第9話 勇者は再起する
これは早朝の事だ。
早朝、とは言っても私の部屋は朝だとは思えない薄暗さで、朝になったような気はしない。いい加減、時間の感覚が狂いそうだ。
魔王さんから貰った剣を腰に装備して、部屋で身支度を済ませた頃。いつものようにセレスちゃんが朝食を運んで来てくれる。そして、今は私とセレスちゃんのふたりきりだった。
パンやスープ、フルーツなどの軽食をワゴンからテーブルに移すのを手伝いながら、私は悶々と考える。
自身の心情は変わったが、依然として私は存在意義を問われている。魔王さんに厄介払いされるまで居続けてやる所存ではあるけれど、やはりその根性を披露しないで済むに越した事はない。この状況から早めに脱却したいものだ。
こんなに悩んでいるのだから、魔王さんも少しは私に改善策を授けてくれても良いのではないか。行き詰まっている所為もあり、内心ちょっと文句が出てくる。
魔王さんに頼らず、ひとりでどこまで出来るのかを試されているのは理解しているけれど、それとこれとは別だ。感情は操れない。
私は数々のお皿をテーブルの上に丁寧に並べている少女を見て思う。そう言えば、セレスちゃんも強かったりするのだろうか。魔王さんの直属の配下となると、弱くては務まらないような気もする。
それとも、セレスちゃんの一族は戦闘力を重要視されていないのだろうか。申し訳ないけれど、セレスちゃんはあまり強そうには見えなかった。
あっ、でも魔法が存在するとなると、外見では判断できない強さもあるのか……?
「あの、セレスちゃんは戦ったりします?」
「戦ったりですか?うーん……場合によりますね」
「全くしない訳じゃないの?」
「それは勿論です。最低限、自分の身は自分で守れるくらいでないと、魔界では生きていけませんから」
当然とでも言うように淡白な返しだ。実際にここではそうなのだろうけど、人間である私は魔族との感覚の違いを改めて認識した。
やっぱり自分の身は自分で守れるくらい強くならないとダメなんだな。このままだと冗談抜きで死ぬ事になる。
命の危機を感じていると、ふと、セレスちゃんの耳に乗っかった黒いペンが目に入る。今日のオシャレアイテムらしい。
眼鏡ふたつ乗せよりはアリ……だろうか。今日も独特だなぁ。
朝食をテーブルに移し終え、セレスちゃんが次の行動を起こす前に、サッと向かいにあるイスへ座るように促す。退路は早々に塞いだ。
セレスちゃんは戸惑いながらも、私に誘われるがままイスに腰掛けた。
「セレスちゃんは強い方ですか?」
「えっ……えっと、どうでしょう……」
歯切れの悪くなった口調に疑問を持ちながらも、私は更に言葉を続ける。
「魔界の平均的な強さで言うと、どれくらいかなって……言いたくない事なら、言わなくても大丈夫なんですけど」
「あ、違うんです!言いたくない訳ではなくて、ただわたしは胸を張って言えるような感じではなくてですね、その……」
セレスちゃんはもじもじと言いづらそうにした後、意を決したように話し始めた。
「魔王さまの配下として、魔界の平均で言えば強い方だと思うのですが、きょうだい……一族の中では落ちこぼれの部類なんです」
そう言い終えると、顔を伏せてぎゅっと拳を握りしめる。分厚い丸眼鏡に隠れていて表情こそ見えないが、声色からしてあまり明るい表情をしていない事は分かる。
そして、出だしから弱々しく口を開いた。
「勘当一歩手前と言っても差し支えなくて、面倒ごとを押し付けられるくらい立場は弱くて、要領が悪い所為で任される仕事も限られていて……誇れるようなことは何も……」
「そ、そうなんだ?」
「みんなわたしよりも優秀で……頑張らないとなぁって、いつも思ってるんですけどね……」
話しながら徐々に萎んでいく語調。それに比例して淀んだ空気が流れ込んで来ているような気がした。
落ち込みやすい性格なのかな……?
すっかり沈んでしまったセレスちゃんを元気づけようと、テーブルの上の朝食を「どうぞ」と勧めてみる。セレスちゃんは申し訳なさそうにしながらも、「ありがとうございます」と小さくカットされたフルーツを口に運んだ。
セレスちゃんはネガティブな雰囲気を漂わせ、私まで地味に落ち込んできた。
これはいけない。セレスちゃんのテンションに、私まで引き込まれている。早くこの悪い空気を払拭しなくては。
「でっ、でも平均よりは強いんですよね!どうやって強くなったんですか!?」
明るい調子でそう問うと、セレスちゃんは現実に引き戻されたようにハッと顔を上げて「すみません……っ!」と慌てて謝る。そして、さっきまでの暗いテンションが嘘のように、穏やかな笑みを浮かべて私の疑問に答えた。
その切り替えの早さから、私は何となくセレスちゃんにとってはよくある事なのだろうかと思う。ここまで極端ではないけど、ソラに通ずるものがあった。
「わたしは小さい頃から、姉に戦い方を教わっているんですよ」
「姉ですか?」
「はい。上に姉が5人いて、わたしの先輩みたいな存在なんです。兄も4人いるんですけど、普段一緒にいる事が多いのは姉と妹ですね」
「……ん?姉が5人で、兄が4人で、妹までいるの?」
「あ、弟もいますよ」
「弟まで!」
じゃあ何人きょうだいになるんだろう?少なくとも12人はいるよね?これって、魔界だと普通なの?
指を折って数えながら混乱してくる。こんな大家族、本当に存在するのか。
「きょうだいが多いんですね?」
「はい。ほとんどが腹違いだったりするんですけど、ちゃんと血が繋がったきょうだいなんですよ」
「えーと……つまり、一夫多妻でお父さんが一緒ってこと?」
「そうですね。クリスタルのファミリーネームを受け継いでいるのは、わたしの父の家系なので」
従兄弟とかはどうなるのだろう。『一族』という括りには入っていないのか?
一夫一妻が普通の私としては、一夫多妻の家族には理解の及ばないところがある。只でさえ、魔界という特殊な環境下なのだから仕方がない。
立場が弱いらしいセレスちゃんだが、家族について話す表情は穏やかだ。複雑な想いはあっても、嫌いではないのだろう。
今度はセレスちゃん自身に興味が湧き、「どんな人なんですか?」ときょうだいについての話を持ちかける。セレスちゃんはその話題に、パッと表情を明るくさせた。
セレスちゃんのきょうだいについての話は尽きない。一番上の姉は母親が同じで沢山のきょうだいを束ねる凄い人だとか、三番目の兄は凄くポジティブで会う度に元気付けられるだとか、他にも色々と話してくれた。
登場人物が多過ぎて把握し切れなかったけれど、それでもセレスちゃんの家族愛は十分に伝わる。それが微笑ましかった。
話を聞いている内に、私はセレスちゃんに親近感を覚え始める。分からないところもあるけれど、ほんの少し共感できるだけで身近に感じた。
家族を想う気持ちとか、凄い人に憧れる気持ちとか、そういう当たり前の事を話している彼女の姿に、自分と同じものを見出す。もしかしたら私は『魔族』を全く別の生き物として見ていたのかも知れない。
不思議と魔王城で密かに感じていた、味方のいない孤独感が薄れていく。魔族とも普通に仲良くなれるんじゃないかと思えたからだ。
「家族の事が好きなんですね」
「はい。だからこそ、わたしは家族に認めてもらえるくらい強くなりたくて……」
「分かります。私も魔王さんに認められるくらい強くなりたいので。早くあのトカゲの顔面に一発入れてやりたいですよ」
「アキラさんは過激ですねぇ」
ふふふ、とセレスちゃんが穏やかに笑う。とても和やかな雰囲気だった。こんな平和な談笑をするのはいつぶりだろうか。少なくとも、この世界に来て初めてだ。
そんな事を思っている私は、この世界に来てちょっと感覚が麻痺している。
「その、なのでわたしも修行中の身ですから、アキラさんが期待するような事は教えられないと思います。すみません、応援くらいしかできなくて……」
「いえ、応援で十分ですよ。孤軍奮闘するより心強いですから。私にも何か出来る事があれば言ってください!」
「アキラさん……」
ぱああっとセレスちゃんの表情が明るくなる。私もつられて自然と笑みが浮かんだ。
この短期間でお互いにだいぶ打ち解けていた。話してみると意外と話が合う。悩みが一致する。こんな事もあるんだなぁ。
久しぶりに癒された気がする。この会話で得たものは多かった。
「それに、セレスちゃんの話は参考になりましたよ!」
続けて力強くそう言い放つと、セレスちゃんはきょとんとした顔を私に向けた。
***
「気づいたんですよ。何が足りないのか」
向き合っている男が、眉間に皺を寄せながら睨むように私を凝視する。そんな冷たい視線を受け流して、私は言葉を続けた。
「私には師匠が必要です!私に色々な事を教えてくれる師匠が!」
「貴方はそれを私に伝えてどうするんですか?」
「師匠になりませんか?」
ハッと鼻で笑われる。
「ご冗談を」
エイマーズさんはやれやれと言った様子で、私に背を向けて歩き出す。しかし、それは当然予想していたので、めげずに付いて行く。
「同僚のよしみじゃないですか」
「貴方と同列に扱うのはやめて下さい」
「すいません、試しに言ってみただけです。でも、エイマーズさんがダメなら他に良さそうな人を紹介してくれると助かります」
「図々しいですね」
「遠慮してる余裕が無いんですよ」
きっと遠慮なんかしていたら、ここの人たちは私を相手にしてくれない。その代表が、今話しているエイマーズさんなのだけど。
私には参考にできる人が必要なのだ。セレスちゃんに戦い方を教えたお姉さんのように、それこそ『師匠』のような存在が。
すると、しつこく後を付いて来る私に折れたのか、エイマーズさんが立ち止まって、不快そうな顔を私に向けた。そして、ため息混じりに話し出す。
「ダグラスならば、暇人の貴方にも付き合う余裕があるのでは?」
「ダグラス、さん?」
「ええ。一度顔を合わせた事もあるでしょう。魔王軍の実動部隊を先導する、戦闘狂ですよ」
「お、おぉ……」
何だか凄そうな人じゃないか。戦闘狂っていうのが引っかかるけど、師匠にするにはなかなか良さそうだ。
一度顔を合わせた事がある人となると、魔王さんに連れられて来た集会場で会った人だろうか。
「そのダグラスさんはどこに?」
「知りませんよ」
「仲介してください!お願いします!」
私を横目に眼鏡を指で押し上げながら、エイマーズさんがため息を吐く。それでも歩を緩めない辺り抜かりない。
「居場所に心当たりはありますが……」
「教えてください!」
「仲介はしませんよ」
「それでもいいので是非!」
私の活気に満ち溢れた返事を聞いてエイマーズさんは途端に足を止めると、背後を振り返って隅っこで身を隠すように付いて来ていた少女に声を掛ける。
「セレスタイト」
「はっ、はいっ!」
唐突に話を振られたセレスちゃんは慌ててピシッと背筋を伸ばし、畏まったように表情を強張らせる。セレスちゃんは私と一緒にエイマーズさんを探してくれたのだが、どうやらエイマーズさんが苦手だったらしく、ずっと気配を消していたのだ。
「アキラを中庭に案内してください。それと、貴方は手出しをしないように」
「わ、わかりましたっ!」
エイマーズさんは用件だけを簡潔に述べると、さっさと向き直って再び歩き出してしまう。私は去って行くその背を見送りながら「中庭……?」と疑問を口にした。
セレスちゃんの方に目を向けると、心底ホッとしたような表情で胸を撫で下ろしている姿が見える。
「セレスちゃん、面倒な事に巻き込んじゃってごめんね」
「いえいえ、これくらいしか出来ませんが、お役に立てたなら良かったです。あっ、中庭ですよね。こっちです」
「ありがとう」
セレスちゃんは照れたようにはにかんで、控えめな笑みを浮かべる。
先程話が盛り上がったおかげもあり、セレスちゃんから敬語はいらないと言われたのでそうさせて貰っていた。私も同じ事を言ったのだけれど、普段から敬語で話しているので難しいらしい。残念だ。
それはさておき、私はセレスちゃんの後を追いながら軽く首を捻る。
それにしても中庭……中庭があったのか。城内を彷徨っていた時の事を思い出してみるが、そんな場所を目にした記憶は無い。
疑問に思っている私に気づいたのか、セレスちゃんが丁寧に中庭の事について教えてくれた。
「中庭は沢山あるんですけど、ダグラスさんが管轄する区画にある中庭が一番広くて賑やかな場所なんですよ。だから、中庭と言ったらダグラスさんって感じなんです」
「へえ、そんな知られた場所なんだ。何してるの?」
「楽しくお話しをされていたり、トレーニングとか、身体を動かしている方が多いですね」
「訓練場みたいだね?」
「あっ、はい。そうです。ダグラスさんのところは強い方ばかりですよ」
「なるほど」
私が今そこに案内されている理由に納得する。なかなか良さそうな環境じゃないか。
中庭について聞いた後も適当に雑談をしながら歩いていると、セレスちゃんが唐突に足を止めて「ここです」と笑顔で言った。
私はセレスちゃんに示された方向を見て、「お、おお……」と驚嘆する。
「これは……」
「賑やかですよね」
「賑やか……うん、そうだね」
想像していた賑やかさとは違うけど、と心の中で付け足す。もっと
学校の校庭くらい広い中庭は、背の高い建物に囲われて存在していた。天井の無い開放的な造りをしているが、空は薄暗いのであまり清々しさは無い。
そんな中庭では、素行の悪そうな魔族がそれぞれ固まって騒いでいた。
「オラァ!次こい、次ィ!!」
「クソ、何すんだこの野郎!!」
「てめぇこそ何すんだ、ああ゛!?」
「あいつ生きがいいねぇ、俺は右の奴に賭ける」
「んじゃ、俺は左に賭けるぜ」
「誰だここにトマト置いたのは!踏んじまったぞ!」
「……なっ、おれのおやつがぁ!!」
「またくだらない事で騒いでるわよ」
「マジくだらないわー」
不良の溜まり場にしか見えない。しかもとんでもない乱痴気騒ぎが、あちこちで勃発している。思わず後ずさってしまいそうな迫力だ。
横目にセレスちゃんの様子を確認するけれど、見慣れているのか微笑ましく笑っているだけだった。
これって、そんな微笑ましい光景か……?あそことか血が飛び散ってるし、それ見ながら怪しい賭け事してる奴もいるし、トマトとか……トマトは微笑ましいか?
「ダグラスさんは、今はいないみたいですね」
「えっ、いないの?」
中庭でたむろする魔族たちに目を向けて、それらしい人を探してみる。50人以上はいる中から、私がそれらしいと思う人物は結構居た。
ここに集まっている魔族はみんな体躯が良くて、強そうなオーラと迫力がある。ダグラスさんはそれよりも凄い人って事なのか。
エイマーズさんは私も会った事があるって言っていたけれど、どんな人だっただろうか。集会場の時の事は緊張の所為であまり覚えてない。
「ここにいる皆さんはダグラスさんの部下の方なので、聞いてみたらどうでしょうか」
「あ、あー……そうだね」
この人たちに聞く?
ハードルが高すぎやしませんか?
「それではアキラさん、頑張ってくださいね!」
「う、うん、がんばる……」
セレスちゃんはキラキラの眩しい笑顔を見せて、私は目を細めながら若干引きつった笑みを返した。
これだけ大勢の魔族の集団に身を投じるとなると、得体の知れない恐怖心が込み上げて来る。だってこいつら、慣れ親しんだ人間じゃない。
やるしかないんだよね。分かってるよ。うん、トカゲが沢山いるだけだと思えばいける気がする……。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
セレスちゃんの穏やかな声を背に、覚悟を決めて中庭の方へと足を進める。挙動不審にならないよう意識しているが、ちゃんとできているのだろうか。
さて、手始めにそこの女性の魔族さんに挨拶でも———
「あ?誰だこいつ」
「知らねえ」
「新入り?」
ヒィ!速攻で絡まれた!
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