第5章
◆ 第5章
私が『自殺幇助推進組合』の施設に入って四日。
何人かの人は死んでいっているようだった。
どういう死に方をしたのかは知らないけど、私のいるA号室も、一人減って5人になっている。
*
夕方、私が部屋で軽食をとっていると、何やら廊下のほうが騒がしくなった。
気になって部屋を出てみると、私と同じく騒ぎを聞きつけたらしい人が廊下を走っている。1階に向かっているらしかった。
「何かあったんですか?」
私はそばを通った男性に訊いた。
「なんでも、死ぬ間際になって施設を抜け出そうとした奴がいるみたいでさ。捕まって処罰されるらしい」
その男性に続いて私も1階に降りると、出入口付近に人だかりができていた。
周囲にはいつもより多くの監視用ドローンがいて、サイレンの音が響いている。
遠巻きに見ていると、輪の中心に、ロボットと、一人の男の姿があった。
見覚えのある男だった。私の隣のベッドの、『A120』という〝名札〟のついた男だ。
「やめろ! 離せ! 俺はやっぱり生きる! 死にたくねぇ!」
叫ぶ『A120』を、2機のロボットが取り押さえる。機械の力は大の男のそれよりもはるかに強いらしく、『A120』は駄々をこねる赤子同然に見えた。
そんなとき、廊下の向こうから足音がした。
際立って聞こえたのは、私たちが履いているサンダルのような履き物の音ではなく、革製の靴の音がしたからだろう。
「違反者ですか。しかたないですね」
白衣を着た、若い男性だった。遠目なので顔はよく見えなかったけど、声色からは柔和そうな性格を感じた。
初めて見た。おそらく、この施設の職員だろう。
彼は両腕を白衣のポケットに突っ込んだまま、野次馬の間を縫って進んでいく。監視用ドローンから発せられていたのであろうサイレンの音は、いつの間にか止んでいた。
「始めに説明を聞きましたよね? 施設の敷地から抜け出すことは、違反行為にあたります。しかるべき処罰を受けなければなりません」
「だから、その処罰って何なんだよ」
職員が『A120』の前で立ち止まる。身動きの取れない『A120』に向かって、職員は答える。
「うちの施設に来る人は、みなさん死にたいと願っています。そんな人には、『生かし続けること』が一つの罰になるでしょう。今はその気になれば何年でも生きられる時代になりました。この罰を下すのは容易いことです」
「ふん。生かしてくれるんなら、願ったり叶ったりだ」
「ですが、生きたいと思っているなら話は別です。強制的に殺します」
「……!」
『A120』が息を飲む。あくまで冷静に、職員は話を続ける。
「『A120』さん、あなたは『電車に撥ねられて死ぬ』ことを望んでいましたね? この希望も破棄します。あなたの最期は、こちらで勝手に用意させていただきます。電車に撥ねられて何も治療をしなければ、おそらくはすぐ死ぬでしょう。だからあなたには、すぐには死なない、それでいて確実に命を蝕んでいく方法を提供します」
職員が言葉を切った。
糸がぴんと張ったような緊張した空気に包まれる中、彼は一人、悠然と構えている。
諭すように、職員は再び話し始める。
「死ぬ間際になって、死ぬことに怯える人、やっぱり生きたいと泣きついてくる人、施設から逃げ出そうとする人、これまでにも何人もいました。彼らにはみなこのような処分を与えています」
ここで彼の声色に、わずかな悲しみが混ざったように聞こえた。
「ついこの前まで人生に絶望していた人が一時の気の迷いでまた生きようと思っても、どうせまたすぐ死にたいと嘆くか、毎日を意味もなく浪費するだけですよ」
「うるせぇ! 俺はそいつらとは違う! 生きて、俺を馬鹿にした奴らを見返してやるんだ!」
『A120』がまた暴れるも、抵抗むなしくロボットに押さえつけられる。
「理由もなくただ命をつなぎとめることに、意味があるとは思えません」
職員が踵を返す。続いて、ロボットも『A120』を羽交い絞めにしながら動き出した。
「離せ! やめろ! 死にたくねぇ! やめてくれ!」
「そうです、いいですよ。その顔です。あなたもいい表情ができるじゃないですか」
彼らが私の前を横切る。
廊下を通り、普段は開くことのない『職員以外立入禁止』の扉の向こうへと消えていった。
先導する白衣の職員の顔が、快楽に身を震わせるようににやりと歪んでいたのが、いやに記憶に粘りついた。
『A120』がどんな最期を遂げたのかは知らない。だけどこのとき以来、彼の姿を見ることはなかった。
*
五日も経つと、環境にもだんだん慣れてくる。
思えば、この施設の設備は悪くなかった。
快適な空調。淡泊ながら掃除の行き届いた床や壁。食事だって自動で出してもらえる。
図書室にいれば、消灯時刻まではいつでも本を読んでいられる。
学校では、本を読んでいると根暗だガリ勉だと馬鹿にされたものだけど、ここではそういうこともない。
まわりの人たちも、私がいる状況を当たり前だと思うようになったのか、視線を感じることも減った気がする。
今は隣の『A120』もいなくなってくれたから、鬱陶しさからも解放された。
与えられた環境をどう感じるかは、結局は、その人の気の持ちようによる部分が大きいのかもしれない。
もしかしたら、普通の人は毎日これくらい楽しく生きているのだろうか、とも思う。
ちらほらと死んでいく人がいる一方で、新しい人も入ってきている。『K255』もその一人だ。
図書室で初めて会ったあの日以来、私は毎日彼女と話をしていた。
三日しか経っていないとは思えないくらい、多くの時間を過ごしたと思う。
ご飯はいつも、彼女の部屋で一緒に食べた。
もともとこの施設の食事の味は悪くないとは思っていたけど、二人で食べるご飯は、2倍どころではなく、5倍にも10倍にもおいしく感じるということを、私は初めて知った。
一緒にお風呂に入ったこともある。
そこで改めて見た彼女の体の傷はやはり痛々しかったけど、彼女自身は気にしていないみたいだったので、私も触れないでおいた。
女子同士ということで、『K255』と一緒にいるのは、何かと気が楽だった。
彼女にとっても私は気を許せる存在だったのだろうか。そうあってほしいと思う。
*
「初めて会ったときにさ、『イモムシ』って呼ばれてたって話してくれたじゃん?」
施設に来て六日目の夜、私はベランダで『K255』と話をしていた。
消灯時刻を過ぎてもロビーやベランダは基本的に出入り自由で、私たちはこうして夜も二人で時間を過ごしていた。
今夜の空には満月が浮かんでいた。
「だから、っていうわけじゃないんだけど、イモムシとかちょうちょとかについて、図書室の本で調べてみたんだ」
「うん」
「ちょうちょって、寿命はすごく短いんだね。成虫はほんの数週間とか、数カ月で死んじゃうらしい」
それは、いつかツバサくんが話していたことと重なった。
「……人間は何年でも生きられる時代になったのにね」
私はあの日の彼の言葉をなぞってみた。
「そうだよね。私もちょうちょだったら、すぐに死ねたのかな、って思った。つらい毎日から、すぐに解放されたのかなって」
『K255』は困ったように笑っていた。
建物の内側に目をやり、彼女は続ける。
「ここ、なんだかんだでいいところだよね。……私たち、死ぬためにここに来たんだけどね」
外の世界では私は『イモムシ』だったけど、この
けれど私は、ここにいる私たちは、もう間もなく死ぬのだ。目の前にいるこの子も、私の二日後に安楽死するそうだ。
「この施設の中にいる私たちってさ、なんか、ちょうちょみたいだよね」
月明かりの下で、『K255』が両腕を広げる。
包帯の巻かれた細い腕が、今は翼のように見えた。
彼女の声は、瞳は、初めて会ったときよりずっと輝いていた。
日付が変わって、深夜、部屋に帰ると、私のベッドに備えつけられているタブレット端末に、『お知らせ』という見慣れない画面が表示されていた。
『A127』さん、『安楽死』執行の時刻が決まりました。本日、午後0時00分です。
──私が死ぬまで、あと12時間を切った。
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