ガッコミエイ

ホームは閑散としていて、他に乗り込む乗客もおらず、やがて列車は発車した。


 車窓の外の街は小さな鉄工所や町工場が多くなってきた。


 半分閉められたシャッターの奥からアーク溶接のピンクの光が瞬いていた。「温田原鐡工所」というやたらと古めかしい字体の看板がデカデカと掲げられた工場の入口からは滝のように火花が流れ飛んでいた。カーン、カーンというハンマーを叩く音があちこちから響いてくる。荷車に重そうな機械を載せた男が小走りに道を行き交っていた。

 やがて遠くに大きな工場が見えてきた。大きな煙突からは白や黒の煙が立ち上り、中には断続的に炎を吹き上げる煙突もあった。カッターン、カッターンと遠くの方で巨大な歯車が回っているような音が聞こえた。巨大なパイプやダクト、タンクなどが、真昼の太陽にギラギラと光っていた。


 突然、広大な敷地とそこに建つ防蝕鉄板造りの広い工場が何棟もが見えてきた。巨大な工場の壁には「蛇刃尻重工飛行機製作所」と人の背丈ほどもある大きな文字が書かれていた。

 敷地の一部は長い滑走路になっていて、その奥の方にレシプロ機が並んでいた。双発機三機と単発機が六機並んでいた。いずれも塗装前の銀色の機体をしていた。丁度、もう一機、工場から小さな牽引機に曳かれて単発機が出てくるところだった。

 滑走路の反対側には茶色と暗緑色の迷彩塗装をされた三発の複葉機がエンジンを止めようとしていた。輸送機か爆撃機のようだ。ハッチからは飛行服を着た飛行兵が次々と滑走路に降り立った。作治の目は銀色にギラギラ輝く飛行機に釘付けにされた。


「最新の六二式戦闘機と六三式陸攻だね」ゴーグルのおばさんが囁くように言った。「南州の海軍基地に納品されるみたいだね」


「本当に飛行機が復活したんですね」作治は興奮しておばさんを見つめた。


「見ての通りだよ。原始的な飛行機だけどね。焚書であの手の資料が徹底的に焼却されたのにここまでやれたのは奇跡的だね。一からやり直したんだから…」





「次は〜、川黒町、川黒町〜。停車時間は十分です」車内アナウンスが聞こえた。

 蛇刃尻重工の飛行機製作所の敷地は広大で、小さな川黒町駅のホームのすぐ近くまで、そのフェンスが伸びていた。その敷地の奥の方からバババババというマフラーのないバイクが数十台、同時にエンジンを付加したような轟音がしたかと思うと、今度はゴーッという轟音に変わっていった。


「新型エンジンでも開発してるんかね」おばさんがボソリと言ったが、騒音のため、良く聞こえなかった。


「プロペラエンジンですかね」作治は声を少し大きくして尋ねた。


「いや、何かの噴射エンジンみたいだよ。なんだろうね」

 おばさんにも解らないことがあるのかと作治は心の中で呟いた。


 特に見る物もなかったので、車内でじっとしていると、やがて列車は出発した。また、海の方へ向かっているようだ。線路はコンクリートの上に直接載っているようだったが、それは横倒しにしたビルの中に強化タタキを流しこんだ巨大ブロックの半分を土の中に埋めて線路の土台にしているようだった。どれも元は縦長の雑居ビルだったものを再利用しているようで、ガラス張りのビルなどは使われていなかった。


 線路を載せたコンクリートの土台は、一直線に海へ向かって行った。これでは海の中に入ってしまう、と思っていると、線路は本当に海の中へ消えてしまった。

 シャーッという音を立てながら、水飛沫を上げて列車が海の上を走っていく。波のない静かな海の上を静かに走っていく。


 海の水は線路のすぐ上までしかないようだ。まるで本当に海の上を走っているようだ。


「運がいいね。潮が満ちてるようだよ」おばさんが作治の顔を見てニコニコ笑った。「どうだい?素敵だろう?潮が満ちないとこうはならないんだよ」


「大潮の時はもっと沈むよ。だけど車内に水が入るほどじゃない」


 このまま水平線の向こうまで走っていけたらいいのに、と思っていると、線路は岸の方へとカーブしだした。


「次は〜、タラチネ海岸、タラチネ海岸〜」またアナウンスが聞こえた。

 窓から乗り出して前方を見ると、海のど真ん中に小さなコンクリートのプラットホームがポツンとあった。回りは全て海だった。こんな所で誰か乗り降りするのだろうか。


 タラチネ海岸駅のプラットホームは前後と沖合側が防蝕塗料が塗られた鉄柵で囲まれていた。作治の心に好奇心が湧き上がりホームに降りてみることにした。おばさんも作治の後に続いた。


 ドアから出た途端に潮の香りが押し寄せてきた。ここは汚染も少なく、まだ生きている海のようだった。


 別の車両からも男が降りてきた。白い開襟シャツと黒いスラックスを履いていて、黒縁メガネを掛けた青年だった。眼鏡は曲線の多いデザインのかなり昔に流行したムンク眼鏡と呼ばれるもののようだ。

 憂鬱そうな顔つきで、頼りなげにフラフラ手摺まで歩くと、手摺に両腕をもたげてジッと海を見つめた。何か思い詰めたような顔つきだった。やせ細った身体と幼い顔立ちからすると、まだ少年なのかもしれない。


 作治も手摺につかまり、海を眺めた。水色の空に、真っ青な海が広がっていた。沖合遠くで白い波頭が見え隠れしていた。


「この辺はずいぶん綺麗なんですね」作治は隣に立つおばさんに話しかけた。


「この辺は、大抵レベル一以下だよ」


「海は大抵汚染されていて、真っ黒になっているって聞いてましたけど…」


「海は自浄作用があるからね。人間が触れなければ元に戻るのも速いんだ」


 足元の海の中を覗くと赤くて大きなものが見えた。一抱えほどもある丸くて赤く、下から何本もの触手が生えていた。


「風船蛸だ!」作治は少年のように大きな声ではしゃいだ。


「ほら、コッチもご覧」


 おばさんが指差す方を見ると、海底の砂浜が動いていた。突然砂煙が上がると、畳ほどもある平で茶色いものが浮き上がって、ゆっくりと泳いでいった。


「エイだ!」


「ガッコミエイだよ」おばさんが言った。


 作治は生きたガッコミエイを見るのは初めてだった。風船蛸もガッコミエイも大戦前に遺伝子をいじられて作られたもので、在来種の魚ではなかったが、今はすっかり人間の食料になっている。


「昔からいる魚はまだ残っているんでしょうか」作治はおばさんに尋ねた。


「さあねぇ、少なくなっただろうねぇ」おばさんはしみじみと言った。


 出発のベルが鳴ったので、作治とおばさんは列車に戻ったが、あの青年は柵にもたれて海を眺め続けていた。

 周りが海に囲まれている駅で彼は何をするのだろうと、作治は不思議に思った。


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