第4話 大賢者と商人
研究は相変わらず行き詰まっている。
足踏みで済むならマシな方で、最近は一歩進んで二歩退がる事も珍しくはない。
貴重な中間素材を不意にした時などがそれに該当する。
成果の得られないまま高額なアイテムを空費したとなると、それは後退と呼ぶに相応しい。
「おじいちゃーん。ちょっといいー?」
ドアを元気良く開けてやってきたのは、近所に住む少女のユーリである。
特に珍しい事でもないので、驚きはしなかった。
「随分と機嫌が良いな。何かあったかね?」
「あのね、おじいちゃんね、ここのところ元気なかったでしょ?」
「うむ、まぁ、そうかもしれん。少し悩みがあってな」
「だからね、これを買ってきたの!」
差し出されたのは、手のひらに収まる大きさの石であった。
薄紫色であることを除けば普通の石ころであり、ワシに思い当たるものは無い。
「ユーリ、これは一体何であろうか?」
「これはね、お店でかってきたの。どんなお願いごともかなう石なんだって!」
内心ため息をついた。
商売人に騙されたことが明白であったからだ。
確かに少し不思議な力を感じるが、望みを叶えるような大層な仕組みではあるまい。
何かを切欠に光るとか、音が出るとか、その程度でしかないだろう。
「ありがとう、頂戴しよう。ところで、これはいくらで買ったのかね?」
「うーんと、5枚!」
「ふむ、すると鉄貨かな」
「ううん。どうのヤツ」
その言葉にはさすがに怒りを覚えた。
銅貨5枚は大人にとっては少額でも、幼子にとっては大金である。
人を騙すにしても限度があろう。
それからもいくつか質問を投げ掛けたが、やはり詐欺に遭ったと言う他無い。
無法な商魂とやらによって、この子の純真を汚された気がして、ワシは我慢がならなくなる。
「すまんが、ワシは出掛けなくちゃならん。今日はお家に帰りなさい」
「そうなんだ。またくるねー! はやく元気になってね!」
「気を付けておかえり」
ドアが閉じられるなり、自分の顔色が様変わりした事を自覚した。
愛用の杖を手に取る。
場合によってはこれで折檻するつもりである。
準備を整え、外に出ようとした。
「クラスト。市場に行くのかい?」
「聞いていたのか、リディア。察しの通りである」
「だったらついでにハチミツ酒を買ってきておくれよ」
「少しは控えよ。体の毒だ」
こうしてワシは家を出た。
冷血漢、人でなし、魔族ッ子ハーレムという根も葉もない罵声を背中に浴びつつ。
しばらく道を行くと、市場に到着した。
明るい時間ということもあって、それなりに賑わいを見せている。
各地から行商人が集まるので、見慣れぬ売り手が多く路上に店を開いていた。
「さてと。露天の、まじない屋か」
ユーリから聞き出した風体(ふうてい)の男を捜した。
まじない屋というのは扱いが少なかったため、労せず見つけ出すことが出来た。
ネズミ色のローブを被った、日焼けした若い男。
そして極めて珍しい紫色の瞳。
ここで間違いはあるまい。
露天はと言うと随分とおざなりなものである。
地べたに座る男が地面に布を敷き、その上に怪しげな品を並べている。
目につくのは黒いしつらえのナイフ、薄汚れた人形、安っぽい水晶に見慣れぬ果実と、どうにも胡散臭いものばかりであった。
「いらっしゃい、ウチにあるのは珍品ばかりだよ」
「ワシは客ではない。これを見よ」
「あぁそれは、ついさっき売れたヤツだねぇ」
「とても銅貨5枚と釣り合うとは思えん。返品する。ユーリにも謝ってもらおうか」
「へぇ、あの子はそんな名前なんだねぇ。可愛らしい」
「話を逸らすな。石は返す故に金を……」
「ごめんよ。返品はお断りでねー」
「なんだと?」
自分のこめかみがヒクつくのが判る。
ワシの放つ闘気が伝わらないのか、男は飄々(ひょうひょう)とした態度のままだ。
老いたりとはいえど、圧倒的な魔力はまだまだ健在である。
仮にワシが癇癪でも起こそうものなら、騎士団の1大隊が陣を組み、顔面蒼白で諌めに来るほどだ。
ーーこやつは大物か。或いは、只のジジイと見くびらっておるのか。
どちらにせよ、こちらの要求は変わらない。
出すもの出して貰うまでは居座るつもりだ。
「お爺さんは高いって言うけどさ、そもそもね、それに値段はつけて無いんだよ」
「何? 銅貨5枚を支払ったと聞いたぞ」
「うんうん。それは合ってるよ。何せこちらの条件は『手持ちのお金すべて』だからね」
「なんと悪辣な。それが幼子に持ちかける商談か。恥を知れ」
「そう怒んないでよ。その石がどんな運命を辿るか気になっちゃってさ。大枚はたいて手に入れた『何でも叶えてくれる石』を、どう使うのかなーってね」
「ざれ言はよせ。理屈が通っておらぬぞ」
「まったく、世の中ってのは面白いねぇ。よりにもよって、アンタの手に収まるなんてさ」
「一体何を……むぅ!?」
男が表情を変えぬまま、おぞましい気配を肥大させた。
強烈な狂気と闘気が瞬時に漂う。
この禍々しさは魔王を想起させるが、封印はまだ有効のハズだ。
こやつが何者かは判らぬが、少なくとも人間でない事は確実である。
そう思い至った瞬間に、手元から信号花火を打ち上げた。
これで付近の兵士がすぐに集まるだろう。
「これは忠告だよ。その石はアンタが持っておきな。手放したらきっと後悔するよ」
「おのれ……忌まわしき者が何を言うか!」
「頑迷だなぁ。時には柔軟な思考も大切だよ? 大賢者クラスト」
「クッ! なぜそれを!」
「じゃあね。もうちょっとだけ長生きしてよ」
「待て! 逃げるな!」
一迅の黒い風が吹くなり、男は消えた。
露天の商品を始めとした全ての痕跡と共に。
逃げるなと言いはしたが、案外命拾いしたかもしれなかった。
これだけの芸当は半端者には成せるはずもないからだ。
「クラスト様、何事ですかな?」
入れ違いに兵士たちがやってきた。
総勢10名の壮士だが、こうなっては無駄骨である。
「先程まで危険人物がおったのだが、逃げられてしまった」
「ほう。白昼堂々ですか。特に報告は上がっておりませんが」
「狡猾なヤツである。念のため、警備を厳重にするべきであろう」
「……クラスト様のお言葉であれば」
肩透かしを食らった男たちが引き上げていく。
無用な呼びつけと為ったことを申し訳なく思うが、それも長くは保たなかった。
「ヘッ。こっちは忙しいのによぉ。ふざけんなよ」
「もう頭いかれてんだよ。きっと長くねぇんだろうな」
聞こえておるぞ若造どもが。
言い出したらキリが無いので、この程度で腹を立てたりはしないが。
時と場所によっては厳罰をくれてやるからな。
「それにしても、この石だけが手がかりか」
男の行方がわからない以上、不可思議な石ころだけが唯一の繋がりと言えた。
ひょっとすると、思いがけない秘密があるのかもしれない。
自分の研究を進める傍らで、こちらの解析にも着手することを決めたのだった。
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