第6話  大賢者と再出発

荷造り、ともかく急いで荷物をまとめなくては。

遠征軍を止める王命は出ない。

となると力付くで騎士団を止めるしかなく、それには連中に追い付かなくてはならない。



「何してんだい、騒々しい」

「リディア。ワシはこれからしばらく外す。この家は好きなように……」

「アタシを置いてく気かい。冗談じゃないよ。魔王のところへ行こうってんだろ?」

「なぜ、それを?」

「王都の連中のバカ騒ぎ、血相を変えながらの荷造り。情報としちゃ十分だよ」



こやつは昔から勘の鋭い女ではあった。

それはすっかり老いた今でさえ健在のようだ。

さらに弁もたつので、説得には時間をとられそうだが、どうしたものか。



「良いか、遊びにいくのではない。場合によっては戦闘になる。だからここで待っておれ。わざわざ危険を冒す必要はないのだ」

「ここなら安全だって? 窓の外を見てごらんよ」

「窓の外だと?」



促されて目を向ける。

向かいの家が見えるが、少しばかり異質であった。

壁の端から何人かがこちらの様子を窺っている。

隠れたつもりのようだが、それを見抜くことはそう難しくはなかった。



「あれは……兵士どもか」

「何をやらかしたのか知らんけどさ。ここに居たらアタシも被害に遭うんじゃないの?」

「ヌウゥ。あのボンクラめ。本気でワシを晒し者にする気か」

「まぁ、仮に兵士が100人束になったところで、アタシは平気だがね」

「ではなぜ付いてこようとする?」

「決まってんだろ」



リディアが姿勢を変えずに闘気を発した。

肌がヒリつくような覇気を前に、少しだけ身構える。



「死に場所がほしいんだよ。このままじゃ、腐敗して土に還るだけだろう? そんなのはゴメンだね。タラタラくたばるんじゃなくてスパッと死にたいんだ」

「最悪、魔王との再戦となる。そうなれば生還など叶わん。そうなれば犬死の可能性が高い。そこを理解しておるか?」

「当たり前だろ。良いんだよ負けたって。最後にズバッとひと華咲かせられるじゃないか」

「……あとで文句は聞かぬからな」

「アンタこそ土壇場でケツまくるんじゃないよ」



聞こえよがしにため息をついた後、再び荷造りを開始した。

魔力を増幅させる水晶、回復を促す木の実、かつて愛用した魔法の杖、衝撃を和らげるローブ。



「さて、他には何を持っていくべきか」

「ホラホラ、早くしなよ賢者様。一刻を争うんじゃないのかい?」

「五月蝿い。可能な限り準備を整えるべきである」

「はぁ……チンタラやってるから、お客さんが来ちゃったじゃないか」

「ムゥ?」



入り口に人の気配がある。

そこに立っていたのはユーリだった。

不安そうな、今にも泣き出しそうな顔であった。



「おじいちゃん。どこかに行っちゃうの?」

「う、うむ。その、なんだ」

「お嬢ちゃん。アタシらはこれから旅行に行くんだよ。しばらく帰ってこれないねぇ」

「本当に? 帰ってくる?」

「うむ。時間はかかるだろうがな」



先程と変わらない寂しげな視線が向けられる。

普段との違いに何か察したのかもしれない。

もちろんユーリを無視して出立しても良いのだが、それも気がひける。


何か役立つものは無いかと辺りを見回すと、丁度良いものがあった。

小さな鉄塊を手に取り、それをユーリに握らせた。



「これはなぁに?」

「いつだったか、パズルを解いたろう。新しいものが出来たから、お前さんにあげよう」

「いいの? もらっても」

「この前石をくれたじゃないか。だからそのお返しだ。ワシが相手をしてやれない間、それで遊んでいてくれ」

「わかった。でも、早く帰ってきてね?」

「もちろんだとも。そのパズルが解き終わる頃には帰ってくるよ」



嘘。

欺瞞。

ワシはなんとも汚れた爺であろうか。

そのパズルは極めて難解である。

子供はもちろん、大人だって解けるものは限られているであろう。


そして、恐らく死出の旅となる。

つまり「解ける頃に帰ってくる」のではなく「その頃にはワシの事など忘れているだろう」という話だ。

何年先になるかは判らぬが。


ユーリは早速その場でいじくりまわした。

歪んだ鉄の玉に、いくつもの鉄の輪が絡み合っている。

もちろん、解法のきっかけすら掴めずに、すぐに音が止む。



「さぁ、今日はお帰りなさい。間もなく閉めるから」

「うん。わかった。でも絶対ね? 絶対帰ってきてね」

「心配をするな。約束だ」



ーーパタン。


静かにドアが閉じられた。

幼子を騙すというのは、何とも後味が悪い。



「アンタも都に染まったねぇ。嘘も方便だっけ?」

「フン。何とでも言うが良い。ともかく荷造りである」

「はいはい。さっさとね」



それから不十分ながらも準備が整い、出立となった。

二階の窓より脱出したので、家の見張りには気づかれなかったが。



「外門をどう抜けるか。ここで強行突破は避けたいが」

「そう難しくは無いだろうさ。誰かさんが城を破壊したおかげで、警備の大半は向こうに行ってる」

「ほう。渡りに舟であるな」

「やかましいよ」



門へ近づくと、確かに見張りは少なかった。

普段は四名ほどが守っているが、今は一人だけである。

魔法で気絶をさせれば楽であろうか。



「クラスト。ボサッとすんじゃないよ。変装するからこれを被んな」

「これは、手拭いか?」

「あと、姿勢はこう。荷の背負い方はこう!」

「うぐぐ。口で申せ。言う通りにする」



言われるがまま頭にぐるりと布を巻いた。

そして革袋を両肩で背負うようにして持ち、腰を曲げて歩く。

顔は柔和にし、眉間のシワなど出さない。

これだけで騙し通せるものだろうか。

そうして門を抜けようとしたが、案の定引き留められた。



「そこの老夫婦、止まれ。今は外出禁止だ!」

「あんれまぁ、お若い兵隊さん。お勤めご苦労様です」

「息子の畑に戻りてぇんですが、通しちゃ貰えませんでぇ?」

「ならんならん! 魔族の襲撃があった。調査が終わるまでは誰一人通すなとのご下命だ!」



魔法の試し撃ちの一件であろう。

自業自得ながらも、内心舌打ちを鳴らした。



「魔族? 兵隊さんらが倒したんでしょうに。朝っぱらにたぁくさん並んでただよ」

「違う違う。あれは王命を受けた魔王討伐軍だ」

「へぇへぇ。王さまがお倒しになったので。そらぁ立派だ、うちの畑で取れた大根さ献上すっぺよ」

「だから、まだ倒してない! これからだ!」



若い兵士は完全に油断している。

まるで己の責務を忘れたかのように、威厳のない立ち振舞いであった。

あとはもうひと押しかもしれない。



「王さまをお祝いしてぇだ。兵隊さん、どうにか会わせちゃくれねぇだか?」

「バァさん。やっぱり息子の畑ェ寄ってからがいいべ。大根だけじゃ笑われっちまうよぉ」

「お祝いとか、まだ要らないって、言ってるだろ!」

「ほいじゃあ通りますよ」

「だから通っちゃダメなんだ!」

「へぇ、どうしてです?」

「クァァァア! このっ! このぉっ!!」



言葉にならない叫びを男が漏らす。

堪え性も才能のうちだが、果たして。



「もういい! 行け!」



粘り勝ちである。

ノソノソゆっくりと歩き、最後に兵士に会釈をした。

相手はというと憤然とした顔で、こちらを見ようともしない。



「さぁて。騒ぎを起こさず抜けたよ。大成功だね」

「ワシはいっそ強行突破したかった。何か大切なものを失った気がする」

「ちいせえ事でガタガタ言うんじゃないよ。キリキリ歩きな!」

「……ハァ。では最寄りの村へ行こう。馬を借りねばならん」

「いやいや。モウロクも大概にしとくれよ。まだやることがあるだろう?」

「何を言うか。成すべき事など残っておらん」



ハァァと嫌みに溢れたため息が聞こえた。

そしてリディアはこちらを見下すような威圧的な目で睨み、こう言ったのだ。



「フロウだよ。アイツを連れてかなきゃ始まらないじゃないか」

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