第9話 神様、サンタを捕まえる
「うー。やっぱり、緊張するなぁ」
通勤ラッシュがいくらか落ち着いた時間帯。
いくつもの会社のオフィスが入居している駅前のモダンなビルを見上げ、菊理は呟いた。
守銭奴の魔の手を逃れ、無事日常生活を送れるようになった菊理は、ハローワークで見つけたひとつ目の仕事の面接に受かり、四月一日の今日、入社することになった。
いくつになっても。
何度経験しても。
新しい職場での初日というのは、緊張するものだ。
今回の職場は、外資系企業の日本支社。
東京から移転したため、転勤できなかった派遣社員やパート社員の穴を埋める人材が急遽必要だということで、あらゆる部署においてかなりの人数を採用していた。
菊理は、これまでの経験や適正検査から営業部に配属された。
営業をするのではなく、営業担当者たちの事務仕事や電話連絡を請け負うポジションとのことだった。
今日は、社内を案内したり、今後一緒に仕事をするスタッフとの顔合わせが主になるため、通常の出勤時間より一時間遅れで来るように言われていた。
ガラス張りの入口を抜けたエレベーターホールで、二十階にある社名を確かめる。
『ニコラウス&ループレヒト株式会社 日本支社』
外資系企業ではあるけれど、外国人スタッフはごく一部の部署だけだと言っていた。
いきなり「ハロー、マイネイムイズ……」なんてことにはならないはず。
鏡の前で、寝ぐせは何度もチェックした。
決して細くはない足ではあるが、ストッキングは伝線していない。
ドキドキしながら、滑らかなエレベーターによって運ばれ、降りてすぐの受付に向かう。
フロアひとつを貸し切っており、受付のある場所とその周辺はお洒落なデスクやお洒落な人々で埋まっており、なんだか眩しい。
「おはようございます。今日から、こちらの営業部に配属となった木花菊理です。十時に出社するよう言われていたのですが……」
お人形のような美しい女性におずおずと申し出れば、完璧な微笑みが返って来た。
「木花さんですね。はい、お待ちしておりました。少々お待ち下さい。まずは、人事部の者が迎えに参りますので」
壁際にあるソファーに腰掛けて待つように言われる。
出来るだけキョロキョロしないよう、目線だけ動かしてオフィス内を見回せば、一見して普通のオフィスに見えるが、観葉植物にオーナメントがぶらさがっていたり、何故か巨大なブロックが転がっていたり、天井から星がぶらさがっていたりと、かなり自由な雰囲気である。
日本人スタッフが多いようだが、中にはちらほらとそうではない姿も見受けられた。
「お待たせしました。木花さんですね? 私、人事部のニルス・シュトラウスと申します」
不意に影が差し、はっとして見上げれば、そこにはロマンスグレーの紳士がいた。
「は、お、おはようございます。よろしくお願いいたしますっ」
差し出された手を取って握手し、慌てて立ち上がれば、くすりと笑われた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。では、早速ですが社内を簡単にご案内しましょう」
にっこり微笑まれ、なぜか再び手を差し出される。
「……?」
「よろしければ鞄、お持ちします。ロッカーのご案内は最後に、と思っておりますので」
いえいえ。
「だ、大丈夫です。そんなに重くないので」
「そうですか。では、コートを」
「……」
引き下がらないオジサマに、菊理は抱えていたスプリングコートを手渡した。
「お、お願いします」
「とんでもない。わが社にとって、大事なレディですので」
何か、空耳が聞こえたような気がする。
「さ、行きましょう」
まずは総務部から、と受付の後ろに広がっていたエリアを案内された。
流暢な日本語の説明を聞きながら、経理、広報、IT、製品開発部と回り、大規模な事業は外注するが、いざ何かあっても、ある程度自社で賄える体制であることを知る。
「わが社の花形は、やはり営業部です」
最後に案内されたのは、フロアの四分の一を独占している営業部。
そこは、まるでおもちゃ箱のようだった。
鉄道模型や季節外れのクリスマスツリー。
すごろく的なものやダーツ。ぬいぐるみにロボット模型など、色んな玩具が壁際にずらりと並び、中には誰かのデスクの上に鎮座したり、床に転がっていたりしているものもある。
部屋の片隅には大画面のTVがあり、ソファーに沈んだ誰かが巷で大人気のゲームをプレイしているようだ。
「現在、わが社がメインで開発しているのはオンラインゲームや家庭用ゲーム機器ですが、もともとは玩具を扱う会社です。未だ根強いファンも多く、いつ何時、どんな製品について問われるかわかりませんので、営業担当は社のすべての製品に精通していなくてはなりません」
しかし、溢れかえる玩具に反して、フロアはがらんとしており、ゲームをしていると思しき人以外に、誰の姿も見当たらない。
「実は、この季節は長期休暇に入っている者が多いのです。わが社の繁忙期は、年末年始とお盆前なのですのが、特に年末年始は、自社だけでなく海外支社に応援のため出向いたりと、かなりの激務が続くので、療養を兼ねて一か月や二か月といった長期休暇を取ることが許されています。彼らが戻るまでの期間、木花さんにはゆっくりと仕事を覚えて頂きたいと思っています」
長い休暇は羨ましいが、きっと物凄い激務なのだろう。
菊理は、事務職になる自分も、その時期は巻き込まれるのだろうかと、少々心配になって来た。
実家の鬼母のこともあり、激務と激務がバッティングする事態は避けたいところだ。
そんな菊理の不安にいち早く気付いた様子の出来る人事、ニルスさんはにっこり笑った。
「レディには、無理なことはお願いいたしませんよ。そんなことをすれば、営業部長と私のクビが飛びます」
「……」
なるほど。
女性には優しい会社を目指しているのだろう。
菊理は、先ほどから意識の端々にひっかかる違和感を、無理矢理都合よく変換した。
「では、ロッカーへご案内いたしますね。なお、普段の勤務で制服はありませんが、クリスマスシーズンだけは全社員の団結を示すため、特別なコスチュームを着ることになっています。そちらのサイズを確認したいので、試着してもらいたいのです」
フロアの片隅にある女性用ロッカールームに案内された菊理は、使うべきロッカー番号を教えられた。
中に用意されているコスチュームとやらを試着することを了承し、廊下で待つと言うニルスさんを置いて、人気のない部屋に整然と並ぶロッカーから、目的の番号を見つけ出す。
暗号式ロックのロッカーは、きしむことなく滑らかに開き、一旦鞄を入れようとした菊理は、そこにぶら下がっていた見覚えのあるものに目を見開いた。
赤。白。黒。
その組み合わせは、つい最近まで、ずっと夢の中で見ていたし、時折衣装ケースの中から引っ張り出して眺めたりしていた。
「サンタ服……」
茫然としながら引っ張り出したが、一応下はスカートであるものの、サンタから貰ったようなエロいデザインのものではなかった。
まぁ、外資だし。
クリエイティブな仕事には、遊び心が大事とも言うし。
エライ人がコスプレ好きなのかもしれないし。
繁忙期であるクリスマスを盛り上げると言う意味もあるのだろう。
そう己を納得させ、素早く着替えた。
サイズは、驚くほどぴったりだった。
既製品とは、とても思えない。
「……あのう……着てみました」
ロッカールームから顔を出せば、やけに姿勢よくウロウロと廊下を歩きまわっていた様子のニルスさんが振り返る。
「ああ、素敵ですね! さすがですね! よくお似合いです。実に、プリティです」
手放しで褒められ、恥ずかしいやら気まずいやら。
「あ、ありがとうございます」
「その姿で現れたなら、イチコロだったのも頷けます。いや、まったく、本当に、素晴らしい」
うんうんと頷くニルスさんに、「写メ撮りますか?」と尋ねられたが、「結構です」とお断りした。
送るアテもないし、自分で見て楽しむ趣味もない。
「毎日その格好でもいいくらい、お似合いですねぇ……」
「はぁ……でも、夏とかはちょっと無理じゃ……」
「南国用に開発された、ドライフィットタイプもあります。きっと、そのうち用意されると思いますが、某有名アパレルメーカーと共同開発したものですので、機能性バツグンですよ」
「はぁ……」
真夏にサンタになる予定はない。
そもそも、サンタじゃないし。
菊理の戸惑いを含んだ視線に気付いたニルスさんは、自嘲気味の笑みを浮かべて自省した。
「ああ、申し訳ありません、つい、興奮してしまいました。さ、元のお洋服にお着替えください。その後で、人事部にて入社の手続きをしていただき、営業部のデスクに必要な文房具などをご用意していただいて、本日のお仕事は終了です」
結局、仕事らしい仕事はひとつもせずに、菊理の初出勤は終わった。
しかも、夕方よりも早い時間。
学生並みの退勤時間だった。
ブラック企業とは思わないが、何やら胡散臭い気配がする。
ニルスさんには悪いものは感じなかったし、フロア自体にも淀んだ空気は感じられなかったが、洋物に対してはあまり自信がない。
何と言っても、サンタ詐欺を見抜けなかったくらいだ。
それに、相変わらず、御守りの御利益はさっぱりだ。
通勤途中で運命の出会いもなさそうだし、同じ部署にはそもそも出会うべき人間そのものの姿がない。
神様の化身だけど、お祓いでもしてもらった方がいいような気がする。
影の薄い実父では効果がなさそうだから、どっかよさそうな神社を検索してみよう。
スマホで、「祈祷、よく効く、イケメン、神主」などというキーワードで、最寄りの霊験あらたかな神社および神主を探していた菊理は、ほとんど習慣となっている帰宅途中のコンビニ立ち寄りを無意識に実行していた。
「いらっしゃいませ~!」
幸せオーラ出しまくりの妊婦さんに出迎えられて、自分がいつの間にかコンビニにいることに気付く。
取り立てて用はなかったが、お弁当の棚がちょうど帰宅時間に合わせて入荷したばかりらしく、品揃えがよいのを見て、俄然食欲が湧いて来た。
先日の山菜弁当は美味しかったけれど、今日は気疲れしたからガッツリ食べたい気もする。
まずは、ハンバーグ弁当だ。
それから……ちょっと小ぶりのビビンバ弁当。
常にストックが必要な冷凍枝豆。
そして、時々無性に食べたくなる冷凍お好み焼き。
ビックカップのインスタントラーメンは、新製品を投入。
デザートは、鉄板のシュークリーム。もちろんダブル。
それから……野菜が無さ過ぎることに気付き、ピクルスを追加した。
乾き物でジャーキーを足した。
飲んだくれるつもりはないが、早い時間だし、ちょっぴり飲んでも明日には差し支えないだろう。
なんだか覚えのあるチョイスに、菊理は「おでんがないな」と思った。
同じように思えるものでも、足りないものがある。
毎日、同じように過ぎて行くようでも、ないものがある。
気付かないふりをしていたけれど、ずっとぽっかり穴が開いている場所がある。
じわり、と熱いものが目の縁に滲み、「おでん」くらいで泣くなんてと自分に呆れたとき、くすりと笑う声が聞こえた。
「おでん、ちょっと先の別のお店で売ってましたよ。菊理さん」
は?
「ひと通り、買い占めてみたんですが……」
振り返れば、見るからに生地に艶のある高そうなグレーのスーツを着たイケメンが、コンビニの袋を手に立っていた。
赤みを帯びた褐色の髪は綺麗に整えられており、袖からさりげなく覗くカフスボタンがネクタイとお揃いの光沢のある青で、お洒落だ。
その青は、悪戯っぽく光る瞳と同じ色をしている。
きちんと磨かれた茶の靴。大事に使われていると思われるいい感じに艶の出ている皮製の鞄。
手首に嵌められた時計は、文字盤がなぜかシースルーで歯車が見えている。
肝心の時刻は見づらそうだが、高級そうだ。
とても、コンビニおでんを買い占めるような人種には見えない。
サンタ詐欺師にも、見えない。
「クラウス……?」
茫然として呟けば、サンタは申し訳なさそうな顔をした。
「あのう……菊理さん。実は……残念ながら、菊理さんの愛する『たこ串』が品切れでしたっ! すみません」
色々と問い質したいことがあった菊理だったが、「たこ串」がないと聞いた瞬間、ものすごいショックを受けてしまった。
何たる悲劇。
おでんに「たこ串」がないなんて。
愕然とした菊理を見て、サンタはいかにも外国人らしく眉を引き上げたが、ふと、ニヤリと笑って菊理の耳に囁いた。
「ご要望とあれば、後で、サンタ袋から出しますよ? 菊理さん、いい子にしていたみたいなので」
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