第30話 伊吹涼介 VS 永倉新八(後)

 あしなく相手を打つことができる間合いを「いっとういっそくの間合い」と言う。


 永倉は「気」の大きさで巨大に見えるが、身長は涼介の方が高い。


 しかも、使っている木刀も永倉の刀より長いため、今の距離感は涼介の一刀一足の間合いになっている。永倉から攻撃しても、涼介には届かないだろう。


 永倉は涼介の仕掛けを誘っている。あくまでもカウンター狙いだ。


 こういうとき、涼介には、相手が何をしようとしているのかを考えた上で、誘いに乗ろうとするクセがある。望み通りの展開にしてやり、その上で返り討ちにしようとするのだ。

 豪太の「売られた喧嘩は全部買え」という教えの涼介なりの解釈でもあった。


 パンッ、と炎がぜる。


 その瞬間、涼介はとおから小手を打つと見せかけて、永倉の刀めがけて木刀を振り下ろした。

 永倉はそれを刀の峰で受ける。

 そのまま擦り上げようとした……が、できなかった。


 龍飛剣は(相手が油断しているときに下から跳ね上げる場合を除けば)おそらく相手の動きを利用する技だ。攻撃の軌道をずらすことは、相手が振り下ろそうとしているか、振り上げようとしているか、ともかく相手の剣に動きがなければできない。


 しかし、涼介は永倉の刀の峰を打った後、振り下ろそうとも、振り上げようともしなかった。

 ただ「押さえた」のだ。


 ***


 スポーツとして洗練された現代剣道において、下段に構えることはナンセンスとされている。自分の竹刀が相手の竹刀の下にあるという状況は不利になるからだ。


 ただし、それが生きるシチュエーションが一つだけある。

 下から相手の剣を擦り上げようとするときだ。


 涼介は龍飛剣を知らない。しかし、剣道のセオリーから、

(永倉の狙いは擦り上げ技だ)

 と考えた。


(その狙いに乗ったように見せかけて、押さえつけてやる)


 ダッと踏み込んだ。


 飛び込み小手を打つ……フリをした。永倉が三日月を描きながら、それを刀の峰で受ける。しかし、涼介が狙っているのは最初からそこだ。自分の左側に回り込もうとしていた永倉に対して、涼介も左側に飛んで、剣が交わる角度を深くしてある。


 あとは力負けしなければいい。


 刀にはテコの原理が働く。そのため、作用点までの距離が長い剣先に近い部分ほど大きな力を加えやすい。逆に、その距離が短いつばもと(鍔に近い部分)には力を加えにくい。涼介はその差を利用して、木刀のものうちで、永倉の鍔元を上から押さえた。


 こうされては、擦り上げることはできない。


 涼介がそれとは知らずに編み出した「龍飛剣破り」だ。


 ***


 命のやりとりの最中、相手の剣をただ押さえるというじょく

 これは涼介の挑発でもある。


 はるか格上の剣豪から勝機を見いだせるとすれば、気を乱す以外にない。


 永倉は、がむしゃらな新八、略して「がむしん」という異名を持つ男だ。


「クソッ」


 と剣先を下げて、上から圧力を加えている涼介の木刀をかわそうとする。その瞬間に、涼介は再び木刀を振り上げ、鋭く小手を打ちにいった。


 この攻撃は当たるはずだ。

 まずは刀を落とさせる。その上で続けざまに面を打とう、と涼介は考えていた。


 しかし……。


 涼介の木刀は空を切った。


 これはルールに守られている剣道ではない。

 永倉は剣先を下げたのではなく、咄嗟に刀を捨てたのだ。


 半歩引いて脇差しのつかに右手をかけ、抜き打ちで涼介の胴を斬る構えを見せた。


(しまった……!)


 反射的に引いてかわそうとしたが、もう間に合わない。


 永倉が右足を踏み出すのと同時に抜刀する。

 白刃がキラリと光った。


 ……そのときだ。


 背後から現れた何者の木刀が永倉の刃を受け止めた。


「田中!」


 秀一は、

「僕は田中じゃありません」

 と言いながら、さやから放たれた永倉の刀を押し戻す。


 片手の永倉に対して、諸手である分、力が強い。


「信州真田家のまつえい、真田秀一。僕もお相手願います!」

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