ED オカエリ
(草の香りだ…)
温かい日差しと嗅ぎ慣れた緑の匂いに、僕は目を開けた。
(そうだ、確かイーディスと遊んでいて…疲れて寝てしまったんだっけ)
何だか長い夢を見ていたような気がする。
はっきりとは思い出せないが、少なくとももう一度眠りの世界に戻りたいと思ってしまうくらいには、面白い夢だった。
「…でも、動物耳はもう勘弁かな」
「お兄様?」
聞き慣れた声をかけられ振り返ると、そこには少し怒った顔のイーディスが立っていた。
「お兄様ったら、またこんなところでお昼寝をしていたの?」
「あー…まぁ、ほら、太陽が気持ちよかったから…?」
「もう!そんなことしていたら、風邪を引いてしまうじゃない」
「お、お兄様は強いから平気なんだ…!」
さすがに庭で昼寝をしていたというのは、貴族としても長男としてもどうなのかという自覚はある。苦しい言い訳をしながら、立ち上がって服に付いていた土や草を払い落とした。
「早く帰りましょ?きっと皆が心配しているわ」
「ああ、そうだな」
(夢は夢…だよな)
イーディスと帰ってきた自宅は、まだ寝ぼけているからなのか、ものすごく懐かしく感じる。言ってしまえば、長い旅から帰ってきたかのような感覚だ。
「ただいまぁ」
「おかえりなさい、お兄様」
「…イーディスもただいま、だろ?」
「あっ!だ、だってお兄様をお迎えすることが多かったんだもの」
頬を真っ赤にして、間違えたことを恥じている姿は、妹ながら可愛いと思う。
僕が一人でどこかに出かけた時は、母さんや父さんが怒って口を聞いてくれなくても、いつもイーディスが出迎えに来てくれた。
台所では、母さんが料理を作っているようだ。
「今日の晩ご飯は何かな?」
「何でしょう…でも覗き込むのは、お母様の料理の邪魔になってしまうわ」
それもそうだと、イーディスと一緒に、大人しくソファで料理の完成を待つことにした。
(やっぱり落ち着くなぁ…)
目を閉じたら、また眠ってしまいそうだ。そんな僕に気付いたのか、隣に座っているイーディスは、僕にもたれかかりながら文句を言う。
「まだ駄目、寝ちゃ駄目よ。夜に眠れなくなってしまうわ」
「ううん…姉さんみたいなこと言わないでって」
そう言えば、帰ってきてから姉さんを見ていない。時計を確認すると、もう学校は終わっている時間だ。どこかに出かけているのだろうか。
「姉さんも出かけてるのか?」
「お兄様、もしかして知らないの?お姉様には、ボーイフレンドが出来たのよ」
「ぼ、ボーイフレンド?!」
一体いつの間にそんな話になっていたのだろう。こういう色恋沙汰の話は、僕だけが兄弟姉妹の中で唯一の男だからか、全然聞いたことがなかった。
(でも姉さんみたいに、綺麗で立派で優しい女性なら、選り取り見取りだろうな…)
「結婚を前提のお付き合いらしいわ」
「もうそんなところまで…?!少しくらい、僕にも教えてくれてもよかったのに…」
「ごめんなさい、お兄様。驚かせたくて、内緒にしていたの」
口元を押さえて、悪戯に成功したような笑顔を向けてくる。
(この笑顔に弱いんだよな…)
イーディスが僕に悪戯を仕掛けて、姉さんがそれを注意して、三人で笑う。それが日常だったが、姉さんにはボーイフレンドが知らぬ間に出来ていた。しかも結婚が前提なら、恐らく将来的にはこの家を出て行ってしまうのだろう。
「寂しくなるな…」
「大丈夫よ、お兄様。私はずっとお兄様の側にいるから」
「いや、そういうわけには…僕もいずれ結婚しないといけないし、イーディスもきっといい人を見つけられるよ」
「もう…酷いわ」
頬を膨らませてそっぽを向くことで、精一杯抗議の意を示してくるが、本気で怒っているのではないことはわかった。
(温かい…)
ぬるま湯に浸かっているとは、こういうことを言うのかもしれない。
「お兄様、まだ眠いの?」
「ちょっと…さっきの昼寝の時に、ずっと夢を見てたみたいで、あんまりよく眠れてないんだ」
「夢?どんな夢を見ていたの?」
「あんまり覚えてないんだけど…気付いたら森の中にいて」
夢の話を人にするなんて新鮮だ。
動物の耳を生やした人物たち、首をはねる女王様、出不精な帽子屋、賭け事を勧めてくる伯爵夫人──興味深そうに話を聞くイーディスに、僕はいつもの日常に戻ってきたのだと安心した。
──end『オカエリ』
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