玄白僧都中尉
「う、撃てっ!あれを撃てぇ!」僧都中尉の狼狽えた叫び声が検問館の屋上に響いた。
ピョードル達は慌てて発砲したが、小さな動く標的には中々当たらなかった。
僧兵たちが雨霰のように突撃ライフルの銃弾を無駄に振りまく中、狙撃兵の銃弾が一台を射止め、爆発させた。もう一台は、狙撃兵から狙撃銃を奪いとった玄白僧都中尉自らが仕留め、オレンジ色の火柱をこしらえた。
「いい腕前だ。玄白僧都中尉」グレオリウス軍曹の脚に包帯を巻き終えると、トップクン僧正少佐は両手を叩いて中尉を褒め称えた。
「お褒めのお言葉は後ほど。一つ気になる事があります」僧都中尉が両手を胸の前でクロスさせる僧兵流の敬礼をして真剣な顔のままで言った。「あの自走爆弾、戦車を襲った二台は恐らく、赤外線追尾でしょう。しかし、トレーラーを狙った奴は違うでしょう」
「と、言うと?」僧正少佐が尋ねた。
「あの自走爆弾、赤外線追尾装置だけでなく、ビーコン追尾装置も積んでいるのではないかと思います。赤外線で追尾するにはトレーラーは離れすぎています」
「あり得るな…」僧正少佐は自分の顎を撫でた。
「ビーコン追尾なら、発信機が取り付けられている筈…。今からそれを調べて参ります」僧都中尉は東へ向かうトレーラーを眺めた。国境内に入り安心したのか、ゆっくりと進んでいたので、まだ遠くないところを走っていた。
「平井律師二等兵」僧正少佐は近くで二人の話を聞いていた平井律師二等兵に声を掛けた。「ホバーを出してトレーラーを追いなさい。至急、玄白僧都中尉を連れて行きなさい」
「はっ!」平井律師二等兵は胸の前で両腕を交差させ、一階へ駆けていった。玄白僧都中尉も敬礼して頭を下げると、平井二等兵の後を追った。
「ピョートル律師一等兵」僧都中尉が一階に降りて行くと、トップクン僧正少佐はピョートルを呼んだ。「ちょっと、私と一緒に来なさい」
玄白中尉は平井二等兵がイグニッションキーを回して浮上させたばかりのホバーに小銃を抱えて飛び乗った。
「急げ!急いでトレーラーを止めろ!」玄白中尉は助手席に深く腰掛けた。
平井二等兵はアクセルをベタ踏みして推進ファンを唸らせた。装甲ホバーはグンッと加速してトレーラーへ向かって飛び出した。
しかし、十秒も経たないうちに僧都中尉は突然空を見上げ、目を見開いて平井二等兵へ叫んだ。
「止めろ!」
平井二等兵はアンカーブレーキを地面に食い込ませて急停止した。
「どうしました?」平井二等兵はきょとんとした顔で僧都中尉に振り返った。
「精密工具セットを忘れた」僧都中尉も平井二等兵を振り返った。「あれがないとビーコン発信機を取り外せない。すまないが、戻って取ってきてくれないか。ワシは先に言ってトレーラーを止めておく」
「了解しました。すぐに取ってまいります。お待ち下さい」
平井二等兵は運転席からヒラリと降りて、検問館へ向かって走り出した。
玄白僧都中尉は助手席から運転席に移ると、アンカーブレーキを解除してホバーをトレーラーに向けて走らせた。パッシングを繰り返し、クラクションを鳴らしながらアクセルを踏み続けた。
「待てっ!止まれ!」僧都中尉は叫んだ。
やがてトレーラーはそれに気付き、スピードを緩め、車体を左に寄れると停車した。僧都中尉のホバーはその数メートル先で地面に擦れ付きながら止まった。
「どうしました?あの攻撃はなんですか?」運転手が防弾ガラスのサイドウインドウを下げて顔を出した。
「判らん。多分西の奴らだ。そのトレーラーに発信機が取り付けられている可能性がある。調べるから、急いで出てくれ」僧都中尉はトレーラーに駆け寄った。
「今すぐだ」
僧都中尉は運転席の後ろにある昇降用の鉄梯子をよじ登った。
「そんな、発信機なんてある訳ありません。こっちはいつだって三重チェックをしてるんです。大体、降りる必要なんか───」運転手の言葉は途中で遮られた。言葉が凍りつき、動けなくなった。
運転手の眉間には軍用拳銃の冷たい銃口が押し付けられていた。
「それが、あるんだ。わしがさっき取り付けたからな」僧都中尉の眼はギラギラと、爬虫類の眼のように冷たく光った。
玄白僧都中尉の指がゆっくりとトリガーを引いていった。
パーーーーーン。
乾いた音が不毛の荒野と、広すぎる空の中に広がっていき、乾いた土にこだました。
ズサリ、と大きなズタ袋が地面に落ちる音がした。
数十メートル離れて、停止したホバーの運転席には、ピョートル律師一等兵が、その隣の助手席には将校用のロングバレル拳銃に簡易ストックを取り付けてトレーラーに銃口を向けたトップクン僧正少佐が立っていた。
その銃口からは薄紫の硝煙がたなびいていた。
「お見事です。僧正少佐」ピョードルはハンドルを握りしめたまま呟くように褒め称えた。
ピョートルはゆっくりとホバーをトレーラーに近づけた。
「大丈夫か?怪我はないかね?」ホバーがトレーラーの真横に着くと、僧正少佐は運転手たちに尋ねた。
「おかげさまで。見事な腕前で、僧正少佐」運転手はドアを開けて飛び降りた。
自分らでなんとかしようと思いましたが、それには僧兵様からこちらへ銃を向けてくれないと、反撃ができませんでした。僧兵を民間人が理由もなく撃ち殺したりしたら、私らは断罪されるでしょうからね」
飛び降りた運転手のその手には護身用の小型拳銃が握られたままだった。ずっと隠し持っていたのだろう。
僧殺しはこちらでは重罪だ。それ以上に僧を騙る罪は大きい。
いつの間に運転台から移ったのか、荷台の上でうつ伏せになって隠れていた二人の護衛も顔を上げた。その胸の下には小銃を抱えていた。
「いつから気付いたんですか?僧正少佐。彼が西のスパイだと…」運転手はそう言うと細い葉巻を胸ポケットから取り出して口に咥えた。
「かなり前から、薄々勘付いていたが、決定的な証拠がなくてな」トップクン僧正少佐は中尉の死体を軽く蹴った。「龍泉教の寺門を潜った僧を安易な理由で疑え無いからな」
「それで決定的な証拠はあったんですか?」
「奴があの戦闘機の正式型式を知っていたことだ。あれは依頼主の海軍でさえ、一部の関係将校しか知らない型式名だ。僧兵の中尉ごときが知っているわけはない」
「成る程」運転手は耐水マッチを擦って、葉巻に火を点けた。「トレーラーの何処かにコイツが発信機をつけたそうです。それも証拠になるでしょう」
僧正少佐は深々と頷いた。
「この死体、どうします?」荷台から飛び降りてきた赤鼻が尋ねた。
「このままにして、そのまま海軍に明け渡す。その前に発信機を取らねばな。工兵をよこすからそのままここで待っててくれ」
「了解しました」三人は声を揃えて答えた。
「さぁ、後もう一仕事だ」僧正少佐はピョードルに言った。「海軍に伝令を出し、発信機を取り除く…。忙しくなるな」
ピョードルは黙って頷いた。
「その前に熱いお茶でも飲みたいな。検問所に戻ろう、ピョードル律師一等兵」
「はい、トップクン僧正少佐」
ピョードルはそう言うと、ゆっくりホバーを発進させた。
南風が少し強くなってきた。風には微かに有害ガスと焼けた土の匂いが混じっていた。
空は相変わらず、皮肉な青さで広がっいてた。漉いたような雲が所々うっすら白く伸びていた。
ピョードルは風に流されないように制御翼を巧みに動かして、検問館へ続く緩やかな坂道を登っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます