シェリー・ディレイル・ヘルキャット編

 001


 あるよく晴れた日の午後、母親に手を引かれ歩いている子供だったり、携帯電話で話しながら歩いているサラリーマンだったり、トボトボと歩く老人だったり、様々な人とすれ違いながら

 、僕は一人で街を歩いていた。


 と、書くと休みに一人で出掛けているようだが、実を言うと只、下校中というだけだ。

 僕が下校中ならば、当然他の生徒も下校中ということで、大半の生徒が友達と談笑しながら歩いている。

 学校で起きた笑い話、誰々と誰々が付き合っているだのと噂話、実はあの子がどうであいつはこうでと陰口。

 ここで聞き耳を立てていれば学校の生徒情報は全て網羅もうら出来そうなほど様々な話で盛り上がっている。


 いちいち他人の話には首を突っ込み、自分の事は上手く隠したりして、本当に感心してしまうようなコミニュケーション力だ。


 まるで興味が湧かない。


 しかし、興味が湧かないのは確かだが、僕には仲良く一緒に帰る友達は1人としていないのも確かだ。

いや、言ってしまえば独りでいる方が好きだから一人でいる、と、言う方が正しい気もする。

 誰に気を使うでもなく、誰の気を使わせる事もなくいれるのは、独りの特権とも言える。


 そして、もう1つ、独りで帰りたい理由がある。

 先に特別な事が何もないと話したけれど、唯一特別に思っている場所がある。

 その場所を誰にも邪魔されたくなかった。


 002


 その場所というと、

1年の時に、あてもなく寄り道しながら帰っている時に偶然に見つけた場所なんだけれど、

少し帰り道から外れた所にある川沿いを歩いていた時のことだ。

 川沿いの途中に、人が1人分くらい通れそうな樹々の間に、河原に降りられそうな大きな岩があったので、興味本位で降りてみた。

 そこで見た、水彩画で描かれたような夕陽に、その陽が反射して光る川の水、静かに流れる川の音。

 その全てが相まって、まるで絵画の中に入り込んだような気になった。


 そう、ここだけは誰にも邪魔してほしくなかった。

 僕だけが知っている、僕だけの場所だった。



 やっぱりここに来ると、自然に包まれて、自分の中にある鬱陶しさやモヤモヤが浄化されていく。

 今日も、河原の岩に寝そべりながら、

 しばらくのんびりしようと思ったその時、鳥の群れが、何もない土手に一斉に集まってきた。

 餌でも見つけたか、と、思い近づいてみた。

 すると赤い液体が水溜りのように溜まっていた。

 何かの塗料かと、思っていると

集まっていた鳥が一斉に飛び立った勢いで赤い液体が体中に飛び跳ねた。


 うわ、まじかよ、流石にこんなに制服を汚して帰ったとなったら、母親から大目玉をくらうぞと思いながら、目を擦り開けると、

 さっきまで赤い液体が溜まっていた場所に女の人が横たわっていた。

 綺麗な長いシルバーの髪に、所々破れた真っ黒なドレス、

 そして、その身体中に纏った真っ赤な液体が血であることを一目で判断できた。


「……なあ、おい大丈夫か?」

「う……うう……」


 恐る恐る、僕はその女に話しかけると、その女は今にも死にそうに悶え苦しんでいた。


「とりあえず、すぐに救急し……」


 救急車を呼ぼうと言う前に、力なくその女は僕の腕を掴んできた。


「……よ……い。よいの…じゃ」

「な、何言ってんだよ、いいわ……」


 いいわけないだろ、という言葉を遮るようにこう言った。


「何故、助け……る……」


 振り絞るように言ったその女の目は、

 ぞくっとする程に、凍りつく程に、冷たい目をしていた。 そして続けた。



 ──やっと死ねるんじゃ



 倒れている人を見殺しになんてできない。出来るわけがない。

 しかし、生きている事に飽きたなどと語っていた僕が、誰かを、何かを、救おうとするなんて思いもよらなかった。

 何とかしないと死んでしまう。

 何とかしないと、何とかしないと、只々そう思った。

 そして、僕の腕の中で、女はぐったりとしたまま目を瞑った。


「おい! しっかりしろ! 死ぬなよ!」

「……」


 思わず抱きかかえて大声を出した。

 もう返答すらも出来ないのか、それとも本当に死んでしまったのではないかと思ったが、

 それでも必死に呼び続けた。


「なあ! おい、起きろよ! 死んだら許さねえぞ!」

「はは……ゆる……さぬか」


 こんな状況でも微かに笑みを浮かべながらそう言った。


「ああ、許さねえ。やっと死ねるなんて言うもんじゃねえ。生きてればいい事だってあるんだよ、簡単に諦めてんじゃねえよ」


 自分でも驚く程の事を言っているのは分かっていた。でも決して嘘をついた訳じゃなかった。


「いい……こと…じゃと?……そんなものあ……」

「ある! 何があったか知らねえけどいい事はある! 約束する!だから諦めるな」


 今度は僕が遮ってそう言った。言い切った。

 自分自身にも言い聞かせているかのように言い切った。


「やく……そ……く」

「ああ! 約束する!」


 すると、突然目の前の女が光に包まれるように発光し、

 自然に破れたドレスが元の状態にもどり、傷は癒え、血は消え、女はゆっくりと体を起こした。

 そして、先程の冷たい目が嘘だったかのような優しい目で訪ねてきた。


其方そちの名は何と申す?」


 俺はこの状況が全く何一つとして掴めないままだった。先程まで瀕死状態だった女が、まるで初めからそんな事なかったかのように、高貴で、優雅で、そして美しく、そこにはいた。


 003


「な、名前? 神空光だけど……」


 そうか、神か、皮肉なもんじゃのう──と、女は言う。


「私は女悪魔サタンじゃ。名をシェリー・ディレイル・ヘルキャットと申す」


 何が何だか意味がわからない。

 さっきまで僕の腕の中で死にかけていたこの銀髪の女が、実は女悪魔? しかも名前はシェリー・ディレイル・ヘルキャット?

 やはりこの女も怪我でおかしくなっているのか?

 傷が治ったなんて僕の見間違いであって、最初から傷なんてなかったのかもしれない。

 もうよく分からない事だらけで、どこから分からないのかも分からないくらいに分からない。


「あ、あの、その……大丈夫なのか?」

「ああ、傷はこの通り全て塞がった」


 そう言う事じゃなくて、正気か、ということが言いたかったんだけれど……。


「しかし其方、まさか人間自ら契約をしにくるとは、初めてじゃったぞ」


 は?

 契約?

 引っ切り無しに何を言っているのか分からない言葉が出てくる。


「あの、契約って……なんの?」

「ははは。惚けても無駄じゃ。確かに其方は私に約束すると言ったの、契約すると言ったの」


 全く惚けたつもりは無かったが、面白かったのか、この女──いや、シェリー・ディレイル・ヘルキャットは笑いながらそう返してきた。


 ん?


「いや、約束はするとは確かに言った。でも契約するなんて一言も言ってないぞ!」


 そうだ、勝手に何かの契約を結ばさせられるところだった。

 なんだこいつ、実は悪徳セールスマンだったりするのか?


「同じことじゃ。それか何か、其方は約束なら簡単に破れるが契約ならば、そうもいかなくなるから、ということかの?」


 どうなんだと言わんばかりに僕の顔をじっと見ている。

 すごい嫌な追い詰め方をしてくる女だなこいつ。やっぱり悪徳セールスマンじゃないのか。


「そもそも、俺が約束したのは、生きてりゃいいこともあるって事だろ? 大体そんな曖昧な基準で契約も何もないだろ」

「それなら問題はない。私基準で公平に判断するから大丈夫じゃ」


 馬鹿なのかこいつは。

 まるっきり話が通じない。

 どこが公平だ、何が私基準だ、こいつ俺をからかっているのか。


「ところで其方、其方は願いが決まっておるのか?」

「……願い?」

「願いじゃ。契約なんじゃから勿論、其方の願いを何でも叶えてくれようぞ」


 俺は、悪い夢でも見てるんだな。そうか、そうに違いない。

 悪魔に願いを叶えてもらおうなんて

 ふざけた事を冗談にも考えていたが故に見てしまっている悪い夢だ。

 そうでなくちゃ、いきなり自分の特別な場所に死にかけの女が倒れていて、その女の傷が目の前で癒えていき、更に願いを叶える為の契約って……。


「これって明晰夢ってやつだな。夢の中で自分が夢の中にいるって気付くやつ。夢かよー、驚かせるなよー」


 全く本当にもう、夢ならもっとマシな夢にしてくれよな。

 まさか夢に出てくるくらい僕も真剣に悪魔に願いを叶えてもらおうだなんて、もう高校2年生なんだからもっとしっかりしなくちゃな。うんうん。


「これが夢か現実か、都合のいい方に考えればよい。しかし一度契約するとその願いは取り消すことはできん。慎重に考えた方がよい」


 銀髪の女──いや、シェリー・ディレイル・ヘルキャットは真面目な顔をして僕に言った。

 所詮は夢だというのに、やけに嫌な汗をかいてしまっている。


「もし、その契約自体を今取り消そうとすればどうなるんだ?」


 夢の中とはいえ、妙にリアルな緊張感から思わずそう訊ねた。


「今ならばまだ間に合う。まだ正式に契約を交わす前じゃ。辞めたいなら辞めればいい。しかし、一度契約を交わした後ならば話は変わってくる」

「何が変わってくるんだ?」


 シェリー・ディレイル・ヘルキャットは何かを考えるように斜め上に視線を動かした。


「そうじゃのう。では」



 ──寿命の3分の1を頂こうかの



 女悪魔ことシェリー・ディレイル・ヘルキャットはそう言った。

 しかし、寿命の3分の1と言われても、自分の寿命がいつまでかも知らないのに、漠然とそう言われても

 ピンとこないでもあった。


「俺の寿命がお前には分かるのか?」

「ああ、分かる」


 知りたいか?と女悪魔は言う。

 思わず生唾を飲み込んだ。夢だとしても、あまりにリアルで、怪奇的で少し身震いした。


「いや、聞かないでおく」

「それが正解じゃのう」


 人間、いや生きている者すべては、

 いずれ死に往くことは誰だって知っている事であり、紛れも無い現実だ。

 寧ろ、決して死は否定するものでは無い。

 しかし、いずれ自分も死に往くこと、そしてその寿命が決まっている事に対して言語化されると、只ならぬ恐怖を感じた。


「悪い悪い、冗談じゃ。その代わりに

 その時の其方(そち)の1番大切な物を頂くことにしよう」


 とても冗談には感じなかったが、冗談だというのなら冗談だったのだろう。しかし1番大事なものとは何なのだろう。


「それは人か、それとも物か、あるいは金か、立場か……大切な物など人によってそれぞれじゃ。

 安心せえ、命までは取らぬ。私も鬼じゃない」


 まぁ悪魔なのじゃがの──と、女悪魔は言う。


「いい事あると言っても、それは明日、明後日の話じゃないかもしれない。10年、20年後、いや死ぬ前かもしれない。それでもいいのか?」


 もう夢でも現実でもどちらでも構わない。

 只、真剣にこの状況と向き合う事にした。


「ああ、構わない。100年、200年先でも。400年近く生きとる私が今更そんな細かい事は言わぬ。

 そう、私は死なない。死ぬ事がない。言わば不老不死というわけじゃ」


 さっきも死にかけたと言っても死ねるわけじゃない。只、期待してみただけだ──と、女悪魔言う。


「どうする? 契約は辞めておくか?今のうちじゃぞ」


 たしなめるようなその言葉に僕ははっきりと答えた。


「約束しただろ。生きてりゃいいことあるって。俺は約束を破る気持ちも、嘘をついたつもりもないよ」


 そうだ。どうせ毎日生きていても何もなかった人生だ。1度くらい自分でリスクを冒してでも何かアクションを起こしてみるのも悪くないだろう。


「なら願いは決まっておるのか?」

「ああ」


 色々考えてみたが、もうこれしかないと思った。これこそ今、1番叶えたかったことだったのだ。


「生きてりゃいい事あるんだって俺にも思えるような生き方でいさせてくれ」

「ふん、面白い」


 契約成立じゃ──と、女悪魔は言う。



 これが女悪魔こと、シェリー・ディレイル・ヘルキャットと出会いだった。

 この出会いが僕の人生を良いも悪いも劇的に変わったと言っても過言ではないだろう。

 そもそも、悪魔と契約した人間ってだけでも普通の人生ではないだろうし。


 この後にもシェリー・ディレイル・ヘルキャットと僕の出会いにおいて

 事件があったのだがそれはまた追々語っていくことにしよう。

 まだ、全てを語るにはお互い時間はたっぷりとある。僕が死ぬ前にまた語ればいいだろう。



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