二 ライバル
二 ライバル
翌日の木曜日も快晴だった。
三時間目の授業は日本史で、授業を受け持っている教師が次々に生徒を名指しして問題を出しては回答を迫っていく。まもなくノッポの番がやってきたので、ノッポはすらすらと答えた。関西弁で、である。
それを聞いた日本史の教師は目を丸くした。
「おう、ノッポ。おまえ、いつから大阪の人間になったんだ」
「先生、ぼく関西弁喋らんと死んでしまう病気にかかってしもうたんです」
すると教師は肉付きのいい顎に指をあて、顔をしかめながら舌打ちした。
「今のは駄目だな。面白くない」
「そうですか。ほんなら、どうしたらええでしょう?」
「もっと大きな志を持て!」
「わかりました」
ノッポは奥歯を噛みしめて笑い、握り拳を胸の前に掲げて力強く宣言する。
「卒業するまでに、この学校の生徒全員に関西弁を喋らせてみせます!」
「いやや!」
クラスメイトたちが一斉に拒絶の声をあげるや、鉛筆やら消しゴムやらがノッポを目がけて飛んできた。なんと素敵なクラスだろう。
放課後、ノッポは教室に居残ってツンデレとお笑いのネタについて意見を出し合っていた。ノッポが自分の席に横向きに座り、その前にツンデレが立っている。話が佳境に差し掛かったとき、出し抜けに教室の前の扉が勢いよく開かれた。
「失礼」
その張りと艶のある声には聞き覚えがあったので、ノッポとツンデレは二人打ち揃って声のした方を振り向いた。そこにはツンデレと並んでも見劣りしない、満月のような美少女が立っていた。背は高く、艶やかな黒髪を腰まで伸ばしている。一文字に切り揃えられた前髪の下の目は涼しげな切れ長で、ぷっくりとした唇が今は鋭い微笑を浮かべていた。肌は見ているだけでこちらが寒くなるほど
「なんや、お嬢やないか」
お嬢、というのもまた綽名である。本名はもっと仰々しい。だけあって家柄も由緒があり、しかも素封家で、美貌と明晰な頭脳とに恵まれた才媛だった。だがお嬢と呼ばれるのはそうした背景のためではなく、ひとえに本人の性格ゆえである。
お嬢はふふんと笑って蓮歩を運び、ノッポたちに近づいてきた。
「噂で聞いたのよ、あなたたちが変なことを始めたって」
「わざわざ隣のクラスからご苦労様。でも大したことじゃないから」
ツンデレはそう素っ気なく答えたが、ノッポはもう少し愛想よくしてもいいのではないかと思って正直に述べた。
「町内のお笑い大会に出るんや」
「それでその言葉遣い? 付け焼き刃がうまくいくといいわね。オーッホッホッホ!」
お嬢は口元に手の甲をもってきて、平らな胸を反らして哄笑を振り撒いた。今どきここまで古典的な高笑いをする女は、日本でもこのお嬢くらいのものであろうと、ノッポは内心睨んでいる。
ところでツンデレとお嬢は折り合いが悪い。顔を合わせればしょっちゅう喧嘩ばかりしている。小中学校は別々ということだから古い因縁があるわけでもなし、いったいどうしてここまで不仲になったのか。ノッポが不思議に思っていると、案の定、二人は燃える
「庶民のくせに生意気なのよ!」
「開口一番それ? まったく理屈がわからないわね。あんたわたしにいちゃもんつけたいだけでしょ。こっちは生活がかかってるんだから、邪魔しないでくれる?」
「生活?」
切れ長の目を丸く見開くお嬢に、ノッポが傍から云い添えた。
「優勝賞品はカップラーメン一年分や」
お嬢は切れ長の瞳をまたたかせると、理解が及んだのかまたぞろ例の高笑いをあげた。
「オーホッホッホ! 庶民は哀れねえ。カップラーメンってあれでしょ? お湯を注いで三分で食べるインスタントな代物でしょう? わたくし、食べたことないわ」
「ほんまかいな!」
「本当よ。庶民の食べ物なんてそうそう口にする機会はないし、ましてインスタント食品なんてわたくしの美意識に反するのよ」
お嬢は高飛車にそう云ってのけた。半ば呆れ、半ば感心するノッポの横で、ツンデレが歯ぎしりしながら云う。
「ほんと、お金持ちに生まれた人は羨ましいわ。でも勘違いするんじゃないわよ? あんたが偉いんじゃなくて、あんたの親が偉いんだからね」
「ふっ、負け惜しみね。貧乏な家に生まれた人って、本当かわいそう」
ツンデレの目が剣呑な光りを帯びる。脚がうずき出しているようだった。ノッポはそれを見て、お嬢を助けようと思ったわけではないが、話に疑問を挟んだ。
「なあ、お嬢。お嬢はなんでそんなにツンデレに突っかかるねん?」
ツンデレとお嬢の視線が、椅子に座るノッポに集まる。二人の美少女に見つめられながら、しかしノッポは好奇心を前へ押し進めた。
「ツンデレがお嬢を嫌う理由はわかるねん。単純に貧乏人のひがみやろ。でもお嬢がツンデレを嫌う理由、これがわからへんのや。ぶっちゃけお嬢にしてみりゃ、ツンデレなんて蟻ん子やないか」
「誰が蟻ん子よ!」
閃光魔術が炸裂した! 天井に叩きつけられたのち床に落ちたノッポは、死にかけの虫のような動きで椅子を元に戻し、その座面に肘をのせた。
「ツンデレ……おまえ、いつかその蹴りで人殺してしもて、手が後ろに回るで」
「うるさいわね!」
ぷりぷり怒るツンデレにそれ以上取り合うのをやめて、ノッポは椅子に座り直すとお嬢を見上げた。
「それで質問の続きや。お嬢がツンデレにこだわる理由、知りたいなあ」
するとお嬢は腕を組み、ノッポをこれ見よがしに見下ろしてきた。
「あなたに話さなきゃならない理由はないわね」
「それなら私がお教えしましょう!」
と、第三者の声がして、お嬢の後ろから小柄な可愛らしい少女が顔を出した。
うおっ! とノッポは驚きもあらわに椅子から腰を浮かせた。
「なんや、黒江ちゃん。いたんかいな」
「はい。私はいつでもお嬢様のお傍におりますよ」
と、にっこり笑ってお嬢の斜め後ろに品よく立ったのは、
おかっぱにした黒髪は首筋に向けて上品な曲線を描き、どことなくヘルメットを被っているようにも見える。瞳は大きく、猫を連想させた。メイド服を着ているのは、黒江がお嬢の家に住み込みで働いている使用人一家の娘だからだ。お嬢の家が学校側に話をつけたらしく、一人だけ制服ではなくメイド姿で登校し、校内でもお嬢の世話をしている。
だからメイドという綽名がついても良さそうなものなのに、彼女はなぜかごく当たり前に名前で呼ばれていた。きっと常識人だからだろうと、ノッポは思っている。
黒江は胸を張って得意気に語り出した。
「お嬢様がツンデレさんを嫌う理由は単純にして明快ですよ。それは――」
「黒江、うるさいわ!」
お嬢の痛烈な声が鞭となって黒江を打ち据えた。黒江はびっくりしたように目をぱちぱちとまたたかせ、囁き声に切り換えて続けた。
「お嬢様がツンデレさんを嫌う理由はですね」
「声が大きいって意味で云ったんじゃないわよ! おだまりなさい、黒江! 余計なことを喋ってはだめ!」
すると黒江は残念そうに唇を尖らせ、「はーい」と稚い返事をした。
まったくもう、と小さく憤りながら、お嬢はツンデレに尖った眼差しを据える。
「わたくしがこの娘を気に入らないことに理由なんてないわ。とにかく、このツンデレは――」
お嬢はそこで言葉を切って、ツンデレを頭頂から爪先までつくづくとねめつけたのちに、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
「わたくしの宿敵なのよ」
「迷惑なんですけど」
ツンデレが渋面をつくる。
そのときノッポは、頭を掠めた思いつきをそのまま口にしていた。
「なあお嬢。結局ようわからへんが、お嬢がツンデレを宿敵や思うなら、いっちょ勝負せえへんか?」
「勝負ですって?」
「おう。俺たちの出るお笑い大会、お嬢も出てみい」
「お笑い?」
はっ、と顔を横向けたお嬢が鼻先でノッポをせせら笑う。
「どうしてこのわたくしが、そんな低俗なことをしなくてはならないの?」
「なんや、負けるんが怖いんか?」
「なっ!」
ちょっと揶揄するような声色を使うと、お嬢は簡単に食いついてきた。切れ長の美しい瞳に、みるみる負けん気が漲っていく。そんなわかりやすい反応が面白くて、ノッポはことさら馬鹿にするように云った。
「まあそれならツンデレの不戦勝っちゅうことでしゃあないな」
「似非関西弁なんか喋って! 憎らしいノッポね! いいわよ、やるわよ。目にもの見せてさしあげるから覚悟なさい。それでそのなんとか大会はいつどこでやるのよ?」
「町内お笑い大会や。地元商店街の企画で、来る一月最終日曜日、商店街の一隅に設けられた特設ステージで開催やと。本番当日まで二週間もないで。ほんまに大丈夫か?」
「ふっ。愚問ね」
「そんなこと云ってお嬢様、お笑いのいろはなんかなんにも知らないでしょう?」
黒江のその指摘に、お嬢はぐっと声を詰まらせた。しかし黒江はそれを見越していたかのように微笑んで自分の胸を叩く。
「ですがご安心ください、お嬢様。私が一肌脱ぎましょう」
一同の耳目を集めた黒江はこほんと咳払いをし、胸を張り、メイド服のスカートの前で両手を重ねて朗々と云った。
「よろしいですか、お嬢様。お笑いといえばコンビを組むのが普通です。お嬢様の相方は私しかいません! 幼少のみぎりよりお嬢様のお世話をしてきた私とお嬢様の相性は抜群ですよ!」
「せやな。コンビ名はお嬢とメイド。決まりや!」
ノッポがそうたたみかけると、黒江ははしゃいだ黄色い声をあげた。そんな黒江をお嬢は胡乱な目で見ていたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「……ま、他に適当な人材もいないし、妥協するしかないわね」
「もう、お嬢様ったら」
黒江がお嬢に軽く腰をぶつけた。
「私ほどお嬢様のことを理解している人間はいませんよ? 妥当どころか超適任です!」
黒江の猫目に綺羅星が瞬いたような気がした。
「まあたしかに、あんたたちは馬が合ってると思うわよ」
ツンデレがお嬢と黒江に剃刀のような視線をあててそう述べた。
「よっしゃ!」とノッポが膝を打つ。
「ほんなら試しになんかやってみい」
「そう云われても、急には無理よ。わたくしお笑いなんて」
お嬢は舟を漕ぐに際して初めて
「お嬢様。お笑いの基本はボケとツッコミですよ。私がボケますのでお嬢様が突っ込んでください」
するとお嬢はほっとしたように微笑んだ。
「それなら、わたくしにもできそうね」
「はい、お嬢様。なんの取り柄もないわがままお嬢様にも、それくらいはできますよ?」
「なんですって!」
お嬢はたちまちまなじりを吊り上げ、その場で床を思い切り踏みつけた。すると黒江はころころとのどかな笑い声を立てて、ささやかな拍手をした。
「お嬢様、ナイスです」
「は?」
「いやですねえ、お嬢様ったら。おわかりになりません? 即興でやったお笑いですよ」
するとお嬢の顔から険が抜けて、代わりに理解の色が広がっていった。さすがに頭の回転は速いらしい。
「ああ、そう。それはすまなかったわね」
「いえいえ」
あくまでにこやかな黒江を尻目に、お嬢は考えを口に出して纏め始めた。
「つまり今のがあなたのボケで、それにわたくしがツッコミを入れたと、そういうわけね?」
「はい、その通りです」
黒江の微笑みを伴った肯定を受けて、お嬢は得意気に頷いた。
「なるほど、よくわかったわ」
その瞬間、黒江の顔が疲れ果てたように歪んだ。
「ったく、タカビー女は世話が焼けるぜ」
「今、なんつった!」
たちまち黒江に噛みつかんばかりに顔を接するお嬢だが、黒江はもう柔和な微笑みを仮面のようにつけていた。
「だから、お笑いですよ。お、わ、ら、い」
「そ、そう?」
「はい。これからは万事がこの調子で、日常的にボケとツッコミの訓練をしていきましょうねえ、お嬢様。それではノッポさん、ツンデレさん、ごきげんよう」
黒江はのどかに笑って、まだどこか戸惑った様子の抜け切らないお嬢の背中を強引に押して教室を出て行った。
「かかか」
と、笑い声をあげたのはノッポである。
「あの二人、ええコンビやで。おうツンデレ、面白くなってきたんちゃうんか?」
「そうね。……って、ライバル増やしてどうすんのよ!」
閃光魔術が炸裂した!
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