第2話 赤じゃしんチャチャ
翌朝、目を覚ますと黒美少女・・・じゃなくてヴェンドミラ様の姿が見えなかった。
夢だったかと思って見たものの、昨晩の饗宴の跡生々しい部屋の中はムッとするような酒の臭気が充満していて二日酔いに拍車をかける。
見れば時計は7時過ぎ。
あわてて家中探したけどどこにも姿が見えない。
でもいない人にいつまでも構っていられななかった。
別れのあいさつもないことに、いくら神さまだって無礼だろとか思ったけどもう時間がない。
頭痛と吐き気に苛まれながらも、酔い覚めの水と一緒に薬飲んでフラフラしながら出社した。
体調は最悪の一言につきるけれども仕事休めない。
今住んでるとこは会社の寮みたいなもんだけど、査定に響くと簡単に追い出されるんだよ。派遣は扱い軽いよね。
引っ越し資金もなけりゃ会社に借金まであるぼくの生活には直結する。会社の借金っていっても月のノルマこなせなきゃ給料から差っ引かれて、それでも足りなきゃ借金になるっていう魔界じゃ一般的なシステムのせいだけどね。
9時。一斉に電話が鳴りだす。
電話が鳴るってことは景気がいいことだっていうけど、半数以上がクレームなんだよなこれが。
うちの会社は魔素の供給をしてる。一応魔界じゃ一流企業。
魔素は魔界においては嗜好品のひとつだけど、成人した大人はみんな吸ってるのである意味インフラ事業みたいなもんだ。
人間界でいうところの酒とかタバコみたいなもんかな。
各家庭に毎日一箱単位から配達されるけど、クレームの電話してくるほとんどは金払ってなくて配達をストップされてる連中なのだ。
金払ってなくてクレーム入れてくるっていう神経が丸っきり理解できないんだけど、当たり前の調子で文句を言ってくる。
なにしろ魔界の常識は一に暴力、ニに腕力。三四は恫喝、五に殴り込み。文句なんて言ったもん勝ちなんだ。
人間のチャット友達によると、「ほんとにブラックだな」とか言われるけど色んな話をする中で、唯一魔界で良かったなとか思えるのは客に対してブチ切れてもいいってことくらいだよ。
でもぼくはこれもうまくいかないんだよね。
今日も今日とてボロクソにやられる。
切れても切れ返されるんだ。
他の人たちは怒鳴りあいの中でもランク上の魔素に契約しないと供給切るぞとか脅したりすかしたりしながら成績上げてるけど、そんな中ぼくの仕事のやり方はタダでゴミ捨て場になってるだけだって言われる。
ぼくもそう思う。
おまけに上司も見事に最悪で、「Aに連絡しとけ」って言われて連絡した後、「Aには連絡すんなっていったろ!」なんてメチャクチャを平気で抜かすのだ。
正直、今すぐにでも辞めたい。
でも借金あるから辞められないんだよ。
どーすりゃいいのよ?
そんなこんなでフラッフラになって退社する。
ね?
ホントにどうしようもないのよ、ぼくの人生。
酒飲んで呪いの海に溺れるくらいしかないの。
帰ったらヴェンドミラ様戻ってきてないかな?
もう魔王でもなんでもなったるわい。こんな生活から抜け出せるんなら!
家の引き戸を開けるのも大変な思いをしながら、やっとこさと玄関をくぐる・・・え?
ガラーン。
「は?」
家具がない。
スリッパも、靴も、玄関マットすらない。
電気も点かない部屋に上がってみると、もっとなにもないスッカラカンの空間が。
家具や家電はもちろん、大事にしていたマンガやらDVDやらもない。
パソコンもない!
え? え? え? ドロボー?!
「おお戻ったかプール。さあいくぞ」
どこから現れたのかヴェンドミラ様がとことこ部屋に入ってきた。
昨日のゴスロリ服に戻ってる。
「え? あのヴェンドミラ様・・・これは、その」
「まずは感謝を述べよ。本来神が直接手助けすることなぞ禁忌中の禁忌なのだぞ」
「あの・・・ありがとうございます・・・ってあの・・・」
昨日に引き続きわけがわからない。それに、
「いくぞってのはなんですか?」
「知れたこと。逃げるのだ。トンズラだ。ラナウェイだ」
「ラナウェイ?」
突然ヴェンドミラ様が飛び上がってぼくのお腹に頭から突き刺さった。呻いてしゃがみ込む。
「察しが悪いなお前は! 今お前はどうしようもない状況でウジウジ腐っているだろうが! だから逃げるんだわかったか!」
細い腕を上下にパタパタさせながらドンドン足踏みする。
「いやでも・・・借金とかあるし・・・」
そんなぼくにホイとお札が差し出された。三万四千円。
「一切合切売り払ってやったぞ! これでなんとかせい」
なんか偉そうに胸をはる黒ゴス美少女。
得意げに左目がパチリと開いた。
なんでそんな態度?
「ええ、そんな! 何十万かはかかったんですよ! それがええー! たったのこれっぽっち? それに借金はこんなじゃ足り・・・」
手渡されたお金を二回数えるやっぱり三万四千円。
冗談じゃないよ!
もう一度ヴェンドミラ様をみると、なんかバチバチと赤い光をまとっている、なんだなんだ?
「ウダウダと~・・・うるせー!」
さっきのとは比べ物にならない程の頭突きが飛んできた。
ふっ飛んで壁に激突。
土壁が派手に崩れる。
「じゃあなにか手でもあるのか! 打開策は! なきゃ逃げるしかねえだろうが! 大体なあ、すべての生物は危険がありゃそっから一目散に逃げだすんだよ! お前はいろんなもの錆びつき過ぎて本能まで動かなくなってやがる! やめろやめろ中途半端な常識の発想! 使えねえもの使ってるから先に進めねえんだろうが、ああん!」
「いやでも・・・」
「でもでもだってじゃねえんだよ! お前はあれほど自分自身嫌ってるくせにゴミみたいなプライドだけは守ろうとしやがって! 怯えて叩かれて泣き言いってそれでも怖がってる自分を守ろうとしてやがる! 捨てろ辞めろ引きちぎれメンドクセエ!」
怒り狂ってる!
今までいろんなところで散々脅されたりしたけど、こんな迫力丸っきり段違いだ! やっぱり本当に邪神なんだこの黒ゴス!
ひょいっと簡単に持ち上げられそうな体なのに、とてつもなくでっかく感じる。本当にここで消されそうだ、焼き滅ぼされる!
こんなに直接的で巨大で根源的な恐怖は始めてだよ!
「わかりましたー!」
思わず叫んだ。
仮に刃物突きつけられたってどこかでどうにか生き残る手段はあるのかも知れないけどそんなレベルじゃない。これ以上躊躇したら完全に消滅される確信がある!
あまりの恐怖に呼吸の仕方が変になって息苦しい。
恐る恐る目を開けるとヴェンドミラ様は元の黒ゴスに戻ってケロっとしていた。
「よし、ではいくぞ」
もうぼくに逆らうことなんてできなかった。
電車とバスを乗り継いで現在夜の10時過ぎ。
どこへ向かって逃げてるのか怖くて聞けないままだったけど、乗り継いだバスの終着駅から目的地がわかった。
『界隔ゲート前』。
人間界に行くつもりなんだ。
でもぼくはパスポートもビザも持ってない。
魔界から出たことなんてないけど、確か人間界への入界審査は相当厳しいってテレビで見た覚えがある。
ついでに日没までしか開かないはず。
朝一で出発する人たちのためか、進む先には魔界にしてはおとなしいネオンのついたホテルだの旅館だのが並んでる。
その間を抜けてバスは人気のないロータリに停車した。
バスを降りた途端、見上げるような巨大な門と、それに続く長大な壁が見えた。
その上にはいくつものサーチライトがグルグル回っていて、明かりの動きに合わせて濃い影が伸びる。
一目で厳重な警備体制が敷かれているのがわかった。
それを見上げて茫然と立ちすくむぼく。
移動の最中、一言も口をきかなかったヴェンドミラ様が少し先を歩きながら振り返らずに話しかけてきた。
「なあ、プール。今のお前は考え方やら判断基準やらが変にねじくれたまま固まっちまってるんだ」
口調の柔らかさに思わずホッとした。「はい」とだけ答える。
「お前は根性なしの臆病者で、腑抜けで阿呆でどうしようもないバカだがな」
「はい」
えらい言われようだとかは思わなかった。常々自分で自分に言ってることだ。ついでに逆らうつもりも持てない。
「考えることを放棄しなかったことだけは褒めてやれる。勉強の仕方と根っこの発想と運が悪いからバカのままだったがな。そこでひとつ聞くがお前、自分がおかしいと考えたことはないのか?」
「え・・・と」
言葉に詰まった。
おかしいっていうのは何を指しての『おかしい』なんだろう?
発想がおかしいっていうのは聞いたけど。頭がおかしいってことか? ならまあ肯定するしかないけど。
「お前が人生一歩も前に進めなくて、女にもてなくて金がなくて愛や平和が何にもないってことがだ。その生き方がおかしいと思ったことはないのか?」
「そうですねえ・・・」
考える。
明らかにぼくより人生サボってる連中がいい思いをしてたりするのを妬んだりうらやましがったりして、その不公平に怒ってたりはしたけど。
「そういえばありません。仕方がないとか思ってますね」
ヴェンドミラ様は無言でうなずいた。
「それがお前の根っこだ。踏ん張りの効かない泥沼にはまり込んでるのを仕方がないと思ってる、その発想がまず違う。そこに立ち続けるのはおかしいってことに気づくこともできない」
話しながらゲートの方へまっすぐ進んでいく。
ゲートの前には銃やら槍やら構えた警備の人たちがこっちに気づいたようで、ザワリと構えた気配が見えた。
「おかしいんだお前の根っこは。不幸であることを仕方がないと思ってるスタンスは。お前は自分でもっと幸せに生きたいと思ってるよな? 今、不幸でいることを諦めてるくせに、なんとかしようなんてできると思うか?」
「・・・わかりません・・・というかヴェンドミラ様・・・」
一生懸命考えて答えてるけど、ヴェンドミラ様の歩調が全く緩まなくて、警備の人たちが思い切り殺気立ちはじめてる方が気になってしまう。
「その発想そのものを吹き飛ばすやり方を教えてやる」
突然こっちを振り返ると手を伸ばしてぼくの足首を掴んだ。そして。
「だああああああああああああ・・・・・・!!!」
次の瞬間ぼくは悲鳴を上げながら空高く宙を飛んでいた。
一瞬で門を越える。
ぐるぐる回る景色の中、まばゆい光が目を薙いでいく。
叫び。怒声。サイレンの音。
死ぬと思った。
地面にたたきつけられると意識した刹那、別の加速が加わってもう一度ふっ飛ばされた。
人の体がこんなに転がることがあるだろうかってくらいゴロゴロゴロゴロ転がった先に無理やり体を起こされる。
「ホレ走れ、とっ捕まるぞ」
目が回りすぎてどこから聞こえるのかわからない声が聞こえる。
バンバン尻を蹴られてようよう前に体が進む。
「魔王への道レッスン2! 嫌なものからは全力で逃げろ!」
目の前のサーチライトの光の中を何かが跳ねてえぐった。
後ろからパンパン音がするのは銃声か?
「ケツまくれプール! 逃げるときくらい死にもの狂いってのを見せろ! 逃げられなきゃホントに死んじまうけどな」
ハーハハッハー! と高らかな笑い声がサーチライトを追い越して前方に消えた。
なにも考えられなかった。
とにかく消えた背中を追って走った。
後ろから車のエンジン音。
機械的な連射の射撃音。
とにかくとにかく走った。逃げた。
何かの拍子に視界に映る背中を追い、真っすぐに、ジグザグに。
前からも車のライトが迫ってきた。
背中を追って大きく右側へ。
それからも。
走って走って走って走って・・・・。
雨が降り始めた。
結構な豪雨だ。
ぬかるんで走りづらくなることよりも、水を吸った服が重く体に張り付くことよりも、視界が悪くなって前をいく背中が見えなくなることが怖かった。
とにかく走り続けた。
気がつくと森の中に倒れていた。
頭が働かず、しばらくの間、何が起きたのかわからなかった。
体中がジンジン痺れて熱を持っているのに別の場所は氷のように冷え切っていて、暑いのか寒いのかわからない。
ようやく四つん這いで体を起こすと、近くの木の根っこに溜まっていた水に倒れるように顔を突っ込む。
二口くらい飲んだところでたちまち戻してしまった。
水も受け付けないほどクタクタになってるらしかった。
そのまま横に倒れる。
呼吸をするにも体のどこかに抵抗がある。
なんとなく死を思った。
「どうだ、思いっきり逃げまくった気分は?」
その声を聞いて、濡れた地面についている顔の右側が冷たいことに気がついた。
ゆっくりと目を開ける。
黒ゴス美少女がニヤニヤ笑っていた。
そこでようやく夜が明けていることに気づいた。
「・・・いくらなんでも・・・」
声が出たのが奇跡のような気がした。
でもそれ以上はしゃべれない。
「まあ、普通はな。どんな勘違いバカでも自分の全部を忘れるほど何かに没頭したり集中することで意識のリセットはできるんだがな。
甘えが過ぎるお前にはこれくらいがちょうどいいだろう? それ、どうした? 感謝の言葉が聞こえんぞ?」
ふふんとアゴを上げる。
「・・・・・・」
ぼくはしゃべれないふりをして無視してやった。
生まれてはじめての。
理不尽に対する小さな抵抗だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逃げることは悪いことって信じていませんか?
どこまで背負うのか、どこから下ろすのかわからないままだと背負ったものに潰されてしまいます。
堂々と逃げましょう。
もし逃げられない状況にいるのなら、「逃げるという選択肢もある」ということだけ、心のポッケに入れておいてください。
その場に居ながら辛い顔で毒を吐き続けるしかないなら、周りの人たちも苦しいですから。
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