和三盆の矢

 新緑の美しい、とある休日の午後のことである。

 郊外の閑静な住宅街の中で、一際大きな家を構える芼莉もうり家。その現当主である芼莉三枝晴もうりみえはるが、自らの子息三兄弟を呼び出していた。


 居間に並んで座らされた兄弟は揃って訝しげな顔となり、背の低い机を挟んで鎮座する三枝晴を見つめる。しかし三枝晴の表情は崩れず泰然とし、幾多の戦を戦い抜いてきた猛者であることを示していた。


「それで、何だよ話って。俺、今日この後彼女とデートの約束あるからさ、早くしてくんないかな」


 始めに口を開いたのは、昨年社会人になった長男、一郎である。大学生の頃は金髪のロン毛に華美な装飾を好む近所では有名な遊び人であったが、就職にあたり見た目は随分と落ち着いている。しかし中身までは変わらないのが人間で、プライベートに戻った途端に口調は荒れ、酒と女を求め夜の街に出歩くような人間であった。


 ゴチャゴチャとした腕時計を何度も大袈裟に見る素振りに、下の兄弟達は眉間に皺を寄せる。しかし三枝晴は微塵もうろたえず、力強い眼光を向ける。


「いいか、今から行うのは芼莉家にとって何よりも大事な儀式なのだ。お前の女遊びなど、食べ終わった後に残るバラン程の価値しかない」

「は?何だよその言い方は__っ!?」


 反抗を試みた一郎だが、その動きが止まる。三枝晴が一瞬だけ放った、強大な殺気。修羅を思わせるその威圧に、命の危機を感じた一郎は口を結んだ。


 ごほんと咳き込み、三枝晴は体を翻す。


「おい、あれを持ってこい」


 かしこまりました、との声から間もなく三枝晴の妻、つまり兄弟達の母が居間に現れる。その手には上等であろう藤色の風呂敷に包まれた、細長い何かが収まっていた。妻はそれを三枝晴の前に置くと、頭を下げ居間から立ち去っていく。


 三枝晴が兄弟三人それぞれに目を配る間、居間には秒針の音のみの静寂が流れる。


「すぐにでも本題に行きたいところだが、こうして兄弟が揃うのも久々だ。それぞれの近況報告から入りたい。まず一郎、仕事はどうだ」

「仕事って……別に、普通にやってるよ」

「上司とは上手くやってるのか」

「当たり前だろそれくらい、バカにすんじゃねぇ」


 言った後でさっきの殺気を思い出す一郎であったが、三枝晴はただ真っ直ぐな目を向けるだけで、それを咎めることは無く、ほっと胸をなで下ろした。


「なるほど……次郎はどうだ?来年からは社会人だが、不安は無いか?」


 次に話を振られたのは次男、次郎である。経済学部に通う大学四年生で、以前の兄ほどチャラついてはいないが、それなりにお洒落には気を使って見える。次郎は既に、大手商社から内定をもらったと三枝晴に報告していた。


「あんまりかな。ほら僕、コミュニケーション能力が取り柄みたいなところあるし。人間関係とかの不安は無いよ」


 飄々とそう答える次郎。三枝晴は頷き、さらに隣の三男、三郎に焦点を合わせる。


「三郎はどうだ、受験は大丈夫そうか?」

「それが……その、あんまり良くなくって」


 三郎は外交的な上の兄達に比べ大人しく、自己主張の控え目な人間である。友達も少なく、近所の人達からは上の二人と比べられることがしばしあった。


「そう慌てるな三郎」

「そうだ、何もマイナスに考えることはないだろう」


 上の兄達は三郎を鼓舞する。それがかえって嫌で、三郎は背中を丸める。そんな様子を、三枝晴は静観する。


「__ま、この程度で良かろう。これより、芼莉家に代々伝わる伝統の儀を執り行う。特に三郎、お前は心して聞くように」

「分かりました……」


 名指しされた三郎はおっかなびっくりに答える。

 三枝晴は風呂敷に手をかけ、その結び目を外す。広げて中から出てきたのは、三本の白亜の矢であった。矢尻から羽まで同一の素材でできており、窓から差し込む陽光に柔らかな光を反射していた。


「これは?」

「和三盆の矢だ」

「和三盆?三本じゃなくて?」


 一郎の問いに、そうだ、と三枝晴は短く返す。


「かつてここより北、山向こうの地を治めていた武士の家系。それこそが芼莉家であることはお前達も知っての通りだ。そして、実は当時の逸話が残っている。それがこの『和三盆の矢』だ」

「もしかして、三本合わされば折れないとか言うんじゃないよね?」


 次郎が問う。


「そうではない。これはむしろ、もっと教訓じみているものだ」


 ふぅ、と一息を挟み、目を閉じてから三枝晴は語り出す。


「時は江戸時代、芼莉家の治める土地は痩せており、他よりも納める年貢が少なく困窮していた。しかし、それを周辺の者達に悟られたくはないと、毎年周辺の藩に贈り物をしていたのだ。それがこの、和三盆の矢なのだ。当時からかなり高価で、わざわざ四国から取り寄せ、その上で京都の有名な菓子職人を招いて作っていたのだ。そんな行為を他にも色々と行っていた芼莉家は、虚勢のまま、困窮で崩壊することになった……ただ、見栄のためだけにな……」


 まるで体験していたかのような重い口調。すると三枝晴は目を開き、一郎を見つめた。


「そして、それは受け継がれる素質なのだ。一郎、会社はもう先日辞めてしまったとその上司から聞いたぞ。それに彼女?いつも一人飲んでるそうじゃないか」

「……!?なんでそれを……!?」


 驚く一郎を無視し、三枝晴は次に次郎を見据える。


「次郎、内定どころか、留年確実と友人から話してもらった。ろくに大学に行かずにゲームしているそうじゃないか」

「なっ……!?」


 次郎は戦慄した。


「実のところ、私も去年リストラされている。昇進など真っ赤な嘘だ。今初めて家族に言った。さらにこの和三盆の矢を作ったせいで私の財布も厳しい」

「「はあああ!?」」


 一郎、次郎が驚愕の声をあげる。

 怒濤の真相暴露ショーに、三郎は身震いして声も出なかった。


「いいか、見栄これは我々に流れる芼莉の血の宿命なのだ。予算の二つ上の物を買う、テストの得点を聞かれた時に水増しする、初めて会った人間にはつい学歴詐称。これも全て芼莉家に生まれた時点で避けられないものだったのだ!だが三郎!」


 声のボリュームを上げながら立ち上がった三枝晴は机を回り込み、三郎の肩を掴む。


「お前はこの芼莉家の特異点、唯一の希望なのだ!一切見栄を張らず、謙虚で思惟深い!お前が芼莉家の未来を担っているのだ!正直兄二人では私と同じ運命を辿ってしまう!頼んだぞ三郎!!」

「おいふざけんなよジジイ何言ってやがる!」「ちょっとあなたリストラってどういうことなの詳しく教えてちょうだい!」「頼む大学だけはちゃんと卒業させてくれよもう友達に言っちゃてるんだよ頼むよ!」


 どこか遠くなる意識の中、三郎は家族達の怒号をぼんやりと聞く。


 遠くに婿に行こう。そう決断した三郎であった。


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