水色の恋

村上俊介

水色の恋1 人生はひにくなものなのです、 いつの間にか私の心のを占有している、彼にきずいた時は手遅れでした、恋しくて、恋しくてどうしょうもなくなる、自分を押さえる事が出来


水色の恋1


人生はひにくなものなのです、


いつの間にか私の心のを占有している、彼にきずいた時は手遅れでした、恋しくて、恋しくてどうしょうもなくなる、自分を押さえる事が出来

なくなっていたのです、しかし彼は妻子持ちなのです、彼の人生に立ち入る事は出来ません、彼の幸せを願うため私は遠いところに旅にでる

決心をしたのです、それから当てのない放浪の旅が始まりました、


夜行列車にのり西へ西へと向ったのです、それからどのくらい時間が達つたのか覚えていませんが気がつくと海辺の小さな町をあてもなく、

歩いていました、家を出てから何も食べてないせいか、無性にお腹がすいている自分に気がつき小さな食堂に入りました、いらっしやいませと

明るい声をした男性がニコニコしなから、ここのカツ丼はおいしいんだよ、


と言うので注文をしたのです、食べ終わって食堂を出て海の方へ歩いていると、後ろから、ゆうこと呼ぶ声が聞こえたので振り返ると、先ほどの

男性がやっぱり、ゆうこだ、僕の顔を忘れたのと言ったのです、


よく見るとなんと、私の大学の先輩だったのです、健治さんはどうして此処にと尋ねるとさきほどの食堂が実家で会社でヘコむ事があり、

休みを取り帰ってきたのだそうです、


逆に、ゆうここそ何でこんな所にと聞くので、わからないと答えると、さては僕の事が好きで追っかけてきたのだろうと言うので、バレたかあと

笑っていると、いきなりやさしく抱いてキスをしたのです、


薄目を開けると何か悲しい出来事があったのか、彼の目からひとすじの涙が、そして傷ついたもの同士のせつない恋が始まったのです、二人で旅

に出ることにしました、また夜行列車に乗り西へ向かったのです、


岡山からローカル線に乗り変え宇土と言う町へたどりつきました、ここは瀬戸内海の小さな町で四国行きの連絡船がでています、彼がどうしてここ

を知っているのと聞くので、昔来た事が有るのよ、随分昔に好きだった人がこの小高い丘に眠っているの、何でここ足がむいたか分からないよと答

えました。


彼は人は傷つくと思い出の場所にいくもんだよ、早くお参りに行こうと手をにぎり歩き出しました、お参りを済ませて、帰り道にどうして、亡く

なったの聞かせととせがむので、そんなに恋多き女の話を聞きたいのと言いもう5年の前の事なんだけどと話しはじめたのです。


私は大阪の出身で夏休みに四国88箇所めぐりを友達とする事になり、まず一番札所の徳島に行くため、大阪から和歌山に行き、徳島行きの連絡船に

乗ったのです、鳴門の渦潮を見て徳島に渡るの、その景色はすばらしいのよ、徳島に降り立ちとなりの鳴門市にある霊山寺を目指したの、


私の友達は歴史が好きで弘法大師の事を調べる為に私をさそったのです、私はたいして興味がなかったのですが、あんまり熱心に誘うのでなかば

仕方なく行く事にしたです、霊山寺に行くと、さすが弘法大師が最初に修行したとあって、霊験もあらたでとても心が洗われような場所でした、


友達がねえ、何かを感じたでしょう、これでゆうこの願いはかなうよ、なんっていったって空海(弘法大師)は真言密教の開祖で天才だったんだよ、

と自慢げに話したのです、


今夜の泊まりはひなびた場所だよと、近くの民宿に案内したのです、お風呂に入り、大広間に行くと海鮮料理がならんでいます、え~つ精進料理

ではないのと言うと、宿坊はそうだけど、ここは漁師の人がやっているので海鮮料理なの、ゆうこは肉魚が好きだから精進料理だと文句言うのでは

ないかと思ったからここにしたのよと、笑っていたのです、


民宿の女将さんがそばに来て、まあ若いのに、おへんろ、とは感心なことと言うので、友達が実は大学の卒論で真言密教と空海について書かなけれ

ばいけないので、少しでも弘法大師に触れたいと思ったんです、と言うと、私にはよくわからないけど、ともかくえらい人よと言って、


私の主人が漁師なの今日取ってきた新鮮な魚ばかりだから、今日は一杯食べてまた明日も頑張って、おへんろ、してねと料理を勧めたのです、

鯛の刺身を一口食べると歯ごたえがあっておいしいので、目を丸くしていると、ゆうこ、来てよかったでしょうと友達が言うので、うん、空海は

よく食ったんだね、なんたって空海だからとちやかすと、そんな事ゆうとバチがあたるよと、友達がにらみつけたのです、


食事が終わると、友達が弘法大師がいかに天才かを話し始めたのです、遣唐使として中国の唐の都に仏教の修行に無名の僧として行くのだが

当時一度に行くと途中遭難した時全滅になる為、少しずつ時期をづらして行く決まりであった、空海は第一便にて唐に向う、この時の第三便

第四便は遭難し全て帰らぬ人となる、持ち前の運の強さがあるのよ、


唐にわたり、普通は何十年もかかり、中にはそのまま帰れない人もいるのにたった二年で修行を終え日本にかえってくる、書道の達人であり

弘法も筆のあやまり、と言うことわざがあるが、弘法大師ほどの書の達人でも間違いがあると解釈するのが普通だが、頼まれて書を書いた時


応の一番上の点を書き忘れたのを気ずいたが書はすでに飾ってあった、弘法大師は額をおろさず、筆を投げつけて書き直した、さすがやること

が違うとのほめ言葉だそうである、などを喋り、私は疲れて眠いのですが、寝かせてくれないのです、そして一番札所を始めてとして友達との

珍道中が始まったのです、










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