ミュート
やがて列車は鬼目川駅に着いた。
そこは、かつては埠頭のようだった様で、駅はコンクリートの上にあった。大きな倉庫がいくつも並び、シャッターが開いた二・三の倉庫には錆だらけの大型トラックが入っていたが、人の姿は見えなかった。駅舎の前あたりもファストフードの店のような小さな店が三つ四つ散らばっていたが、客の姿はなく、のれんや看板が出ているものの、扉がきっちり閉まっているので、中の様子も解らなかった。全く人の気配がない。
「面白いものが見えるかもよ。ちょっとおいで」おばさんが作治をホームに誘った。おばさんは作治の手を取り、客車の外に引っ張っていった。作治はなすがままにホームへ降り立った。
ホームの反対側は耐酸処理した手すりで囲まれていて、その先はすぐ海だった。
「おいで」ゴーグルのレンズをキラリと光らせて、作治の手を取ると、手すりの方におばさんは歩いて行った。
手すりの先はすぐに海で、海面から一メートルにも満たない所にコンクリートの柱が絡んで横たわっているのが見えた。
下を覗き込むと、コンクリートの隙間から何匹もの魚が現れた。白、赤、黄色の鮮やかな色の魚で、数十匹が群れをなして泳いでいた。作治たちの顔を仰ぎ見ようと浮上しているように見えた。
「機械魚だよ」おばさんが言った。「戦前の食糧難の時に川や池に放たれた人工の魚だよ」
「これも兵器の一つ何ですか?」作治は背を反らして身構えた。
「いや、観賞用だよ。飢饉に不安がる人達を安心させようとでもしたのかね」
その機械魚は本物のように滑らかに動いた。どんな動力で動いているのか分からないが、戦前のものがまだ動いているというのは信じられない事だ。
やがて、発車のベルが鳴ったので、二人は列車に乗り込んだ。
軽便鉄道は海沿いを離れ、内陸方面へ進んでいった。湿地帯もなくなり、線路の先には荒野が広がった。掘っ立て小屋がチラホラ見える様になると、すぐにバラック小屋が線路沿いにいくつも見えてきた。人の姿も段々多くなってきた。
「次は、脚気町、脚気町〜。停車時間は五分となります」アナウンスが流れてきた。
窓外の町並みは、平屋だけでなく、二階建て、三階建ての木造家屋も多くなってきた。やがて列車が停車すると、駅の前に小さなロータリーがあるのが見えた。駅前には二十人以上の大勢の人がいた。座っている人、歩いている人、寝転んでいる人、荷車を引いている人、話をしている人、走っている人。だが、服装や格好はみすぼらしい人達だらけだった。
行商のお婆さん達が次々と降りていった。ゴーグルのおばさんも似たような格好はしていたが、席に座ったまま外を眺めていた。
「ここは、職人とミュートの街だよ。まあ、ドヤ街だけどね」おばさんは一人呟くように言った。
作治は『ドヤ街』とは何なのか判らなかったが、何も尋ねなかった。
「ミュート」とは「ミュータント」に敬意を込めて使う言葉だ。よく見ると、駅の前には四本腕の人や四本足の人が何人か見えた。四本腕の人は殆ど上半身裸で、驚いたことに女の人もいて、六つの乳房を露わにしていた。
脚がない人、奇妙な手足をしている人など、角や触覚がある人等、驚くほど多種多様なミュータントが犇めいていた。
身長二メートルを優に超える頭の小さいグロテスクな大男が数人の人の前で何か話をしていた。よく見ると、その巨漢の首から胸にかけて、もう一つの頭があった。下の頭は目も虚ろで、口も半開きで、呆けているようだったが、上の頭は雄弁に物を語り、人々の関心を集めているようだった。上の小さな頭は、幼児の若々しさと老人のずる賢さを同時に持った様な顔をしていたが、下の大きな頭は、知恵遅れの愚鈍な顔をしていた。体つきは筋肉だらけの、マッチョな四肢をしていた。
「あれは瓢箪男だよ」作治の目線を追って、ゴーグルのおばさんが言った。「下の奴は消化器官とか循環器感とかを制御してて、上の奴の脳はは下の奴の前頭葉やら側頭葉やらと繋がっていて、下のやつの脳を自分の為に使ってるんだ。事実上、二人分の脳で思考してるから、普通の人間より遥かに賢いのさ。くだらない奴らばかりだけどね」おばさんは吐き捨てるように言った。
「あの人達はBC兵器の被爆者なんですか?」作治はおばさんに尋ねた。
「軍用に改造された奴が大半だよ。遺伝子と肉体の両方を改造した奴らだ。気のいい奴らが多いけど、職業軍人の復員兵には変わりない…。被災してミュータントになった奴らはすぐに死んでしまう。そういうミュータントは少ないし、街の外側に住んでいるのさ」
作治は、ふと犬男のラビット少尉を思い出していた。彼もかつてはここにいたのだろうか。
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