ラブノート 俺だけが知っているヒロインルートの攻略法
角川スニーカー文庫
1章-1 高度に発達したぼっちはラブコメと現実の区別がつかない
伊達光成は高校生活に敗北した。
――しかし、俺は戦ったのだ。
戦わねば負けることもできない。その思いだけがいまの光成を支えている。
逆に言えば、そうでも思わないと折れるのだ、心が。
光成の座席は教室の後ろ、廊下側。そこから教室の前方を望む。
教壇の周りでは高校生活に勝利したグループが談笑している。そのなかで一際背の低い、しかし一番声の大きい男子に目がいく。
名前を佐藤洋一という。栗色の髪を、お前それ朝何時に起きてセットしてるんだ、と問いただしたくなるほどツンツンのがっちがちに固めている(しかも毎日寸分違わない形状であり、カツラかヘルメットではないかという疑いを光成は捨てていない)。吊り目だが、笑うと人懐っこい笑顔になる。勉強は得意ではないが、バスケットボール部でポイントガードを勤めているので地頭はよいのだろう。一年生だからレギュラーではないが、話によると上級生からも一目置かれているらしく、彼が部の主力になるのは既定路線と言われている。そして毎日違う腕時計を巻いている。五日間、毎日だ。すべてメーカーが同じだからわかりにくいが、ベルトの色が違う。あとピアスも毎日違う。それと靴下はタッキースタイルが好み。あと、スマホはSIMフリーの海外製で、通信業者もMVNOみたいだ。それとそれと――。
――まあ、興味ないけど。
つまりなにが言いたいかというと。
――化けるものだな。
そう、佐藤洋一は『高校デビュー』を果たしたのだ。
――ほら、あれだ……。最近のラノベでよくいる奴。
中学生のころは根暗でハブられていたが、高校入学を機に一念発起してファッションや立ち居振舞いを訓練し、リア充グループ入りを果たす奴。
そしてぼっちオタクの主人公が「リア充はいいね」なんて嫉妬すると、
「俺は努力してこうなったんだ!」
みたいなことを言って、主人公の怠惰を説教する奴。それが佐藤洋一だ。
それはいい、どうでもいい。うらやんだりはしない。怒られるし。
光成が言いたいのは、彼は――。
希有な例である、ということだ。
光成自身もライトノベルを愛好しているせいで感覚がおかしくなっていたが、そもそも高校デビューなどというものは、まず成功しない。
考えてみれば当たり前の話だ。三つ子の魂百までということわざがあるが、発達心理学によれば、人間の性格が環境によって変化するのはおおよそ三歳くらいまでだという(もちろんそれ以降まったく変わらないということではなく、大きなイベント――結婚、出産、死別――などによって変わることはあるが)。中学時代に根暗な人間が高校入学と同時に根明に変身するなどあり得ない話なのだ。
要するに、高校デビューに成功するような輩は、そもそも高校生活に勝利する才能があるということだ。
くだんの佐藤洋一は、中学時代は根暗な男だった。クラスメイトの輪には入れず、休み時間ともなれば机に突っ伏してコミュニケーションを拒否するような男だった。
――どうして知っているかって? 同じ中学だったからだよ。
ここ須部石高校は、光成たちの中学校からは遠い。ではなぜそのふたりが同じ高校で出会ってしまったのか。簡単なことだ。
光成もまた高校デビューを画策した。
そして光成は、高校生活に敗北したのだ。
――少なくとも、俺は戦ったのだ。
そう思わないと心が折れそうになる理由がおわかりいただけただろうか。
佐藤洋一を――勝利者を目にするたび、毎日、自分が敗北者であることを突きつけられるからだ。
高校生活に敗北した者がどういった末路をたどるか。ふつうであれば、いわゆるクラス内ヒエラルキーの最下層に沈むと考えるだろう。
――甘い。
ヒエラルキーは上位にリア充、下位にオタク、それ以外は程度の差こそあれ、おおむね中間層というのが一般的な認識だろう。
しかし、高校デビューに失敗した者は、どこにも入れない。
リア充たちからは「痛い奴」と罵られ、オタクたちからは「裏切り者」と糾弾され、中間層は「両方にハブられてる奴はこっち来んな」と距離を置かれる。
ヒエラルキーにすら属せない、完全なる傍観者。アウトサイダー。それが高校デビューに失敗した者の末路――つまりは、伊達光成の末路なのである。
もうこうなったら透明人間も同然だ。休み時間はやりたくもないソーシャルゲームで暇を潰し、授業が終わればそそくさと帰る。
別につらくはない。むしろ人間関係に気を揉む必要がないぶん楽だった。
――というか、十六やそこらで処世術が必要とかおかしくない? ねえ?
目の前をリア充グループが通りすぎる。そのとき佐藤洋一と目が合った。
須部石高校入学式の日、中学生のころとは正反対のちゃらちゃらした格好の光成が、同じくちゃらちゃらした格好の佐藤と鉢合わせたときの気まずさは、いまも不意に思い出しては軽く十分は身悶えできるほどだ。
「おお」
「ああ」
と、謎のあいさつをかわしたのを最後に、ふたりは一言も会話をしていない。
これから戦場へ向かう戦友に、それ以上の言葉が必要だろうか?
そう、彼は戦友なのだ。彼は生き残った。光成は死んだ。それだけの違いだ。
光成は佐藤に向かってうんうんと鷹揚にうなずき、サムズアップをした。
――お前は俺たちの希望の光だ。俺の屍を越え……
佐藤はぷいっと顔をそらして教室を出ていった。
「……うん」
――それでこそリア充だ。もう教えることはなにもない……。
「なにこいつ、泣いてる、きもっ」
ギャルギャルしい格好の女が光成に簡潔な罵声を浴びせて教室を出ていった。
「しかし俺は戦ったのだ、しかし俺は戦ったのだ、しかし俺は戦ったのだ……」
最近、この言葉の使用頻度が高く、効果が薄まってきた。もっと強いのが必要だ。
○
家に帰ってもとくにすることはない。母が作ってくれた夕飯を食べ、少し勉強して、風呂に入り、漫画やライトノベルを消化する。
眠る前のこの読書タイムが一番心が安らぐ。
光成はベッドに敷いてあった布団を、わざわざ床に敷きなおした。
小学生くらいのころ、両親にベッドを買ってもらってはしゃいでいたが、その夜から夢のなかに生白い肌の女の子が現れるようになり、それ以来、ベッドが苦手になったのだ。しかしせっかく買ってもらったベッドを撤去してくれとも言い出せず、床で眠るようになった。それ以降、女の子の夢は見ていない。
部屋の明かりを落とし、代わりにデスクライトを点灯させる。これくらいの明るさが文字の読みやすさを損ねず、かつ物語への没入感も得られてちょうどよい。
読書を開始する。
気まぐれで買ったこのライトノベルは当たりだ。キャラもいいし、ちゃんと笑える。ページをめくる手が止まらない。
わくわくしながらページをめくる。
手が止まった。リア充キャラが登場したのだ。過去になにかトラウマがある奴だ。そしていやに根暗主人公に突っかかってくる。
――出やがったな、佐藤洋一……!
キャラの名前は佐藤洋一ではない。しかし光成にとってこいつは佐藤洋一だった。
本のなかで佐藤洋一は主人公に論破されていた。胸がすっとした。なんだか自分が佐藤洋一に勝ったような気分になったのだ。
そして主人公はヒロインたちといちゃいちゃしはじめる。
「お前も佐藤か!」
光成は本をぶん投げた。
「くそっ、なんだこれ、全然楽しくないぞ高校生活! こんなもんか? お前の力はそんなもんか? 俺をもっと楽しませてみろ!」
光成は布団の上を転げ回って手足をばたばたさせた。
「ああ正直に言うよ、未練たらたらだよ! とくに苦労もなくモテたいよ! 悪いか! 悪いわけがない! みんなそうだろうが!」
立ちあがって天井に向かって叫んだ。
「可能性すらなくなった俺はどうすりゃいいんだよ!」
床が「ドドドン!」と鳴った。一階にいる母、光代が天井をモップの柄かなにかで突いたのだ。いまのは「黙れ」という意味だ。
「ええ……? おかしくだろ。対話だ! 対話を要求する! 俺は動物園の猿じゃねえぞ!」
床が「ドドドド、ドドドドド!」と鳴った。意味は「殺すぞ、早く寝ろ」である。ちなみにこれを無視すると直接の折檻が行われ、待遇は動物園の猿以下となる。
「はい」
光成は弾かれるようにライトを消して布団に飛びこんだ。深いため息をつく。
――俺はいったいなにを間違ってしまったんだろう。
シミュレーションは完璧なはずだった。
中学時代、あらゆるラブコメを読み尽くした。そして不満に思った。
主人公たちはわざわざ窮地に陥ろうとしていないか? と。突然、耳が遠くなってヒロインの重要なセリフを聞き逃し、シリアスな場面でセクハラをかまし、そのくせモーションをかけられると臆病になって逃げ回る。
自分ならもっとうまくできる。もっとちゃんとした主人公になれるはずだ。
あらゆる場面を想定し、とるべき言動をシミュレートした。こう言ってきたら、こう返そう。セリフは一言も聞き逃すまい。性欲に負けてセクハラはすまい。ヒロインの情熱には全力をもって誠実に応えよう。ヒロインたちを悲しませたりは絶対にしない……。
だから、高校生活は必ずうまくいくと思っていた。
中学校を卒業する少し前、光代が光成に、
「お前、最近なんか変わったな」
と言った。光成は、自分の努力が実ったのだ、これで高校生活は安泰だ、そう思った。
しかし光代の言葉は光成の期待とは違った。
「ツッコミがうまくなった」
「……は?」
「ツッコミがうまくなったっつったんだよ。ナントカっていう芸人みたいだな。名前は思い出せねえけど」
「い、いや、ほかに変わったところは」
「? ねえけど」
愕然とした。高校デビューを目指し、ラブコメを解析し、努力に努力を重ねて光成に残ったものは、少々のツッコミの腕と多大な徒労だった。
結果は知ってのとおり、敗北。
光成はもう一度、大きなため息をついた。
目をつむったとたん、今日の出来事がフラッシュバックして眠りを邪魔しにやってくる。光成にとってはジ○リ映画の再放送みたいなもので「はい来ました恒例のあれね」といつもどおり「でも俺は戦った」の呪文を「バ○ス」感覚で唱えているうちに、とろとろとした眠気がやってきて、やがて意識は暗転した。
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