にできることならやりますけど。でも、俺より使えそうな奴、探せば幾らでもいるんじゃ」
「ところがそうもいかないのよ」先生は白布でグルグル巻きにされた日本刀を指差して、「刀のほうはちゃんと君をご指名なんだから。今のところ、君はその〈暴走〉を解くための、唯一といっていい重要参考人なんだからね」
「人を犯人みたく言わんといて下さい」
「いっそのこと、その刀で何センチか斬らせてみたら? そうすれば刀も納得して、手からすんなり離れてくれるかも」
「じょ、冗談きついッス。保健の先生の吐く台詞じゃないよそれ」
「冗談も何も、わたしは暁月さんの身体を誰よりも心配してるだけ。学校医の
「参ったなぁ……」
『おっかねえこと言うなあ。やっぱこのセンセー苦手だわ俺』
軽口の応酬に多少なりとも場が和んだところで、俺はここに来る前からずーっと気になっていたことを、さり気なく先生に訊いてみることにした。俺にとっては、この質問のほうがメインの目的なんだ。
「先生、参ったついでに、もう一つ参ってることがあって」
「ええ、何かしら?」
「例えばですね、その……刀で斬られて、結果知らない奴の声が聞こえるなんてこと、実際問題ありえるんスかね?」
「……ちょっとごめん。もう一度言ってくれる? 何を言ってるのか判らないわ」
「ええと、その、要はですね」
頭では判っているのに、言葉にして他人に伝えるのは存外に難しい。容易な業じゃないぞ、これ。
『もっと判りやすく言えよ。俺にも何が言いたいのかさっぱりだわ』
こいつ……殴りてえ。
『殴れるもんならな』
畜生。誰のせいでこんな目に遭ってると思ってんだ。後で説教だ説教。
『へいへーい』
「どうしたの? 急に黙っちゃって」
「あのですね、俺が訊きたいのはつまり、万が一、頭の中で自分以外の誰かの声が聞こえてきて、周りに気づかれないようにそいつと会話ができるんだとしたら、先生ならどうするのかなって」
細く引かれた眉を段違いにして考え込んだ先生は、たっぷり数十秒を費やしたのち、
「大きな病院に行って診てもらうわね、恐らくは。疲れている自覚があれば、もう何も考えずに一晩ぐっすり眠るわ」
「……ま、まあ当然そうしますよね、ハハ」
俺は疲れているのだろうか。それとも、本当に
『何うまいこと言ってやがんだ。しばくぞコラ』
「あと、わたしが言うのもあれだけど、狩魔さんに見てもらうって手もあるわね。呪い関係とか、現代科学で説明できないような事象については」
「ゲッ、あいつはちょっと勘弁」
確かにあいつはそっち系だから、場合によっては寺島先生より頼りになるかもしれないが。できれば世話になりたくないなあ。
『カルマだとう? けったいな名前だな。何者だそいつ』
「山田くん、彼女とは昔からの仲好しさんでしょ。教室に戻ったら伝えておいてちょうだいね。暁月さんがとっても困ってるって」
「ていうか、俺教室に戻らなきゃいけないんスか」
「当たり前でしょう。出席数足りてるの?」
一番痛いところを突かれた。
「し、失礼しましたー……」
俺はほんの一時間ちょっとの間に、この身に降りかかった様々な出来事を思い返す暇もなく、姿形は見えないくせに調子だけはいい相方を連れて、保健室を後にしたのだった。
あーもう何がなんだか。って感じだ。
『訳が判らん。一体全体、お前さんの回りで何が起きてんのかねえ』
そりゃこっちの台詞だ。
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