試験飛行
「ターボ・プロップ・ジェットじゃ駄目なのか?」イワノフ部長の低い声が会議室に響き渡った。
お茶を配っていたちはるの手が僅かに止まる。
「ターボプロップじゃ、あの出っ歯は越えられません」勘八が歯噛みするように言った。
『出っ歯』とはこの国を南北に渡る、標高一万メートルを超える下野毛山脈のことだ。切り立った崖が続き、刃のように切り立っているのでそのように呼ばれている。この山脈を越えるか迂回するしか大顔地区から首都まで行く術はなかった。
「ターボプロップジェットを開発するより
「そっちの方は例の引込脚のキ‐十一が完成間近だ」勘八が吐き捨てるように言った。「キ‐十一が順調に行ったら、金星一型のエンジンを四発機に積めば、あの出っ歯を越えられるだろう」
金星一型とはキ‐十一型に搭載される千七百キロ馬力のエンジンのことだ。
「そちらなら来週頭には試作機が完成する予定です」お茶を配り終わったちはるが自分の席に付きながら言った。
「いずれにせよ『上』は下野毛越えを期待している。下野毛を越えられる機体じゃなきゃならん」イワノフ部長は胸ポケットからアケビタバコを取り出し、口に咥えた。
「それにはラムジェットかそれ以外のエンジンを開発しなきゃなりません」勘八もカワセミタバコを取り出して火を点けた。
紫煙が会議室に立ち込めた。
「ひとつ、案はあるんですが……」勘八はふーっと煙を吐き出しながら言った。
「どんな案だ?」とイワノフ部長。
「ターボプロップの改造型です。燃焼室を前部と後部に分け、電離分解室を前部に取り付け、水素と酸素を作り出し、それを燃料にする」勘八は真面目切った顔でそう言った。
「水素と酸素?」三人が同時に素っ頓狂な声を出した。
「そう。そして後部燃焼室で水素爆発させ、ラムジェットエンジン推進させる」
「水を燃料にするってことか?」イワノフ部長が呆れかえったような声を上げた。
「純水を造らなきゃならないんですね」と、祐介が言った。
「電離分離器なら大戦中のやつがまだ残ってると思います」今まで黙っていたちはるが口を開いた。
「本当かね?」イワノフ部長がちはるの方を見て言った。
「資料があります。資料室に行けば、あると思います」ちはるはバンっと両手で机を叩くと、資料室にかけていった。
「二室式のラムジェットエンジンか、一室にファンターボを組み込めば低速での
飛行も可能だな」イワノフ部長は感心した。
「構想はもう出来てるんです」とカンパチは言った。「逆ガル式の翼にしてコクピットを従来通り低いままにするんです……」
「逆ガル式か……。それなら足を引き込み式にしても、航空母艦の離発着も容易だな」とイワノフ部長。
「機体自体も細くなるんじゃないですか?」小島祐介が嬉しそうに眼鏡の縁を撫でた。「そういえば、大戦中に水を水素爆発させるエンジンを作ったって聞いたことが売ります」
「細長い綺麗な機体になるぞ」野村勘八も嬉しそうに言った。
ドタドタドタという音と共に皆藤ちはるが戻ってきた。両腕には大判の本やファイルを抱えていた。
「大戦中に造られた物の資料が残ってました!」
「よくやった!ちはる君!」
勘八は黒板に新型エンジンの略図を描き始めた。勘八は今度こそ上手くいくと確信していた。
勘八の仕事とは概ね暇を持て余すものだった。なるほど、エンジンの設計から機体のデザインまで多忙極まりなく、クリエイティヴな仕事だったが、煮詰まるとにっちもさっちもいかなくなる困った職種である。
しかし、今やレシプロエンジンのキ‐十一甲型の改良量産タイプ、キ‐十一乙型の製造と、新型の二室式ラムジェットエンジン機、キ‐十四型の製造に追われていた。
キ‐十一乙型の製造は順調に行っており、後はテストパイロットに任せるのみとなっていた。残るは新型エンジン、ターボ・ラムジェットエンジンの開発だけだ。
「機体の強度の方は大丈夫なのかね?」勘八は製図机から振り返って、開発室に入ってきた祐介に訊ねた。
祐介は両手には大量の資料が載せられていた。それをぼんっと自分の机に乗せると、凝った肩をぐるりと回した。
「大丈夫ですよ。ヴォルニウム鋼の掘削も順調なようですよ。大きな鉱脈が見つかったようで、海軍は諸手を挙げて喜んでいます」と祐介が言った。
ヴォルニウム鋼とは軽くて固く、柔軟性もある鉱物で下野毛山脈が隆起した時にその山肌から発見された鉄鉱石である。その合金で新しい機体を造ることになっていた。
「こちらも順調ですよ」と皆藤ちはるが自分の机から声を挟んだ。「大戦中のシェルターに使われていたものを改良しましたら、小型化に成功しました」ちはるは自分の机に置かれている大きな弁当箱位の大きさの機械と格闘していた。
ちはるは電離分解装置の最終確認をしていたのだ。
「そろそろ試験飛行の時間だろう」イワノフ部長が懐中時計を取り出して言った。「みんな滑走路に向かってるな。我々も見に行くか?」
気が付けば、キ‐十一乙型の試験飛行の時間になっていた。勘八たちも試験飛行を見学しに管制塔へとくり出した。
管制塔に上がると、キ‐十一乙はすでにエンジンを掛け、離陸寸前だった。搭乗員は海軍の将校とのことだった。この飛行が上手く行けば、ラムジェットエンジンの開発費もたやすく手に入るだろう。
「───一号機、発進します。ザッザッ」
「───二号機、発進します。ザッザッザー」
管制室の無線機に二人のテストパイロットの声が聞こえてきた。
「一号機、二号機、離陸を許可する」管制官の一人が言った。
飛行場には二機のキ‐十一型乙が飛び立った。設計通り、着陸脚が引き込まれる。二機はふわっと空中に浮いた。着陸脚がゆっくり腹に収まっていく。
「二機とも着陸脚収納を確認」管制官の一人がマイクに向かっていった。
二機はスピードを上げて飛んで行った。地平線で左に旋回するとこちらに戻ってきた。
「───一号機、急上昇します」
「───二号機、旋回上昇を始めます」
すると飛行場の上空で、一機は急上昇し、もう一機は右旋回しながらゆっくりと上昇していった。
「両機とも軌道衛星の攻撃に気をつけろ!」
「───了解。ザザザッ」」
「───一号機、高度五百、六百、七百……」
「───二号機、高度五百、五百二十、五百三十……」
「───高度二千!失速!このま……降下して最高速度検…定にかかる!」
一号機の声はノイズで潰れていた。
「───二号機高度一千。このまま最高高度検定に入る」
「これまでで時速四百五十キロオーバーですよ。こいつはいけますね野村さん」管制塔員の一人が言った。
大衆居酒屋「珉珉』は今日も客で一杯だった。
「結果、最高速度、高度六千メートルで時速六百キロ。航続距離、推定二千キロメートル。上々の結果じゃないですか?」ちはるは大和酒で喉を潤した。「最高高度も九千キロですし……」
「でも、下野毛山脈は越えられないし、上昇速度も良くない」勘八も盃を煽った。「
「首都の検査飛行では、ИР四型は高度一万を出したそうだよ」イワノフ部長が渋い顔をして言い足した。
「迎撃には不向きだと?」ちはるは訊ねた。
「オクタン価が低すぎるんでは?」祐介がイワノフ部長に視線を移した。
「そうだな。オクタン価を上げれば多少は上昇力は上がるだろう。ただし航続距離はもっと伸ばさんと、敵陣から帰ってこれなくなる」イワノフ部長は風船ダコの一夜干しを囓った。
「海軍省は肘折半島の空母を動かすつもりはない」勘八が言った。「あくまで下野毛山脈の向こうからこちらに出撃することに拘っている。『出っ歯越え』は必至だなな」
「キ‐十一でも西の首都まで行って帰って来られるんじゃないですか?」ちはるはガッコミエイの刺身を摘んだ。
「ギリギリだよ。ちはる君」勘八が言った。「向こうで空中戦をすれば、こちらまで帰ってこられない確率は低くない。それもここの飛行場からか肘折の空母から発進した場合に限る。」
「だが、海軍はキ‐十一を正式に量産するようだぞ」イワノフ部長はアギト牛の素揚げをパクっと食べた。「正式名称・六十四式艦上戦闘機だそうだ。今度は艦爆の依頼が来そうだな」
「その前にキ‐十四……、二重ラムジェットエンジンの開発を終えないと……」勘八がオアフきゅうりの漬物を口に運びながら言った。
「大丈夫ですよ野村さん、模型の風洞実験では成功してるんですから……」ちはるは勘八のお猪口に大和酒をつぎながら言った。
「後少し……、後少しなんだ……」勘八はガッコミエイのエイヒレを乱暴に引き囓った。
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