第10話 大賢者と第二騎士団
大軍の移動を報せる土煙が消えて、しばらく経つ。
それは魔王城の方角に重なってからである。
すなわち、騎士団は到着してしまったと考えて良い。
「まずい事になった。先回りをするはずが、遅れを取るとは」
「やっぱり魔族の先導なんてやるべきじゃなかったんだよ。これで封印を解かれでもしたら目も当てらんないね」
「シノノメ子さんや。随分と旨そうなパンじゃのう。ひとつ分けては貰えんか?」
「フロウ様。これはパンではありませんよ」
まるで行楽や観光のような気楽さが漂っている。
リディアの不平は良いとして、フロウの不適切発言はいただけない。
更にこやつは、しきりに女魔族の胸に手を伸ばし、あしらわれ続けた。
痴呆老人となった今でさえ生来(せいらい)の気質は変わらんらしい。
いっそ両手を縛り付けた方が良いのかもしれない。
「皆様方、長らくお疲れ様でした。間もなく到着致します」
木々の間から断片的に魔王城が見える。
その言葉の通り、目と鼻の先であった。
「いよいよだ。お主ら、気を抜くな」
「誰にモノ言ってんだい。戦闘中のようだから、アンタは後ろに下がってな」
「シノノメ子さんや。パンをひと揉みさせちゃあくれんかのう?」
「フロウ、アンタも下がってな!」
遠くから聞こえる金属音、そして絶叫。
どうやら人間の集団と魔族が戦っているようである。
その魔族の声は極めて大きく、咆哮する度に森が揺れ、驚いた馬が驚き棹立ちとなる。
仕方なく残りは徒歩で向かった。
森を抜けると、そこは血生臭い戦場であった。
魔王城を背に、二体の魔族が立ちはだかっている。
そやつら相手に騎士団が果敢に攻め寄せるが、薙ぎ払われるばかり。
「ありゃあオーガ兄弟じゃないか。あのとき殺し損ねたみたいだね」
「流石の生命力。ここで撃ち取らねば禍根を残すやもしれぬ」
「はぁ。面倒だけど加勢するべきだろうねぇ。こちとら急いでるってのに!」
一つ目と三つ目のオーガである。
大人4人分はあろかと思える巨体を活かし、敵を徹底的に破壊し尽くす者たちだ。
兄弟かどうか定かでは無いが、絶妙な連携も強みとしている。
事実辺り一帯は血の海で、兵士どもはすっかり腰が引けていた。
こうなっては500人ほどの兵団も羊の群れに等しい。
オーガは落ち葉と戯れるが如く暴れ回っていた。
「リディア、ワシは詠唱に入る。しばらく引き付けて貰えんか」
「あいよ。いつものパターンかねぇ」
リディアは姿勢を崩さぬままに跳躍した。
目で追えぬほどの足捌き。
軽々と宙高く舞い、オーガの目や顔を斬り付けた。
剣撃が、流血が視力を奪う。
二つの巨体が狂ったように手足を振り回すが、空を切るばかりだ。
早くも敵の無力化に成功する。
「おう。老いた身であそこまで動けるとは。リディアもいよいよ化け物であるな」
翼が生えたかのように空を舞う老婆を見つつ、ワシは詠唱を始めた。
集中せねば、と自分に言い聞かせ。
「浮き世にあまねく猛(たけ)き精霊たちよ。大地の徒たるクラストが願う。炎は叡知の輝き、暗夜に惑う不明の徒に、ひとときの加護を与え給わんことを」
魔力が満ちるのが遅い。
魔王の領域において、闇属性魔法以外は軒並み不向きである。
だが低級魔法であれば、問題なく充足する。
杖を一つ目に向けて唱えた。
「ヒートブレイド」
鋭い炎の刃が襲いかかる。
高速の刃は避ける事も叶わず、巨大な胴を境に真っ二つにした。
魔法の勢いに押された一つ目は、そのまま背後に倒れた。
「へぇ。やるじゃないか。ジジイになっても健在だねぇ」
「リディア、気を抜くな。まだ三つ目が残っておる」
「平気さ。もう死んでる」
「何だと?」
その言葉に偽りは無かった。
動きを止めた三つ目の体中に赤い線がうっすらと浮かび上がる。
それから徐々に首、胸、腹、両腕、両足がバラバラに切り離され、地に崩れた。
まるで組み立て人形の部品のようだ。
こうして門番らしき二体の魔族は絶命した。
戦闘終了である。
だがワシらは動きを止めない。
次には尋問が控えている。
「第二騎士団の者共よ、ワシはクラストである。この隊の統率者は誰か」
「大賢者様。私でございます」
現れたのは固太りした四十くらいの男だ。
足を怪我しているのか、槍を杖のようにしている。
「そなたが騎士団長か?」
「いいえ、私は副団長です。団長は精兵を引き連れ、既に城内へ赴かれました」
「遅かったか……急ぎ我らも向かわねば」
「大賢者様、あなた様も突入なさるおつもりで?」
「当然である。享楽が為に来たとでも思ったか」
「まだ戦える者が500はおります。我らも戦列にお加えくだされ!」
副団長がその場で敬礼をした。
他の兵士たちも慌ててそれに倣う。
大勢を殺されたにしては士気が高いようだ。
青ざめつつも、その瞳には決死の覚悟が見える。
だがワシは、その申し出を強く断った。
「愚か者どもが、命を粗末にするでない!」
「い、いえ。決してそのつもりは」
「オーガごときにむざむざ殺されたお前たちでは、盾にすらならん。つまりは攻め入っても犬死にだ。魔王とはそれほどに隔絶した存在である。その程度の事も知らずにノコノコとやってきたのか!」
「……返す言葉もございません」
「お前たちに出来ることはただひとつ、魔族の、魔王の恐ろしさを後世に正しく伝えることだ。一兵たりとも入城することは許さぬ。分かったら大人しくしておれ!」
「出すぎた申し出、大変失礼しました。せめてこの場の安全を確保しておきます」
「勝手にせい」
魔王城の門たる鉄扉は少しばかり開いていた。
副団長とやらの言葉は真のようだ。
まずワシが灯りを照らしつつ入城し、フロウの手を引いたリディアが続いた。
中はまるで時間が止まっていたかのように、かつてと様相が変わっていなかった。
黒褐色の石の天井や壁に、その歪みやひび割れ具合など何もかもが。
「なんだい、こりゃ。あの時のまんまじゃないか。時間が巻き戻された気分だよ」
「大丈夫だ。ワシらは変わらず老人のままである」
「何が大丈夫なんだい。心配しなくても、若返っただなんて考えちゃいないよ!」
軽口を挟みつつ歩む。
そのまま奥へ進もうとしたところ、地面に不自然な影が生まれた。
それはすぐさま人型となる。
そうして現れたのは、森を案内した魔族の女であった。
「先ほどの演説は中々に聞き応えがございました。あなた様を人間にしておくのが惜しい程に」
「そなたこそ魔族にしておくのが惜しい。そう言われて嬉しいか?」
「いいえ、微塵も」
「ならば戯れ言はよせ。何をしに参った」
「主の元まで案内するのが役目にございます。先導致しますので、後にお続きください」
恭しく女が頭を下げた。
銀色の美しい髪がサラリと垂れる。
その様子を眺めていると、リディアの怒声が響いた。
「調子に乗んじゃないよ。ここまで来たらアンタは用済み。剣の錆びにしてやるからね」
「待てリディア。その申し出を受けよう」
「クラスト! 敵の本拠地だよ、何考えてんだい!」
「では聞くが、封印の場所までの道を覚えておるか? 更に言えば最短のものを」
「うっ……それは」
「聞いての通りだ。案内致せ。万が一企みが発覚しようものなら、即座に命をもらう」
「その時はいかようにも。それではこちらへ」
言葉に従って後に続いた。
リディアの言う通り、この先には罠や策謀が待ち受けているかもしれない。
それでも城内を散々に迷い、時間を空費するよりは幾分かマシである。
多少の警戒心を抱きつつ女の動きを注視した。
そんなワシの事など気にも留めないように、その背中は静かに揺れ続けた。
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