Dragon-Jack Co. 美春の恋
千葉 琉
第1章 お子様じゃないもん!
「ストーカーに狙われてる?」
耳を疑った。その後、笑ってしまった。
「美春が自分でそう言ったの?」
健太の問いに、従兄がうなずく。
ここは、健太が普段から“別宅”と呼んで入り浸っている、従兄・山本健司のマンションだ。健司本人がいようがいまいが、第二の勉強部屋として使わせてもらっているが、今日は珍しく部屋の主がいた。健太のテスト勉強が一段落した後、二人で話をしているうちに、妹・美春の話が出たのだった。
「そんな話、本気にすることねえって」
中学2年の妹は、最近、特に自意識過剰気味だ。
「あいつ、最近妙に色気づいちゃっててさ」
友達の影響かもしれないが、誰が誰を好きだとか、誰が付き合ったとか別れたとか、家でもそんな話ばかりしている。
「美春、いつけん兄にそんな話したの?」
「昨日」
健司が答えた。
「学校まで来てくれって、呼び出されたんだ」
* * *
健司によると、数日前の5月5日、竹中家で健太の誕生日会が催された折、宴会の料理担当だった健司と美春は、台所で準備をしながらいろいろ話をした。
その時、美春が“相談したいことがあるから”と、平日の予定を尋ねてきたと言う。
「平日って、けん兄、大学か研究所だよな」
健司は大学院の博士課程に在籍しつつ、都内の生物学研究所に通っている。
美春もそれは分かっていて、ダメ元で尋ねたようだったが、ちょうどその翌週、研究所のメンテナンスで、健司が平日休みという日があった。それを知った美春は放課後会ってほしいと健司に頼んだ。
「校門の前で待っててくれ、って」
しかも、愛馬のハーレーに乗って来てほしいと言ったという。中学校と健司のマンションは徒歩数分の距離なのに、だ。
その呼び出しが昨日のこと。
「一応、言われた通りにしたんだけど」
校門から少し離れたところで、単車を停めて待っていると、そのうち他の生徒たちがぞろぞろ出てきた。彼らが遠慮なく送ってくるもの珍しそうな視線が嫌だった、と従兄は言った。
15分くらい待ったところで、美春が出てきた。嬉しそうな顔で駆け寄ってくると、美春は健司に飛びついた。
「“このまま、どこかに連れてって”って言うんだよ」
「連れてって、って言われてもなあ」
健太と同じような言葉を、その時の健司も美春に言ったらしい。そもそも健司のハーレーは二人乗り仕様になっていない。
「美春、後ろに乗れないってこと、忘れてたらしいんだ」
「あいつ制服のまんま、メットもなしで乗る気だったのかな」
バカだなあ、と思わず健太が口にすると、
「たぶん、そこまで考えてなかったんじゃないかな」
従兄がフォローした。
単車の後ろに乗せてもらえないと分かった美春は、あからさまにがっかりしたが、すぐに立ち直ると、今度は“お茶しようよ”と言い出した。健司がうなずいたところで、美春の友達らしき女子生徒数人がやってきた。
「何か面倒くさいことになりそうな気がしたからさ」
渋る美春を促して、すぐにその場を立ち去ったと言う。近くの喫茶店まで歩いたということは、ハーレーを押しながら行ったわけだ。けん兄ごめんな。健太は、妹の代わりに心の中で詫びた。
美春がわざわざ自分を呼び出すほどの相談とはいったい何だろう、と思っていた健司だったが、席に着いた美春が開口一番言ったのは、
“けん兄、恋人いないの?”だった。
「何だよ、それ」
健太は妹の台詞に呆れたが、実を言うと、それは健太自身、いつか健司に聞いてみたいと思っていた質問だった。
17歳の健太が、実の兄以上に慕い、大師匠と仰ぐ25歳の従兄は、頭脳明晰、長身長足、家事万能ときて、とどめが“容姿端麗”だ。街を歩けば、すれ違った女性が何人も振り返るし、健太が小学校低学年のころ、当時高校生だった健司が女子学生の大群に追っかけまわされているのを見たことがある(ものすごく不快そうな顔をしていた)。
それほどの美形でありながら、今まで、健司に恋人がいるとか、誰かが好きだとかいう話は、本人はもちろん両親からも一度も聞いたことがない。健太が“別宅”つまり健司が一人暮らしをしているマンションへ出入りするようになってから3年ほど経つが、部屋の中に、女性の影はまったくなかった。
恋人は? という美春の問いに、健司はどう答えたのか。聞いてみた。
「いるよ、って答えたよ」
「マジで?」
これは大ニュースだ!
ほら、と健司が指差す方を見る。部屋とキッチンとの境に置いてある60センチ水槽。
「でめこが俺の恋人だ」
「やっぱり……」
そんなことだろうと思った。
健太は頭を抱えた。でめきんが大好きで金魚の博士になったような人だからな。
「でめこは、恋人じゃなくてペットだよね?」
健太が言うと、従兄は少し不服そうな顔をした。
「美春も、今の健太とまったく同じセリフを言ったよ」
「だろうね」
「でも次のセリフを健太が言うことは、絶対にないな」
「あいつ、何て?」
「“じゃあ、わたしが彼女になってあげる”って」
「ぶは」
何考えてんだ、あいつ。
当然ながら、健司は言ったそうだ。
“美春は従妹なのだし、13歳のお子様に興味はない”
すると、
“お子様じゃないもん!”
美春はえらい剣幕で怒り出したらしい。
“わたし、もう、ちゃんと女だもん!”
「ちゃんと、って」
健太は思わず額に手をやった。これは家で赤飯出す? みたいなライトな意味でいいんだよな。
「美春には言わなかったけど、俺、お前たちの面倒みてたから」
美春が赤ん坊の頃は、抱っこをして寝かしつけたり、離乳食を食べさせたりしたこともあったらしい(健太の場合は、おむつ交換もやったと言われた)。すごく申し訳ない気になってきた。
で、すっかり熱くなった美春が、言い出したのがストーカー云々の話だった。
学校では、たくさんの男子に声をかけられて困っている、中にはストーカーみたいな気持ち悪いのもいて、怖い思いをしているのだ、と。
「さすがに、心配になってさ」
ちゃんと話を聞こうと思い直した健司を残して、怒った美春は店を出て行ってしまった。
「まさか」
家での美春を見る限り、ストーカーに悩んでいるような様子はまったくない。
「引っ込みつかなくなって、嘘ついたんじゃねえかな」
「そうなら、いいんだけどさ」
一応、そっちでも気をつけてやってくれないか、と頼まれた。大師匠の頼みなら聞かないわけにはいかない。健太はうなずいた。
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