無色の眼

シオン

潔癖過ぎる男

朝、肌寒い冷気に身を震わせながら繁華街を歩く。ダッフルコートのポケットに忍ばせていた飲み物で身体を温める。やはり12月だからか外は結構寒い。


しかし家にいても暇なので、寒くとも外を出歩くくらいしかやることがない。


前方に学生服を着た男女の集団が歩道を占拠したかのように広がって登校していた。俺の時代でもいたが、どうして子供というのは道を我が物顔で歩くのだろうな。


子供が道を飛び出して車に轢かれても責任はその車の運転者になる。運転者に非が無くともだ。そんな馬鹿な話が日本では当たり前のように正しいと思われている。


ロクによく考えない多数派によって。


人は集団に属することで物を考えなくなる生き物だ。立場の上の人間が言ったこと、周囲の人間が信じていることを当たり前だと特に疑いも持たず従う。


たとえ可笑しな話も集団の中では正常と化す。それが国レベルなら尚深刻だ。


集団に属するということは、集団の色に染まることだ。


集団に属するということは、個を捨てるということだ。


故に俺は無職であり、何者にも染まらない無色だ。高校を卒業して8ヶ月、冬川 健治は未だ定職には就いていない。



「あまり生徒をじろじろ見ないでください。不審者として通報しますよ?」


凛とした声が後ろから届いた。少し溜め息を漏らし振り向く。


後ろの少女は前方の学生と同じ学生服を着ていて可愛らしいが、あまり好意的ではない眼でこちらを睨んでいた。


「愛か。今から学校か?」


「的場です。はい、学生なので」


的場 愛。冬川 健治の一個下の後輩であり、俺の母校の常情中央高校に通う3年生だ。


「青春を謳歌しているようで何より。受験勉強は順調か?」


「大学受験をしたことのない先輩に言っても仕方ないですよ」


的場は眼を逸らし嫌そうな顔で答える。そんなに嫌なら話しかけなければいいのに。


「そうだな。お前はこうならないよう気を付けろ」


「……まあ、特に問題なく出来ています。私は優秀なので」


「それを自分で言う辺りはまだまだ未熟だな」


「むっ、私より一年多く生きているだけの人間が妙に先輩顔しますね」


「そりゃあ先輩だしな、偉ぶりたいから先輩面もする」


「そんな人には先輩顔されたくないなぁ」


本気で嫌そうな顔された。ただの冗談なのに。


「ところで先輩、先程うちの生徒を見ていましたが、とうとう学生に戻りたいと思い始めましたか?」


「なんだその『いずれそうなるだろうな』みたいな予想は」


「だって先輩いつも一人で寂しそうだから」


「おあいにく様、一人で充実しているよ。それに、もう二度と学生にはなりたくない」


あれほど酷い集団生活もない。同じ年という理由で集めただけの人間の集まり。頭ごなしの教師。平等に特化した環境。駄目にならない訳がない。


「…………そろそろ学校に行ったらどうだ?遅刻するぞ」


「ですね。では先輩、また会った時に」


「あぁ、縁があれば」


的場は早足で学校へ向かった。俺も宛もなくどこかへ歩いた。



町を彷徨う。それしかやることがないから。


的場と別れた後、10分程歩いた先に見つけたカフェに入りコーヒーを飲みながら小一時間程腰を降ろし身体を休め、カフェを出たら外は雪が降っていた。


やや猫背気味になりつつ歩き出し、途中見つけたコンビニで暖かい飲み物を購入し飲みながら歩き続けた。


俺の日常はそれだけだ。ただ独り、目的もなく町を歩き続ける。無意味かもしれない。でもそれでいい。


働くことが馬鹿馬鹿しい……とは思わない。むしろ尊いことだと思う。人のために働く。自分の為に働く。大いに立派。


ただ問題は人と共に働くということだ。俺は生粋の人嫌いだ。全ての人が嫌いとは言わないが、8割近くの人は嫌いだ。


働くというのは人と協力することと同義だ。故に影響を受けるし与えるものだ。そうやって人と絆を結び成長する……とは思わない。


影響は影響でも悪影響もあるのだ。そんなものを受けたら今度は自分まで嫌いになりそうだ。特に嫌いな人間とは顔も見たくない。声も聞きたくない。


働くというのは否応なしに集団に属することになる。様々な影響を受け、段々と汚れていくくらいなら、俺は一人でいることを選ぶ。



「ふーん、なんか面倒なこと考えているね」


「潔癖なんだよ。今さらどうにもならない」


放浪中、仕事に精を出していた五十嵐 順と予期せず会い、一緒に昼飯を食べていた。


五十嵐 順は高校時代のクラスメイトだが、今は薬品会社の営業をしている。人嫌いの俺にはとても出来ない仕事だ。


「影響とか気にしなきゃいいじゃん。悪影響だって嫌悪する程のものでもないし」


「理屈じゃ解るがな、やっぱりそういったものは受け付けないんだ。気持ち悪いしさ」


それにいつしか抵抗も無くなり気にしなくなるというのも少し恐く思う。今の自分を無くしそうで。


「まあ解っていてもどうにもならないってのは解らなくはないがな。ただ人間関係なんて要は相手の嫌な部分を容認することでもあるからさ、そんな嫌悪ばかりしていたらいつかはひとりぼっちになっちまうぜ」


「いいよ、俺は一人が良いんだ」


「そんなの一人になったことがないからそう言えるんだ。実際に一人になったら寂しくて人恋しくなるものさ」


「そういうものかね」


「そういうものだ」


それでも、人の輪の中に入ろうとは思わないだろう。この人嫌いはきっと死ぬまで変わらないだろうし、人と上手く関係を持てる気もしない。


俺はきっと一人で生きていくべく生まれたのだろうから。



五十嵐と別れた後ただひたすら歩いた。かなり雪が吹雪いていたが、気にせず町を彷徨う。


先程の五十嵐の会話を思い出す。人間関係は影響を許容するもので、それをいちいち気にしては疲弊してしまう。


この世界を生きるには人との関係は不可欠だ。一人では生きられない。集団に属する以上、人との関係は結ばざる得ない。


その事実を俺は許容出来ない。理屈じゃ解るが受け付けないんだ。人と生きるには潔癖過ぎてやっていけない。


誰の色にも染まりたくはない。誰の影響も受けたくない。


昔、ありふれた雑多な色に染まった友人達を見てから、俺は人間を嫌悪した。


こんな人間になりたくないと思ったから。



「先輩?」


「ん?」


振り向くとそこに的場が傘を差してこちらを見ていた。何やら驚いたような眼でこちらを見ているが、どうしたのだろうか?


「どうした愛、学校帰りか?」


「的場です。そうですが、この吹雪の中どうして傘を差さないんですか?」


「傘差すの面倒だから」


「…………はぁ」


呆れたように溜め息を吐いた的場は、こちらに近付き頭の雪をほろった。


「馬鹿ですか?風邪引きますよ」


「いつも寒い中歩いているんだ、この程度では風邪なんか引かん」


「引くときは引くんですよ。一緒に帰りましょう、私の家に着くまで相合い傘してあげます」


「…………あぁ、いいよ」



的場と並んで歩くのはいつぶりだったか。ある時期から仲が悪くなったので、それ以降は全く一緒にいることは無いのだが。


「先輩はいつも日中はどうしているんですか?いつも外で見かけますが」


「散歩だよ。ただ宛もなく」


「毎日ですか?」


「毎日だよ」


「…………足の筋肉すごいことになっていそうですね」


まあ地味に足の筋肉はあったりする。そりゃ毎日歩いているし。


「いつも一人でいるみたいですが、本当に寂しくないんですか?」


「朝も言ったろ。一人で充実してるって」


「……先程の後ろ姿が哀愁を漂わせていたので」


「あぁ、流石に傘も差さずに歩くのはまずいか。本当に不審者と見られても嫌だ」


「そうじゃなくて、本当は寂しいから外を歩くんじゃないかって思って……」


「………………」


何も答えない。別に虚を突かれたから黙った訳ではない。


「……私、卒業したら東京の大学に通うんです」


「上京か。良いじゃないか、新しい出会いと環境が待っているぞ」


「先輩も……来ませんか?」


「…………俺もか」


「どうせ働いていないんだから一緒に付いてきても良いじゃないですか。それに新しい環境に一人は寂しいものです」


「………………」


少し揺らぎそうになる。特にこの町に未練や愛着は無い。それに的場なら、もしかしたら上手く関係を作れるかもしれない。


「魅力的な提案だな」


「なら……」


「だが、断ることにする」


……ちょっとだけ、そう思っただけだが。


「……そうですか、そう言うと思ってました」


「あぁ、昔言っただろ。俺は人嫌いだ。お前は好きだが、深い関係にはなれないって」


「………………」


「新しい環境になれば新しい出会いもある。そこでいい人でも見つけろ。こんなろくでなしじゃない男をな」


「……はい」


お互いの傷に塩を塗り込むように、心臓に刃物を突き刺すように、言った。


もしかしたら良い関係を作れる。しかし結局は破綻すると思ったからだ。



的場と別れた後、少し歩いたところ懐中時計を開いた。時刻は午後7:00。空も暗い。そろそろ帰ろうと思い自宅へ足を向ける。


これで的場とはもう会わないだろう。寂しいことかもしれないが、これでまた一人に近付いた。


これでいい。そう自分に言い聞かせ帰路に向かう。




おわり

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