出来損ないのフィー

シメサバ

第1話 フィーが生まれたときの話

 フィーが一体いつから出来損ないだったのかというと、それこそ生まれた時から出来損ないだった。

 フィーが生まれたのは、大陸の中心地から遠く離れた西にある、名前もないようなとある田舎の村だった。

 その日は近年でも稀に見る豪雨で、分厚い毛布のような雲が真っ黒な空を覆い、怪獣のような風が轟々と木々をはためかせた。大きな岩のような雨水がごんごんと家々を打ち付けて、今にも破壊してしまい様な勢いですらあった。

 フィーの母親はそんな家畜ですら外に出られないような天気の中、その村に流れ着いた。フィーの母親は暗いブラウンの髪と同じ色の瞳を持つ痩せた女だった。骨の浮き出た体に不自然に大きくなった腹を抱え、大きく揺れる木の下で雨風に打たれて倒れているところを村にいる唯一の医師により発見された。

 フィーの母親は臨月で、いつ生まれてもおかしくないような状況だったが、何日も何日もろくな栄養を取らず歩きつづけ、体力もなく、いつ死んでもおかしくないような状況ですらあった。 

 年老いた医師はすぐさま妻を呼び、治療室を兼ね備えている自宅の中にフィーの母親を運び込んだ。濡れた女の体を拭き、火を焚いて、毛布を集め温めた。

 医師が必死に女の汗を拭い、老いた妻が暖炉に何度も薪をくべ、女がひどい悲鳴を上げている間にも、家の外では猛獣のような風が吹き荒れ槍のような雨が降り注いでいた。天を引き裂くような声に混ざり、家が発狂したような悲鳴を上げて木々が狂ったような音を立てた。そのうち、真っ黒い雲の間から鋼にもよく似た雷鳴が響き渡り、地獄の底にまっさかさまに落ちるようにして村の中心に位置する古木を真っ二つに叩き割った。

 雷鳴が古木を二つに叩き割ったその瞬間、「フィー」という名を授かる赤子は誕生した。家中から集められた布きれを布団代わりに自身の手の中に生れ出たその赤子に、年老いた医師とその妻は驚愕をした。妻など、驚きのあまり持っていた薪を3本まとめて地面にそっくり落としてしまった。赤子を抱えていた医師がそれを落とさなかったのは、彼に自分が「医師である」という自覚があったことと、今こうして手の中にいる小さな生き物が「赤ん坊」であり「人間である」という意識があったためだ。

 しかし、もし医師が赤子をまるで薪のようにして地面に落としてしまっていても、それは仕方のなかっただろう。

 なにせその赤子は、まるで鬼のような灰色の髪を持っていたからだ。

 二人の老人は、柔らかさの殆どない簡易ベッドに横たわる女と今手の中にいる、生まれたばかりの赤ん坊を見比べた。

 全身から汗を拭き出させ、息も絶え絶えに痩せた体を震わす女は、茶色い髪と茶色い瞳を併せ持った、どこにでもいるかのような目立たない女だった。そう、どこにでもいるかのような――決して、この赤子のような異形の色をしていない――普通の女だった。

 なのに、今手の中で泣き叫ぶ赤子はどうか。鼠色というには薄すぎて胡粉色というには濃すぎる色を持ち、まるで鬼のようではないか。嵐の日に雷鳴が地面を貫くとともに生まれた異形の赤子は、まさしく鬼の子のようにして泣き叫んでいるではないか。

 女は、つい先ほどまで自分の胎内で自分のことを苦しめていた存在が、自分の腹から外の世界に出たことを確認すると、骨と皮ばかりの首を漸くのこと動かして、青い唇を震わせた。

「わたしの……赤ちゃんを見せて……」

 二人の老人は顔を見合わせた。この、鬼のような色を持った小さな生き物をこのままこの女の見せてもよいのだろうか。体力の殆ど残っていないはずのこの女は、自身の胎内から生まれた鬼の赤子に発狂をしてしまうのではないか。

 だかしかし、たった数分前に母親になったばかりのその女は、やせた腕に異形の子供を抱き込むと、その銀色に顔を寄せ、小さな額に口をつけた。愛おしむようにして小さな耳元で囁いて、ぽたりぽたりと涙を流し、それからくったりと力を失くした。

 じっ、と一組の親子の動向を傍観していた医師は、女の肩にかけてあった擦り切れたタオルがぽとりと床に落ちたことにより気が付いた。医師とその妻は、女に声をかけ体を揺すり頬を叩いたのだけれど、女はすでに死んでしまった。

 医師とその妻は、一つの命が生まれたことに感謝し、そして失われてしまったことに対し嘆き、悲しんだ。祈るようにして両手の指を絡め、天を見上げた。

 見上げる天には未だ濃い雲が彷徨い、雨が地を打ち付けて、風が大地を襲っていた。

 異形の色を持つ生まれたばかりの赤ん坊は、ぎゃあぎゃあという喚き声を立てて死んだ母親の胸の中に抱かれていた。

 生まれたばかりのこの子供は、自分の母親が死んだことも、自分の髪も目の色さえも、どうして自分を取り上げてくれた二人の老人がこんなにも悲惨な表情をしているのか、それさえもわかっていなかったのだ。

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