サンタさん、あなたの願いを叶えましょう

犬井るい

前編 あの時といまと私とサンタ

 街往く人々――カップル、親子連れ、同性だけで騒いでいる人も多い。

今日は12月24日。クリスマスイブだ。

 聖なる日なんて言われても、ここ日本だとイベントやパーティーの印象のほうが強いだろう。音楽が溢れ、笑顔が弾け、愛情友情を確かめあう――のは大げさでも、とにかく浮き立つ日には違いない。私がヒールを鳴らしながら通り過ぎたクリスマスツリーも、夜になればきらびやかにライトアップされ、たくさんの人々に思い出を刻む。


 昔の聖人は、資本主義に毒された現状を嘆くだろうか。確実に言えるのは、資本主義が支配する日本では、12月24日が自動的に楽しくなったりはしないことだ。

 大量の商品の流通販売。イベントの企画実行。誰かがこの日を作っているのだ。そして私はそちら側の人間だった。

「――そう、そう。誘導のマニュアルきっちり覚えてたでしょ。大丈夫だから自信持って。じゃ、よろしくね」

 部下の報告を受け、スマホをバッグにしまう間も私の足は止まっていない。今日は午前と午後で現場をハシゴしなくてはならず、最高に忙しかった。

 イベントというものは、ずっと前から策定したプランに従って、プロのスタッフが動く。なにも問題あるはずないのだが、当日はなにが起こるかわからない、というかだいたいなにか起こる。統括者が現場にいないわけにはいかないのだ。


ジングルベル♪ ジングルベル♪ 鈴が鳴る♪

パパー! あれ買って買って買って! 

クリスマスセール開催中でーーすっ

ケーキありまーす。ご家族、恋人、お友達と一緒に、いかがですか~

 サンタのコスプレをしたケーキ売りが声を張っている。学生時代、同じバイトをしたことを思い出してつい頬が緩んだ。 

 広告代理店に就職して、はや数年になる。昼夜なく働いて気づけば部下まで付いていた私の日々に、感傷に浸る時間なんかありはしない。でも今日だけは少し違う。

「サンタさん、か」

 それなりに大人になって、きらびやかなライトを支えているのは血と汗と涙などでは生ぬるい、もっとドロドロしたものだと知っている。それでも今日、この日だけは――湧き上がってくる感傷を、心の中だけの苦笑で受け止める。信じたいのだ、価値があると。


「あ、あのっ」

 いつの間にか遅くなっていた歩みに目をつけられたのか、サンタのコスプレをした子に声をかけられてしまった。

「ケーキ? 悪いけど急いでるから――」

 向き直って、その少女の美しさに目をむいた。日本人離れした肌の白さに、碧色の目はカラコン? いや、メイクしているように見えないのに、似合っているから生来のものだろう。金とも銀ともつかない星の光を宿したような髪色はブリーチで出せるものではない。ここまで来るとコスプレというより――

 サンタとしか呼べない少女をまじまじと見つめ、湧き上がってきた記憶の奔流に打ちのめされた。



 幼い少女が一人、夕暮れの住宅街を歩いている。ゆらゆらの影が自分の心を映しているようで足早に進むが、そっちが目的地なのか、もうわからなくなっていた。

 近くに住むおじいちゃんとおばあちゃんの家までクリスマスプレゼントをもらいに行くだけのはずだった。けれど浮かれていた少女は近道をしようと、知らない通りに入り、見たこともないところに出てしまっていた。


 不安な心に追われるように進む少女は、小さな公園を見つけて飛び込んだ。幼稚園のお友達がいれば助けてもらえるかもしれないと、すがる願いはあっさり裏切られ、冬の燃えるような夕焼けに染められた公園は無人だった。いや、ベンチに一人腰掛けている女の人がいる。たぶん、高校生というものぐらいの年だ。

 夕焼けの赤とは違う真紅を白で縁取った服を着て、お母さんの宝石のようなキラキラの碧色の目に、アニメの中でしか見たことのないようなキラキラの髪だ。

「……さんたさん?」

 そうとしか見えなかった。少女に声をかけられ、さんたさん? はビクッと肩を跳ね上げた。明らかに見られてはいけないところを目撃されたとサンタ少女の顔に書いてあったが、幼い少女はそれを読み取れない。

「さんたさん、ここでなにしてるの?」

「ええっと……休憩してるんです! サンタは夜になってからが本番ですからね!」

「そっか。お仕事大変なんだね。お父さんも、お母さんも今日も仕事なの」

「今年一年、いい子にしてましたか?」

「うん。してた」

「だったら、今日はお父さんとお母さんがごちそうを食べさせてくれます。サンタもきっとプレゼントを持ってきてくれますよ!」

「でも……家、どこかわかんない……」

「ええええぇ! 迷子ですかぁ!?」


 ついに指摘されてしまった現状に、張り詰めていた少女の精神の糸が切れた。声を上げて泣き出した少女にサンタはあわあわとむやみに手を振る。

「どどどどどうしよう。迷子を放っておくわけには、いやでもこれ以上人間に関わって姿を見られたりしたら報告書になんて書けば……最悪クビなのでは……いやいやでもでもサンタとしては……」

「びええええん!」

「泣かないでくださいよぉ……あっ、そうだ、歌! お歌をうたってあげますね! あわてんぼうの~ サンタクロース クリスマスまえにー やってきた♪

いそいでリンリンリン いそいでリンリンリン

鳴らしておくれよ鐘を~♪」

「びええええん!」

 人間の基準に照らせば、オペラ歌手も逃げ出すほどの美声でサンタは歌っているが、少女は泣きやまない。

 碧色の目が、腫れ上がった自分の足首を見やる。この歌ではサンタは煙突から落っこちてるけど、トナカイから落っこちて足首を捻挫するサンタなんて前代未聞だろう。自分でも信じられないドジで、本当にイヤになる。それでも、泣いてる子ども一人笑顔出来ないなら、本当にサンタ失格だ――腹をくくりましょう。


 サンタは笑顔で立ち上がる。

「あわてんぼうの~ サンタクロース しかたがないから 踊ったよ♪

楽しくチャチャチャ 楽しくチャチャチャ

みんなも踊ろよ僕と~♪」

 歌に合わせて即興でステップを踏んで、手を叩く。痛みは意識の端へ追いやり、子どもの笑顔を取り戻すために全精力を尽くす。


 日が沈み宵闇がにじむ公園で、サンタが歌い踊っている。サンタが跳ねるたびにプラチナの髪と真紅の衣装が鮮烈な色を瞬かせる。公園はいまこの瞬間、一人の少女ためだけのステージになっていた。

 サンタの笑顔。どんな宝石よりもキラキラの瞳の輝き。それは聖なるものだと、天啓じみた感覚で幼心ながら少女は理解していた。一生忘れられない光景が、少女の心に焼き付いた。


 感激した拍手を受け、サンタはベンチに戻る。ドスンと腰を落とし、走った痛みについ顔をしかめてしまった。

「さんたさん、怪我してるの?」

「いいえ!? 全然どこも痛くないですよー!」

「うそ!」

「ぐぬぬ……足がちょっと疲れてるかなー? いえホント大した事ないんですけどね」

 少女は肩掛けバッグをごそごそすると、「はい!」と掴んだものをサンタの前に差し出した。

「絆創膏?」

「これ貼るとね、怪我治るんだよ」

 言うか早いか少女は屈み込み、すぐ足首の異常に気づいた。

「いやいやいや待ってください! そこまでしてもらっては……」

「じっとしてて!」

「ひゃいぃ!」

 薄闇の中で、少女は絆創膏のシールを剥がすのに手間取っている。小さな頭を見つめ、サンタは思わず弱い声をこぼす。

「サンタは私ですよ? あげるほうなんです。それがこんなの」

「さんたさん、怪我してるのにがんばってくれた。それくらい、わかります。だから、さんたさんも痛くて泣かないようにしなくちゃ」

 サンタは、呆けた顔で少女のつむじを見る。純白で甘い稲妻に打たれた気分だった。気持ちが伝わっている。それはこんなに、震えるほどに、震えた勢いで涙が出るほどに、素晴らしいことだったのか。失敗しても、トナカイから落っこちても、くじけてる場合じゃないな。

「よし! いたいのいたいの、とんでいけー! 治りました!」

 捻挫が絆創膏で治るはずがない。それでも不思議と痛みはなくなっていた。サンタは元気よく立ち上がり、にっこり笑う。

「サンタ復活です! こほん、お嬢さん、あなたの願いを叶えましょう」

「もっと歌って!」

「いやあの……お家に帰らないといけないのでは?」

 瞬間、少女のバッグから軽やかな音楽が響く。ごそごそとバッグから携帯電話を取り出した少女は、通話ボタンを押す。

「もしもし、おじいちゃん?」

「え、携帯電話持ってるんですか」

「うん、うん。それならわかる!」

「え、わかるんですか? もしかしてとんでもない茶番なのでは?」

「いまね、さんたさんと一緒にいるの」

「それ言わなくていいですから!」

 少女とサンタはしばらく並んで歩く。おじいちゃんおばあちゃんが見え、気を取られた瞬間に、サンタはいなくなっていた。


 あれから二十年と少し、さすがにサンタは実在しないと承知していた。不思議な思い出として胸にしまって、毎年のクリスマスイブに取り出して愛でる。そういうものになっていたはずなのに。

 思い出から飛び出したとしか思えない少女が、目の前にいた。

「もしかして……あの時のサンタさん?」

「お久しぶりです。覚えててくれたんですね!」

「だって、あの時のままだし。年齢も身長も追い越したように見えるけど……」

「サンタにそういうのないんで。生まれてから消えるまでこのままです」

「やっぱりそういうファンタジー的なアレなのね」

「アレって……なんか、全然驚いてないですね?」

「あの時すでに、ただ者じゃないって感じてたし、実際まったく変わらない見た目で再会したらね。認めざるを得ないでしょう」

 驚きよりも納得があった。あの体験は夢じゃなかったのだ。

「その節は大変お世話になりました。あなたのおかげで――」

「あわわわ。そういうのやめてください! 笑顔のためにがんばるのがサンタですからねっ。と言うか下手に出られるとやりにくいと言うかなんと言うか……」

「じゃあ軽く。つまりなにか用がある?」

「実はお願いがあるんです。あなたはもう大人ですから、私がどういう存在がおおよそ見当はついてると思います。本来我々は、できる限り人間との接触は避けるべき存在。でも困ったことがあって、あの時のお嬢さんが成長した姿を見てつい頼りたくなってしまったんです」

「緊急事態ってことね」

 話のわかった風な相槌を打ちながら、頭の中では仕事のことを考えてしまっていた。早く次の現場に行かなければならない。チェック事項は山ほどある。

「そうなんです。お耳を拝借……ごにょごにょ」

「トナカイに逃げられたぁ!?」

「ちょちょちょ、声大きいですって!」

 慌てたサンタに引っ張られて、道の端まで寄る。


「トナカイに逃げられた、ときたか。一生声に出すことのない日本語ランキング入賞は間違いないわね」

「のんきなこと言ってる場合じゃないんですって。サンタは、モノとしてのプレゼントを子どもに配らないのはもう知ってますよね」

「本物のサンタにキッパリ言われるとショックがなくもないけど、大人として受け入れましょう。じゃあ他に仕事があるのね?」

「夢をプレゼントするんです。将来の目標のほうじゃないですよ。クリスマスイブの夜、眠っている子どもたちに楽しい夢を送り、健やか目覚めを促す。そうして次の朝、贈られたプレゼントとの円滑な出会いをサポートする……誰も覚えていない。覚めれば消えてしまうもの。それがサンタの仕事です」

 そう言うサンタは寂しそうに見えた。仕事に誇りを持っていても、誰にも知られていないのは辛い。だから、慰めるように意識的に明るい声を出した。

「素敵な仕事じゃない!」

「でも担当エリアめっちゃ広くてですね」

「急に生々しい愚痴になったわね……」

「トナカイなしじゃ無理なんですよぉ。あの子、時速で言うと300kmぐらい出るんで」

 美少女サンタが夜空を時速300kmで爆走する――シュールな想像に、変な笑いがこみ上げてくる。

「あはははは、楽しそう! 乗ってみたい!」

「笑ってる場合じゃないんですってばぁ! 困ってるんです、なんとか助けてもらえないでしょうかっ!」

 このクラスの美少女に瞳をうるうるされると、それだけで暴力的な魅力が発生する。が、いまの私は子どもじゃない。社会人として責任も立場もあった。


「仕事がすごく忙しいの」

 バッグの中から、スマホの着信音が響く。取り出すと、次に行く現場でアシスタントを任せている部下からだった。

「はい。……それは東口から搬入のはずよ。もう一度よく確かめて。なんなら配送業者に確認して。そんなことでいちいち電話してちゃ駄目よ」

「厳しい……。忙しいんですね……」

「でもそういう慎重さは認めてるわ。あなたなら最終チェックを任せられる。というわけで、一時的に権限をあなたに預けます。君がリーダーだっ!」

「厳しいですね!? というか仕事押し付けましたよね!?」

「私は30分、入りが遅れるから。じゃ、よろしく~」

 返事を待たずに通話を切る。

「時間作ったわよ」

「えぇぇぇ、電話口から泣き声聞こえてましたよ」

 引き気味のサンタに、私は胸を張って言ってやる。

「サンタはそんなこと気にしなくていいの。笑顔のために、少しは泣いてもらいましょう」

「あはは! ちょっと強引なところ変わってませんね!」

「失礼な。適切なリソース配分をしたまでよ。こほん、それでは――」

 にやりと笑う。

「サンタさん、あなたの願いを叶えましょう」

 碧色の目が大きく見開かれた。美しい少女の顔が、ぱぁっと輝く。

「一緒にトナカイ見つけてください!」

「いいでしょう!」 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る