第22話 豪太、近藤勇と飲む(後)

 話が前後するが、新選組の屯所に矢文を打ち込んだのは、薩摩藩のかわしょうしんという男だった。

 明治に入って、としよしと名を改め、おおとしみちに仕え、日本の警察制度を創設、初代警視総監となる人物だ。


 薩摩藩士としての身分は低いが、池田屋事件に続く「きんもんへん」のとき、長州藩遊撃隊の総督・じままたを狙撃したことで、西郷・大久保の目に留まり、幕末のこの時期は京でちょうほう活動を行っている。


 実際に矢文を打ち込んだのは川路自身ではなく、その配下の者だ。

 その男が川路に報告する。


「天童豪太ちゆう男、単身、近藤勇の妾宅に乗り込んだよしにごあす」


「そうナ。ようやってくいやった」


「あん男、本当にやりもんそか?」


「そいは分からんどん、あん男じゃれば、近藤か土方と刺し違えるかも知れんち、西サァは言うておられた」


 じつは西郷は、川路の前でそう呟いただけで、実際の指示は出していない。川路には、西郷・大久保の考えを深読みして先走るところがある。


 しかし、それは結果的に西郷の考えにかなう行動でもあった。


 これから幕府を相手に戦をしようとしている薩摩藩にとって、新選組は脅威だ。しかし、それは近藤のカリスマ性と土方の策略とで成り立っている部隊であって、元はごうしゅうである。近藤か土方、どちらかを殺すことができれば……。


 薩摩藩は、天童豪太という男にあらぬ期待をしていたのである。


 ***


 近藤勇の妾宅と新選組の屯所は、歩いて数分の距離だ。


 今、その間を監察方の山崎丞がしきりに行き来している。その報告が怪しいものになりはじめたのは、会談の開始から2時間ほどが経過した頃だった。


「近藤さんが困惑しておられます」

 と山崎は土方に報告した。


「何!? 天童という野郎が、とうとう本性を現しやがったか」

「それが、その……。ある意味、本性を現してはいるのですが……」


 ***


 近藤・土方の思惑通り、豪太はでいすいさせられていた。


 豪太は酒豪ではあるが、酔わないタイプではない。酔ってから潰れるまでが長いというたちの悪い大酒飲みだ。今夜はすでに一人で四升もの酒を飲んでいる。


「すみません、天童さん」

 と近藤は言った。


「そろそろ、咲さんを連れてお帰りいただけませんか」


「何言ってんだよ、イサムちゃん。まだ夜は始まったばっかりじゃねーか!」

「ですから、私はイサムではなく、イサミです」

「どっちでもいいじゃねーか、そんな細けぇことはよ。俺たち、もう友達じゃねーの!」

「友達になった覚えはないのですが……」


 近藤は確かに困惑していた。


(とんでもないバカと関わってしまった)


 この会談の間、近藤は「不穏な動きを見せる一団」の目的を探るべく、時局をさまざまに論じてみた。しかし、豪太はそれをことごとく理解できなかっただけでなく、自分が何をしにここへ来たのかも忘れてしまっている。股ぐらをボリボリかきながら、酒をガブガブ飲み、一向に帰ろうとする気配がない。


 こんなバカな男がテロなど計画しているわけもない。新選組は、ここに来てようやく自分たちが途方もない勘違いをしていることを悟った。


(ええい、もうヤケだ)


 と近藤も酒をガブガブと飲みはじめた。

 元々、バカ騒ぎが嫌いな男ではない。


 奥の間につながる土間では、すっかり忘れられた2人の刺客が困惑していた。


(相馬。俺たち、何やってるんだろうな)

(はい。新選組に入って、いちばん無駄な時間を過ごしたような気がします)


 ***


 さらに1時間後。


 お孝が咲を連れて奥の間の襖を開けた。近藤から「呼ばれるまで部屋に入るな」と言われていたが、あまりの遅さと騒々しさに我慢ならなくなったのだ。


 そこには、半裸でお互いの口にげんこつを突っ込み合うおっさん2人の姿があった。


「お、お咲ちゃん。この人はいったい、何なの?」


 咲は、

「はぁ……」

 と溜息をついてから答えた。


「バカで、下品で、剣道もめちゃくちゃな……。一言でいえば、ボクの敵です」


 ***


 かくして、豪太は自らのバカっぷりをもって「不穏な動きを見せる一団」が幻想にすぎないことを証明し、新選組から咲を取り戻すことに成功した。


 ……かに思われた。


 しかし、この事件はこれだけでは終わらない。

 近藤・土方の思惑とは別に、豪太と咲を殺そうとしている男がいたのである。

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