第13話 殺し屋、大石鍬次郎

 幕末の剣道の道具は、粗末ではあるが、構造は現代のものと変わらない。


 咲は元から着ている剣道着の上に、垂れと胴を身につけ、面をかぶり、小手をつけた。渡された竹刀を握り、左腕一本でブンブンと振ってみた。これも基本的には現代のものと変わらない。少し重いが、扱えないこともない、と思った。


 先に準備を終えて、咲の対面に座っているのは、おおいしくわろうという男だ。


 新選組の暗殺要員で、坂本龍馬が殺されたとき、その実行犯として疑われた一人がこの男だった。実際には龍馬を殺していなかったが、近江屋事件の三日後に、あぶらのこうで御陵衛士の伊東甲子太郎を殺害。その罪で明治三年、斬首される。


「準備はいいか、始めるぞ」


 と土方が言って、二人は立ち上がり、数歩前に進んで、互いに礼。


 さらに進んで、咲が竹刀を抜き、そんきょの姿勢を取ろうとすると、鍬次郎が「何をしている?」という顔をした。この時代、すでに蹲踞の作法はあったはずだが、徹底した実戦剣術である新選組においては省略されているのだろう。咲は、


「すまない。これはボクたちの流派の作法だ」


 と説明して立ち上がった。


 新選組の隊士数名が見守る中、静かな数秒が過ぎる。


「始め!」


 と土方が号令をかけて、二人は剣先を合わせた。


 ***


 鍬次郎の構えは上段でも中段でもない。つかがしらを握る左手を胸の高さに、つばに近い部分を握る右手を顔の高さに置いて、竹刀をやや寝かせて持っている。


 これは古流剣術の構えだ。


 正面から見たとき、両腕の肘から手首までの部分が「八」の字を描いているように見えるために「はっそうの構え」と呼ばれる。


 刀を上段に振り上げることが難しい屋内での戦闘などに向いていると言われているが、現代剣道でこの構えを使う剣士はほとんどいない。


 咲も対戦したことがなく、まずは様子を見ようと考えたが、鍬次郎がいきなり、


「デリャァーーーーーーーッ!」


 という気勢を上げて跳躍し、斬りかかってきた。


 どこか獣のような感じがする動きだ。狙っているのは、面でも胴でも小手でもない。竹刀を担ぐように振り上げ、けいどうみゃくのあたりを斬ろうとしている。


 咲は左足でタッと床を蹴り、右斜め後ろに跳躍して、ひらりとかわす。


 すると、鍬次郎はさらに一歩踏み込み、竹刀をくるっと返すような仕草を見せたかと思うと、そのまま下から斬り上げてきた。今度は脇のあたりを狙っている。


 咲はその竹刀を竹刀でさばきつつ、さらに退いた。


 不意に土方が目に入った。鋭い眼光がこちらに向けられている。

 反撃して見せなければ……。


 鍬次郎の動きは現代剣道にはないものだが、一つ一つの動作が荒い。


 これなら勝てる、と思った。


 鍬次郎が再び竹刀を振り上げて斬りつけてきたとき、咲は右斜め後ろに跳んで、この攻撃をかわし、引きながら小手を打った。現代剣道でいう「」だ。


 浅かった、と思うより早く体は次の攻撃に移っている。小手を打って跳ね上がった竹刀をさらに振り上げ、鍬次郎の面を狙う。


 パパンッ!


 これがあっさり決まった。現代剣道なら「面あり一本」を取るだろう。


 しかし、土方は黙っている。


 この時代の剣道のルールが分からない。

 咲は面を打つや否や相手の裏に抜け、くるりと反転して反撃に備えた。


 鍬次郎の剣先が目の前に迫っている。

 突きだ。


 咲はそれを竹刀で右に捌きつつ、自分は左側に動いて、攻撃をかわす。


 その後は突きの連打だった。


 面も胴も小手もなく、ひたすら、突き、突き、突き……と体のどこかを貫こうとしてくる。実戦剣術において、突きというのは相手を殺傷しやすい技なのだろう。


 めんがねの向こうのギラギラした目がこう言っている。


「殺してやる……」


 殺気は凄まじいが、その分、動きはさらに荒くなっている。

 反撃するチャンスはいくらでもあったが、咲はしなかった。


 おそらくこの試合、ただ一本を決めるだけでは終わらない。誰がどう見ても、完全に勝ったと分かるシチュエーションをつくらなければ……。


 そのチャンスが来た。


 ごうを煮やした鍬次郎が竹刀を振り上げて斬りかかってきたとき、咲は右斜め後ろに跳んで、この攻撃をかわすと、相手が再び竹刀を上げようとする瞬間、そのなかゆいのあたりを自分の竹刀で上から押さえた。さらに、剣先を反時計回りに回転させつつ、竹刀を巻き込むように前進、最後にグッと引き上げる。


 次の瞬間、鍬次郎の竹刀はポーンと宙を舞っていた。


 もちろん、竹刀を手から奪っただけでは有効打にならない。

 咲はすぐさま、あっにとられている鍬次郎の頭部に、


「面ーーーーッ!」


 と鋭く打ち込んだ。


 ***


 剣道場の壁にもたれて観戦していた沖田が、隣にいる土方に言った。


「今の、げって技ですよ」


「巻き上げ?」


「ええ。剣先を上げようとした瞬間にそこを押さえられると、それだけでも、油断していると、竹刀を落としそうになるでしょ? その上で、ああやって巻き込んで来られると、竹刀を持って行かれちゃうんです」


「剣術にそんな技があるのか?」

「あれ、やりの技です」


 巻き上げというのは、現代剣道にはあって、この時代の剣術には存在しない(もしくは、存在しても一般的ではなかった)技だ。


 なぜなら、この技は丸みを帯びた棒同士でしか使えない。そのため、日本刀を使う実戦では通用しないが、そうじゅつとしては古くから存在していた。


 沖田は土方よりも7歳若い。しかし、9歳の頃には近藤勇が当主を務めるてんねんしん流・えいかん道場の内弟子になっており、近藤とともに他流試合も多く経験している。槍術、なぎなた術も含めた武術に関する知識が土方よりも多い。


「槍の技? それをなぜあの女が使えるんだ?」

「さあ。でも、強いですよ、あの女」


 ***


 咲は自らが「剣術修行の旅の途中」であることを証明するために懸命に戦っていた。

 しかし、そのためにかえって、土方の中で「不穏な動きを見せる一団」のきょぞうが大きくなった。それがわずか5人の少年少女であることを土方はまだ知らない。


(女ですらこの強さか。その一団ってのは一体……)


 咲は今度こそ勝ったと思った。

 しかし、土方は「勝負あり」とも「やめ」とも宣告しない。


(どうして?)


 と思いながら振り返った瞬間。


 いつの間にか竹刀を拾っていた鍬次郎がそれを力任せにブンと振り回した。狙っているのは上半身ですらない。守るものが何もない、咲の向こうずねだ。


 とっに飛び退いて攻撃をかわしたものの、前のめりに倒れた。

 その背中を鍬次郎がドンッと踏みつける。


 一瞬、呼吸ができなくなった。


 呼吸が止まると動きが止まる。鍬次郎が咲を踏みつけにしたまま、そのえんずいのあたりを逆手に持った竹刀で突こうとしたとき、


「やめねぇか!」


 という土方のせいが道場内に響いた。


「見苦しい。どうかくで切腹させるぞ。せろ」


 鍬次郎は苛立たしげに小手と面をはずすと、もはや殺意以外には何もない目で咲を睨みつけながら、剣道場から出て行った。


 ***


 一部始終を見ていた斎藤一は、

「土方さんは趣味が悪い」

 と思った。


 要するに、これは試合などではなく、見世物だ。拷問をしない代わりに、こういう形で、剣術修行の途中という真偽を確かめるとともに精神の動揺を誘っている。


「俺が終わらせてやろう」

 と考えた。


「次、斎藤」


 と土方が言ったとき、斎藤はすでに竹刀を持って立ち上がっていた。

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