ファンタジー

Arenn

メリークリスマス!

夢を語れば嘘になり、恋を語れば欲になる。グラスの中の氷もやがて水となり、酒に混じる。


 酔いがまわってきたなと思った。グラスを持つ手のぶよぶよとした感覚から、小さな電気が渡ってくる。それは弱々しくタッチして俺を覚醒させようとする。

無理だよ、とっくに五杯を越えた。今夜はお前も一緒に飲まれよう。神経っていうのは疲れるだろう。特にこのクリスマス月間は…。

「クリスマスなんか無くなれ!」

「そうだ、そうだ。恋がなんだ。愛がなんだ。あんなのハリボテだ」

 大学の飲み仲間は完全にできあがっている。不満を口々にもらしているが、楽しそうにも見える。

「そもそも、愛はだね、たやすく手に入いるべきじゃないんだ。これじゃインスタント、ラーメンか。世間の奴らあ、クリスマスだからって、人漁りをするんだ。信じられるか?」

 俺はくっと喉で飲んだ。酒がぬるい。何時間経ったのだろう。目の前はグラスだらけだ。今飲んでいる酒ももう少しで無くなる。赤いカシスのカクテルだったけれど、すっかり透き通ってしまった。飲んだ拍子に氷がぐるりと転がった。

まわる、世界が、まわる。

「愛とは何だろうね」

 とたんに仲間たちの勢いが消えた。空気が急速に冷たくなるのを感じた。その言葉は俺らにとって、禁句であった。

 よれよれのレモンスライスをしぼって、グラスに垂らした。しずくは赤い花となって咲いた。

 愛、それは…未知。

 飲み会はその後すぐに解散となった。仲間はみんな二次会へ向かったが、俺はひとり家路に着いた。

 外灯も、飾りも、眩しかった。うるさいくらい音楽がかかっている。これは流行の愛の安売り賛歌、あっちは定番の童謡。クリスマスは頂点に達しているようで、氾濫していた。見渡すかぎり、笑顔と「愛」でいっぱいだった。駅に向かう人に逆らうように出口を探す。それは波のように、俺を飲み込もうとする。掻き分けて、必死でもがく。抜ける。走り出す。ラブソングを殴り捨てて、部屋に向かった。

どうも酒が抜けない。足が思ったよりふらついている。まったく、どこに行ってもカップルばかりだ。居酒屋さえ俺らの場所としてふさわしくなかった。この女気のない男たちにしてみれば、この日ばかりは敏感であった。そうでなければ、こんな息苦しくなるわけがない。寂しさは情けなく、慰めにもならない。

横断歩道だけはいつもと同じだった。高架下は薄暗く、ラーメン屋台の車の提灯がぼんやりと光り、ときどき消える。対面のコンビニがやけに明るかった。そこに青い光が灯った。行こう、俺の部屋へ。

煙で白くなった路地の入り口。中華店が屋台でギョーザを焼いている。香ばしいにんにくの臭さと油の弾ける音に胸が焼ける。ここでもにぎやかに叩き売る声が響いていた。

「おにいさん、おにいさん」

 ふと呼びかける声があった。そして振り向くとカナコがいた。近所では中華店の看板娘といわれる子だ。

「もうすぐクリスマスですよ。彼女とギョーザはいかがですか」

馴れ馴れしく肩に手を乗せ、ギョーザの入ったパックをなかば強制的に持たせた。駅に向かうときは通りがけによく会うから、声をかけられるのがむしろ嬉しいことだった。

「きっと喜びますよ」

 カナコはいたずらっぽく笑った。八重歯がかわいかった。俺は何も言わずにギョーザを買った。

「まいどあり! メリークリスマス!」

 ちょっと気分がよくなったので、歩くことにした。渡された袋から二本の箸がカタカタ聞こえた。ああ、カナコを誘えばよかったな。そう思ったため息が白かった。

 ぼやけた色の商店街を通り、どんどん細くなる路地へ進む。ここが俺の居場所なんだ。カビだらけの、ぼろアパート! 五畳半、西側にして携帯電話は圏外。最高だ。

「メリークリスマス…」

 路地にただひとり。俺はぶつぶつ呟いて、いつもの角をまがった。



 高校生のときに、カッコイイと思い込んで路上ライブをやっていたことがある。当時は本気で歌手になりたくて、必死にギターを練習していた。しかし現実は冷たかった。人々は足をとめることなく、聴くこともなかった。寄ってくるのは招かざるヤクザぐらいで、妙な因縁をつけられた。それで取っ組み合いになることもあった。俺は強いと錯覚していたが、もともとケンカするほうでなかった。だから決まって後悔をするのは翌朝であった。

 そして今、その朝を見ている。違和感のある天井が見える。ひどく体は重かったが、しかし傷があるわけでなかった。

 久しぶりに迷子になってしまったようだ。二十歳そこそこで迷子かと思うとおもしろくなってくる。そうだなあ。あの時は倒れていた俺をケンちゃんが運んでくれたんだったな。それにしても、そんなに酔っていたのだろうか。曲がり角までは確かに路地を歩いてきた。しかしそれから先はというと、まるでなにもない。さてここは一体どこなのだろう…やわらかな布団から這い出て、窓に寄った。カーテンをおもむろに開けると、大きな白い森がいっぱいに迫っていた。その間から雪がこんこんと降るのが見えるのだった。カーテンの裾をにぎったまま、ごつごつとした太い幹を見つめていた。世界がひどくぼやける。そういえば、メガネをかけていない。ベッドのほうに向き直り、傍に顔を近づけた。その隣にある小さな台の上にメガネが置いてあった。それも丁寧に折りたたんで。見つけるやいなやすぐに着け、服をみた。パジャマだった。シャツは、ジャケットは、ジーンズは? 辺りを見渡すと、ベッドの足先に収納棚がある。失礼ながら開けてみると、上着はハンガーに、ジーンズは下の引き出しにたたんで入っていた。

 ぞっとした。ここの環境は、この部屋は俺の生活そのものだった。何度も見渡して、薄気味悪さに立ち尽くした。違う。ベッド、収納棚、勉強机。西側にある窓。朝が一番暗い、陰気な部屋。でも、違う。

 とりあえず、ぼんやりしているよりもまず、着替えて帰ろう。本当の部屋に。考えてもダメだ。ひとりぼっちのときはまず行動からしなくちゃいけない。脱いだパジャマをたたみながら、その生地に触れた。つるつるした感触で、ホテルに置いてあるような質のよいものだった。さて、持ち主は女性だろうか。左右を見渡し、耳をすませた。よし。誰もいない。そしてその首元に顔をうずめた。思い切り息を吸い込むと、わずかに洗剤のような、花のような甘い香りがした。それから何もなかったようにきちんとベッドに並べておいた。忘れ物がないか確認してから部屋を後にした。

 部屋を出ると階段があった。少し降りて、その場からさっきの部屋を見上げると、そこは屋根裏であった。屋敷は天井が高く、ブラウンカラーで統一されていた。廊下に置いてある棚は古びている金具がついていた。それは階段の手すりから、ドアノブまで整っている。それでもガラスや細工にホコリなどの汚れはなかった。内にはなにも入ってなかった。そして吹き抜けの中心には印象的なおもちゃの鳥が飛んでいた。よくよく見ると天井から一本のヒモでつるされて、電動のモーターで動いているようだ。この家には子どもがいるのだろうか。不思議な空間であることは間違いない。

一階まできて、一息ついた。落ち着いたところで思い切って声をだした。

「すみません」

 辺りは静かだった。さっきよりも大きな声で、もう一度呼びかけてみた。それでも同じ反応だった。

 突然、隣の部屋からボーンという音がした。身を乗り出し、その部屋を覗いてみた。奥からパチパチと暖炉が鳴っていた。その前には安楽椅子があり、誰かが座っていた。   

真っ白な雪をかぶったような白髪、服は空の青を写した色をしていた。首が傾いたまま動かない。

「あの、すみません」

 パチパチと火種が散った。

「あの…」

「メリーはおねんねさ」

と陽気な声がした。部屋には俺ら以外に誰もいない。

「こっち、こっちだよ」

 まさかと思い、振り向きざまにあの鳥を見た。あの一本に見えた糸は先のほうで枝分かれし、鳥の頭や羽、尻尾にかけて、おもちゃのパーツを動かしている。

おもちゃ鳥はのんびりと羽を動かしていた。首が下がると、目が合った。

「にいちゃん、新顔だね。名前は?」

 壁や天井を見た。どこにもスピーカはなく、ましてやラジオ、テレビすらなかった。つまり、この鳥が自分で話していることになる。信じられない。

「トム? タッキー? いやターキー?」

「…いや、大曽根 弘明だ」

「オーソネ。フランス人ね。なんちゃって!」

 鳥は楽しそうに首を上下に振った。

「メリーに用があるのかい? 今は昼寝の時間なのさ。かわいそうだから、待っていなよ」

「そうか。なあ、お前。ここは一体どこなんだ?」

「お前じゃない! クラーンだ」

とすねたように荒く羽を動かした。ギシギシと接続部分がきしむほどだった。

「ごめん、クラーン。教えてほしい」

「…仕方ないね。ここはファンタジー、夢の国さ」

とケラケラ笑いながら尾のような羽をぐるぐる回した。

 そんなバカな。そんな国はない。変なおもちゃに聞くことが間違っていたな。 

あちらの部屋にいる人に聞くべきだった。寝ているところを邪魔するのはかわいそうだが。

「もしもし」

 俺はそっと近づき、やさしく肩を叩いた。

しかしながら、彼女は小さくうなったばかりで起きなかった。縮こまった体に顔が埋まっていたので、表情は見えない。ただ、すうすうと寝ている声が聞こえるだけだった。

 暖炉の中には鍋がつるしてあり、時折湯気がふきだしていいにおいがする。スープなのだろうか。鍋の蓋ががたがた言って、今にも中身がこぼれそうに感じた。

「もしもし、起きてください。スープが台無しになってしまいますよ」

 するとどうだろう。今までまったく反応がなかったのに、彼女は急いで背中を反り返し、すばやく暖炉に駆け寄った。慣れた手つきで蓋をあけ、すぐさま流しに駆けてカップに水をそそいだ。そこからまた暖炉の傍に戻り、水を足した。スープはしぼむように大きな湯気を出した。

 彼女もふうっと息を出した。そしてようやく気がついたように、俺を見た。

 メリーの瞳ははっとするほど美しかった。ちょうど海底に光が差し込んだような、深い青色をしていた。長いまつげに大きな目、鼻は通っていて、唇の右上には小さなホクロがある。俺はもう一度はっとした。メリーはカナコに瓜二つだった。色の違いはあれど、顔貌が寸分も違わない。

「えっと…何かご用ですか」

メリーの声はやや強張っていたが、やはりそれと似ていた。

「ちょっとお尋ねしたいことが」

思わず、かしこまった言い方だな、とふきだしそうだったのを堪えた。

「ここはどこでしょうか」

 メリーは確認するかのように足先まで俺を見た。そして少し頷いた。

「失礼いたしました、お客様」

 今度は気持ちの入った声だった。先ほどの様子から一変し、深々とひざを曲げ、両手でスカートの裾を広げた。

「改めまして。わたくしは家の使いで、メリーと申します。ここはサンタランドです。心ゆくまでご堪能くださいませ」

「サンタだって?」

 俺はがまんしきれず、鼻先で笑った。

「はい。サンタをご存知ないですか?」

「まさか」

 知らないわけがないだろう。サンタといえば、サンタクロースしかいない。あの憎たらしいクリスマスの名脇役だ。

「ほんとうに、サンタの家なの」

「はい。よろしければご案内いたしますよ」

 信じられない。狐かなにかが化けて、俺を騙しているに違いない、とメリーの後姿を見つめた。サンタなんて所詮、飲料会社の妄想で、おもちゃを売るためのイベントに起用された世界一の大富豪だ。

「ファンタジー! ファンタジー!」

 クラーンが鳴いている。

 やはり変だ、この夢は。

 それからメリーは丁寧に案内してくれた。先ほどまでいた屋根裏部屋と二階の一部を除いて、三階から始めた。そこには三つの部屋があり、一つはメリーの部屋で、他の部屋はただの物置同然だった。釘やバネなどの工具が床に散乱し、作りかけと思われるぬいぐるみも山になっていた。

次に二階には二つ大きく分けられた部屋がある。中央の吹き抜けを挟んで、平行に扉が向かい合っている。片方はサンタの部屋、もう片方は作業場で、見せてもらえたのは当然ながら後者だけだった。作業場は机の上の作業板の上だけが空いているだけで、状況といえば物置場と変わらなかった。本が重なっているのかと思うと、その間にしおりのように手紙が挟んである。部屋の空気はほこりっぽくて、長居できそうになかった。

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