キ‐十二
「野村間八くんの無事帰還と火星二型エンジンの完成を祝して、カンパーイ」イワノフ部長の野太い声が大衆居酒屋「珉珉」に響き渡った。
「カンパーイ」勘八たちはガガイモ酒のハイボールで杯を打ち鳴らした。
火星二型とは勘八たちが開発していた新エンジンの正式名称だ。既に風洞実験は終わっていた。後は機体の完成を待つだけだった。
「後は、組み立てて試験飛行するだけですね」祐介が大騒ぎした。
「ここまで試行錯誤を繰り返さず、順調に進んで嬉しいよ」勘八が笑いながら言った。
「野村さんが出撃している間に試験をしたら合格したんですよね」祐介は少女のようにキャッキャッと喜んだ。
「しかし、野村くんに強制飛行をさせるなんて、上も無茶をいうものだ」イワノフ部長は風船蛸の刺し身を摘んだ。
「どうせ統治局の差し金なんでしょう?」勘八はガッコミエイの煮物を摘んだ。
「統治局だけじゃないぞ。陸軍省も絡んでたからな」とイワノフ部長。
「お~怖っ」祐介がオットケ鳥の焼き鳥に手を伸ばした。
「みんなも統治局には気をつけるんだぞ」空襲警報の時は『知り箱』が飛行場に
までやってきたんだ。一人で行動するのは控えなさい」
『知り箱』とは統治局が街中にばら撒いている、六方向に噴射ノズルが付いた十センチ、五センチ、三センチほどの直方体監視装置で、五人以上の許可のない集会が開かれるのを監視していた。
「知り箱に後をつけられるのは勘弁だな」勘八は眉毛をハの字にしてハイボールを煽った。
「私もなんだか怖いな」ちはるが顎に手をやる。今日も胸を強調するサマーセーターを着ていた。
「前から思ってたんだけど、ココは大丈夫なの?」祐介が床を指差して言った。
「知り箱かい?珉珉は統治局に許可を貰っているから大丈夫だが、気を付けるに越したことはない」イワノフ部長は請け負った。
「怖い話は置いといて飲みましょ♡」ちはるがジョッキを傾けた。
「それにしても、ちはるさんには悪いことをしましたね」祐介が意味ありげに人差し指で眼鏡を引き上げた。
「えっ?」
「野村先輩とのデートにお邪魔しちゃて……」
「そんな事……」
「ホントはお邪魔だったんじゃないですか?」
「……」
「お前は一言多いんだよ」イワノフ部長は再び祐介に頭に拳骨を与えた。
その夜の帰り道、勘八がちはるを送ることになった。
「送り狼になるなよ」とイワノフ部長が揶揄った。
「なりませんよっ!」
「すいません。送って頂いて」とちはる。
「いいんだよ。統治局も心配だしね」
すると、言っているそばから、二人きりになったのを見つけたように早速、統治局の知り箱が飛んできた。
「シューカイかな?シューカイかな?」
知り箱が二人の周りを飛び回った。
二人は集会でも不法密会でもないのので無視して歩いていると、今度は「ナニカナ?ナニカナ?」と言いながら飛び回っていたが、やがて諦めて知り箱は去って行った。
統治局の工作員に付けられていないか、廻りを確認するも、付けられている様子はなかった。
「食事の約束、守らないとな」
「……」
「まっ、それは次の機会に……」
「ホントですか?」
「ああ、本当だ。時間を作っておくよ」
皆藤ちはるはぽっと顔を赤らめた。
キ‐十二型噴射エンジン機の試験飛行の日が来た。
試験飛行師はなんと驚いたことに女性だった。ゴーグルを付けていたので、顔は全然見えなかったが、細身のきれいな女性のようだった。
ダブダブの飛行服を着ていても細い体つきははっきり解った。かなり若い女性のようだった。
なんでも首都からわざわざやってきた中佐で、テスト飛行は隠密活動の一つだそうだ。
勘八とちはるは第二エンジンの着火確認するために六十三式陸攻に乗って上空から観察することになっていた。
「二百キロを越えてから、第二室エンジンを始動させて下さい。それまでは我慢です」イワノフ部長がファイルを見つめながら女性パイロットに言った。
女性中佐は親指を立て、オッケーサインをした。手袋がかなりダブダブだ。
飛行場には五機もの知り箱がブンブンと蝿のように飛び回っていた。そこには海軍省の人間と開発室の人間が重任以上集まっていたが、違法集会などではなかったので、誰も気にしなかった。
六十三式を操縦するのは、前回と同じ今井中尉と上田中尉の二名で後部銃座にはコルシコフ上等兵だった。側部銃座の左右には勘八とちはるが陣取った。側方銃座には機関砲の代わりにカメラが取り付けられていた。
「ちはる君は空を飛ぶのは初めてだね?」エンジン音に負けないように、勘八は大声でちはるに訊ねた。
「ええ、ワクワクします」ちはるも叫ぶように言った。
「空はいいぞ」
「野村さんは本当に空が好きですね」
「勘八でいいぞ」
「えっ?」
「俺の呼び名。勘八でいいぞ」
「じゃあ、勘八さん……」
「大好きだぞ」今度は普通の声。
「えっ?」
「大空は大好きだ。雨の日も雲の上に出れば年中晴れだし」
「もう、勘八さんたら……」ちはるは頬を染めた。
六十三式陸攻は悠然と飛び立った。
「あっ、飛んだ!」ちはるが小さな嬌声と共に言った。
着陸装置が引き込まれる音がする。
「ようこそ、大空の世界へ」勘八が揶揄って言った。「さぁ、これからは仕事だ。頑張ろう」
「高度千メートルまで上がる。少し寒いが我慢してくれ」今井中尉の声が伝声管から聞こえてきた。
地上ではキ‐十二が離陸した。第一エンジンのみの飛行だ。上から見ると加速しながらゆっくり上昇して来るのが見える。
突然、キ‐十二の後部から閃光が放たれると、急加速しだした。第二エンジンを点火したのだ。見る見る加速していく。
キ‐十二はあっという間に高度千メートルまで追いつき、更に上昇していった。
「───このま、三千メ…ル、で上昇す…」中佐の声が無線から絶え絶えに聞こえた。
「試作機、三千メートルまで上昇するようです」上田中尉が言った。
「こちらも上昇しましょう、今井中尉」勘八が促した。
高度三千メートルまで上昇し、そこでキ‐十二と並走し、そこから加速してもらった。素晴らしい加速度だった。
速度は優に七百キロは出ている。旋回性能も抜群だった。最高高度も九千メートルを越えた。これなら下野毛山脈を超えられるかもしれない。
「空キレイですね」突然、ちはるがバインダーから目を上げて言った。
「成層圏はこんなもんじゃないぞ。眼を見張るほど美しいぞ」勘八の眼は光っていた。
テストは大成功だった。このまま量産に持ち込めるだろう。艦載機にするには空母の飛行甲板が短いが、カタパルトを強化すれば何とかなりそうだ。
六十三式陸攻はゆっくりと着陸した。それに続き、キ‐十二が着陸した。
飛行機から降りた勘八はキ‐十二を操縦していた中佐に挨拶しようと、着陸したキ‐十二に近づいたが、パイロットは奥にある海軍敷地内に向かって歩いていってしまった。その際、片手を挙げて勘八達に挨拶したのだが、長い髪の下のゴーグルの中で微笑む眼は、なんだか赤く見えたようだった。
南風が北へと向かい、一陣の風を舞い上げた。
勘八は既に次の機体制作に意欲を燃やしていた。
火星二型を二基積んだ、双発輸送機の制作だった。
首都から大顔まで下野毛山脈を越えて、ひとっ飛びに行ける輸送機だ。
そして、その時には是非ともテスト飛行に同乗したいと思っていた。勿論、皆藤ちはるも一緒だ。
彼女にも、あの美しい成層圏の蒼穹の青さを見せたいと思っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます