森の方《もりのかた》

 翌日は日の出前に出発した。十キロほど北西に歩けば、この踊り菩提樹の森から抜け出せるところがある。そこまで逃げれば追手も引き返すだろう。四人は昨日と同じ細い吊橋の一つを歩いて行った。

 

 昨日のシフトではあと八人森林管理人が森に入っていたはずだが、彼等は大丈夫だろうかと腕三郎は心配だった。しかし、彼らも先の大戦に出兵した強者揃いだ。年をとってもこれくらい生き延びれるだろう。


 腕三郎を先頭に蔵之介、ゴローさん、ヤマさんの順番で吊橋を歩き逃げていった。


「しかし、腕さんや、悔しいじゃねぇかね」蔵之介が言った。「」こうして逃げてばかりじゃ……」


「戦車相手に戦えるわけ無いじゃろう」と腕三郎。


「それにあんな大勢のの黒天狗じゃ、歯が立たん」とヤマさんが息を切らしながら言った。


「腕さんは元陸軍伍長じゃねえか。悔しくはないのかね」とゴロー。


「悔しいが、逃げるので精一杯だ」


「確かにそうかもな」蔵之介は足を早めて、絞るように言った。


「いやいや、俺達ゃ、大戦を潜りぬいた戦士じゃよ。なんか一つ喰らわせてもいいんじゃないかい?」とゴローさん。


「それには銃の一つでも手に入れにゃならん」と腕三郎。


「自動小銃が人数分あったとしても戦車にゃ対抗できんよ」とヤマさんは言った。



 四人はぶづぶつと愚痴を言いながら西へと向かった。


 昼過ぎに漸くR-32樹上保管庫に辿り着いた。


「ここいらで一服入れよう」腕三郎は息をぜぇはぁ言わせながら呟いた。


「そうさな、そろそろ昼にしよう」とヤマさんは言って保管庫のドアを開けた。



 昼食は昨日と同じドッグフードの缶詰で済ませた。樹上保管庫には他の缶詰もあったのだが、腹の足しになり旨そうなのはドッグフードしかなかったのだ。


 四人はカチャカチャとスプーンと缶詰に擦りつけて、品があるとは言えない音を立てながらペースト肉を口に放り込んだ。


 ジリリリリリリリッ。と突然、トランシバーの「緊急お助けコール」がなった。腕三郎のトランシーバーだった。


 腕三郎はスプーンと缶詰を放り投げ、トランシーバーに取り付いた。


「───こちら豹原、どうぞ」


 するとトランシーバーから後藤平八郎の嗄れた声が、ノイズとともに聞こえてきた。


「───こちら後藤。腕さん、生きていたか?どうぞ」ザザッ。


「───それはこっちのセリフだ。蔵さんにゴローさん、ヤマさんも無事だぞ。どうぞ」


「───こっちはせんさんも一緒だ。どうぞ」ザザザッ。

 せんさんとは、大戦中は中佐だった阿部泉州の事だった。


「───せんさんは無事なのか。どうぞ」


「───ああ、大丈夫だ。アリャぁやっぱ『黒天狗』なんだろうか?どうぞ」ザザザッ。


「───儂らはそう見とるがな。どうぞ」


 腕三郎たちは、簡単に近況を報告し合った後、合流することに決めた。合流地点は豹原達に近いO-30樹上保管庫で落ち合うことにした。


 二時間ほど歩くとO‐30樹上保管庫に辿り着いた。平八郎と泉州はまだ来ていなかった。


 黒天狗団の連中が追ってくることもなく、平穏な時が過ぎていった。


 窓から外を見ると、踊り菩提樹に寄生した寄生樹の周りを、ムカデトンボが十八本の翅をゆったりとたなびかせながら飛んでいた。


 午後の日差しが微睡みを呼んでいた。本物かどうか解らないがヒタチの鳴き声も聞こえた。機械ヒタチの声といえばそうかも知れない。


 トントン。と突然ドアを叩く音がした。


「阿部だ」と、ドアが開いて、阿部泉州と後藤平八郎が入ってきた。


「みんな怪我はないようだな」と泉州が言った。


「せんさん達こそ大丈夫かよぅ」と腕三郎がなんだか間延びした声で尋ねた。

 泉州が腕を大きく振って『大丈夫だ』と伝えた。


 6人は西に逃げることに決めた。


 西に行くと下野毛山脈の麓の岩崖に着く。そこまで逃げれば黒天狗も追って来ないだろうと推測していた。


 麓の岩崖に着いてからその先は誰も考えていなかった。


 漠然と猫崎付近まで行こうと思っていたが、岩崖から大顔地区まで行くすべが思いつかなかった。


 時々、東の方でわさわさと踊り菩提樹が揺れるのを感じながら、腕三郎たちは吊橋を渡っていった。


 吊橋は一人が渡るのがやっとで、すれ違うことも出来なかったので一列に並んで小走りに渡って行った。順番は、森番歴の長い蔵之介を先頭に、腕三郎、ゴローさんヤマさん、平八郎も、そして殿しんがりは先の大戦で一番上位だったせんさんという順番だった。


 慣れ親しんだ道だったが、森の中には異体進化した凶暴な動植物も隠れ住んでいるので油断はならなかった。一応「ツッカキ棒」と呼ばれる、二メートルほどの棒の先に小さな鈎が着いた棒を持ってはいたが、振袖熊等の猛獣やサキシマドクタラシという肉食植物等に出会うと痛い目に合うどころでは済まされない。


 三時間ほど歩き、日が傾きかけた様子を樹々の頂きに感じる頃、どこかから人の声とも鳥の鳴き声ともつかぬ音が聞こえてきた。


「ホーッ、ホーッ」


「ハッ!」せんさんがツッカキ棒を構えてあたりを見回した。


森の方もりのかただよ。せんさん」と先頭の蔵之介が行った。「ほら、あそこ見てみんしゃい」


 蔵之介が指差す左上の方には一頭の獣が踊り菩提樹の枝に座っていた。


 それは一匹のオランウータンのだった。


 いや、「おひと方の」オランウータン様だ。


 この森のオランウータンは「森の方」と呼ばれ尊敬されていた。


 森の方は内戦で西の連中に遺伝子操作され、人間より賢い知能を授かった類人猿だ。この踊り菩提樹の森の中に順化し、寄生樹の樹の実などを食べて生きていて人間たちは彼らを尊敬していた。


「ほーっ、ほーっ」


「どうされましたか?森の方」蔵之介はうやうやしく膝を折った。腕三郎達も彼に習って跪いた。「私は三摩蔵之介と申します」


「ほーっ、東の方が騒がしいのう」


「はっ。黒天狗団の者たちかと……」


「苦しいぞ、蔵之介。苦しいぞ」と言うとオランウータンは両手で頭を掻き毟った。「キーッ、キーッ」


 どうやら黒天狗団の侵攻が気に食わないようだ。


「されど、彼奴らは大勢の上、戦車まで持っております。話にもなりません」と腕三郎。


「三十八ミリ二連高速ガトリング砲戦車か?」とオランウータンは全てを見たように言った。「しゃらくさい!」


「そうです。そのガトリング砲戦車に本社は壊滅させられました。生き残った者はいないでしょう」


「何?お主ら悔しくないのか?ニンゲンなら悔しがるはずじゃろ!」


「しかし、如何せん、太刀打ちできませぬ」と腕三郎。「敵わぬ相手には逃げるより他ありませぬ」


「脳みそ弄りの我でも悔しく思うぞ」


 遺伝子操作された動物にも「ロボット三原則」が適応され、それらは人間に歯向かうことは出来ないのだ。


 オランウータンはキーッキーッと鳴いて何度も樹の上でジャンプした。よほど悔しかったのだろう。


「お主ら、我、森の三者は懇ろな関係にあった筈じゃろ。その関係を彼奴らは断ったのだ。許せぬ、許せぬ。森も泣いておろうぞ!」オランウータンは脚で枝を揺すった。まるで踊り菩提樹が踊っているようだ。


「勘弁してください、森の方。何しろ一瞬で本社ビルが粉々になったそうで……」とゴロー。


「ツヨシじゃ。我が名はツヨシ」


 よく見るとツヨシはデニムのオーバーオールを履いていた。

 ツヨシはそのオーバーオールの腹ポケットから葉巻と使い捨てライターを取り出し、火を点けた。


 こんな暴発樹脂を滴らせている踊り菩提樹に囲ませている中、火気は厳禁なのだが、森の方がすることには文句は言えない。何か安全な方法があるのだろう。


「ツヨシ様、儂ら鉄砲の一つも持ってないんでさぁ。奴らと話し合うなんて無理なことです」とヤマさんが言った。


 ツヨシは葉巻を燻らせ、虚空を見つめていたが、フッ、と煙を吹くと、

「では、後に続け」と言って吊橋に降り、西に向かってゆっくりと歩いて行った。


 腕三郎たちは、少し戸惑ったが、元々西に向かう予定だったので、プカプカと葉巻を燻らすツヨシの後についていった。


 日が沈む頃、漸く森を出て、岩崖のところに着いた。

 そこは森が終わり、下野毛山脈しものげさんみゃくの麓にあたる地域で、開けていた。西側は山脈に閉ざされていて、西日は見られなかったが、頭上はまだ青い空が広がっていた。


 森と崖の間には五十メートルほどテラス状になった大地があった。


 その先が崖になり、そこには重厚そうで巨大な扉が穿たれていた。煤や埃が付いていて汚れていたが、左右と上の崖にカモフラージュする灰色と薄青の迷彩塗装が施されていた。


 幅・高さとも十メートル以上の大きな扉だった。その扉の隣にも人が入れるほどの小さな扉が作られていた。


「これは軍の施設かね?」と阿部泉州が尋ねた。


かつつわものどもの夢の跡なり!」とツヨシが叫んだ。


 腕三郎はその意味を正確には理解できなかったが、分かったような気がした。

 そして扉に横飛で駆け寄ると、小さい方の扉に向かい、ポケットに入っていた鍵を使い、扉を開けた。

 後に続く腕三郎達。

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