川端で

 蚕市を一通り見終わり、目的の物と珍しい品も買うことができ、一行はとりあえずユリエスに頼まれた刻み煙草を買いに行った。それも買い終わった後は、もうすぐ昼ということで、川端で軽食をすることになり、サンドウィッチを買う。


 サンドウィッチを買う店はすぐ決まった。サンドウィッチ専門の屋台『カシャ』だ。リズタルトはここのフルーツサンドを気に入っている。季節毎に具は違うが、クリームの甘さと量が絶妙なのだ。甘すぎず、多くなく、果物の甘さを損なわずむしろ引き立っている。


 キリランシェロはリズタルトと同じフルーツサンドを頼み、ヒガテン川に出た。ヒガテン川はサン・ダルク中を蜘蛛の巣のように流れる水路の一つだ。幅が大きく深い堀になっており、大雨が降っても滅多なことで氾濫しない。


 ヒガテン川は水路にもなっている。馬車だけだと道が混むため、船を使い荷物の移動はもちろん、グルーテリュスも区域間の移動にこの川を使っている。この水路は、倉庫街と商店街から離れているため、大荷物を積んだ船はあまり通らない。


 誰もいない土手を見つけ、リズタルトとキリランシェロは腰を下ろした。レッキーニは皇子と宰相の息子と一緒に座ることが恐れ多い、ということで少し離れた場所で周りを警戒している。



「これ、おいしい」


「でしょ?」



 余程気に入ったのか、一言感想を言った後、キリランシェロは黙々とフルーツサンドを頬張る。陶器のように白い肌が、若干赤くなっていた。

 リズタルトもフルーツサンドを食べ始めた。


 冬だが今日は暖かく、風もなくてとても過ごしやすい。外で食べてもあまり寒くて、尻に先程買った布を敷いて温かい飲み物で十分事足りた。



「リズ、寒くない?」


「大丈夫だよ。ありがとう。むしろ、キラのほうが寒くない?」



 リズタルトは着込んでいるが、キリランシェロは肩を露出している服を着ている。キリランシェロは首を横に振った。



「寒いの、平気」


「そっか」



 我慢しているわけでもなさそうなので、リズタルトは軽く返事した。

 キリランシェロから視線を逸らし、向こう岸を見やる。


 向こう岸に船を着けるための桟橋がある。その桟橋の先に、クー・シーがいた。クー・シーは犬のような姿をしたグルーテリュスだ。大人になると、暗緑色の長い毛を纏っており、牛ほどの大きさになる。そのクー・シーはまだ幼いのだろう。とてもコロコロしていた。川を覗き込んでいる。魚がいるのだろうか。視線を逸らすことなく、じっと見つめている。長く丸まった尻尾を振っている。


 その子犬の後ろには、親らしきクー・シーがいた。子犬を温かく見守っている。

 その親に茶色い小人が話しかけてきた。お手伝いが大好きなブラウニーだ。

 知り合いなのか、和気藹々と盛り上がっているようだ。



(あっちでも、ああいうのが見れるのかな)



 ふと、気になった。


 自分の生まれたあちらの世界でも、穏やかな光景があるのだろうか。

 あちらの情勢など全く知らない。戦をしているのか、平和なのか。

 穏やかな光景があるとしたら、姿形は違っても同じなのだろうか。それとも違うのだろうか。種族は同じなのに、自分ではない人間の姿がいまいち掴めない。



「終わった」


「え? はやいなぁ」



 キリランシェロを見ると、指についたクリームを舐めていた。



「リズが遅い。なに見ているの?」


「あそこのクー・シーの親子とブラウニー」


「子犬、大丈夫かな」


「うーん……一応、落ちないように気を付けているみたいだけど」



 子犬は川を覗き込んでいるものの、前屈みになっていない。伏せをして、うっかり頭から川に落ちないようにしているようだ。



「ねぇ、リズ」


「なに?」


「どうかした?」


「どうかって……?」


「やっぱり、元気ないなって」



 キリランシェロがこてっと首を傾げる。



(そういえば、ヴァンスロットから僕が元気がないって聞いたんだっけ……)



 話してすっきりしたいが、これはキリランシェロに話していいのだろうか。話したら、離れたりしないだろうか。



「なにかあったの?」


「それは……」


「オレ、リズが元気ないの、いや」


「でも」



 リズタルトが何かを言う前に、キリランシェロがずいっと顔を接近させた。キリランシェロの人形のような儚げで端正な顔が目前に現れて、リズタルトはたじたじになる。



「リズ」



 静かに揺蕩う、紫水晶のような瞳がリズタルトを捉える。キリランシェロは無言だが、言葉が無くても訴えてくる。


――話してくれるまで納得しないよ、と。


 こうなれば、折れるしかない。そんな目で見つめられると、誤魔化す気が萎れていくのだ。

 それに、キリランシェロに話しても事情を知っているあの二人は怒らないだろう。


 周りを見る。レッキーニ以外誰もいない。そのレッキーニは、離れた場所におり辺りを警戒している。時折、こちらをちらちらと見ている。


 ゴーレムの聴覚はそれほどでもない。普通の声量で話しても聞こえないだろう。だが、他のグルーテリュスが聞いていないとは限らない。



「キラ、耳貸して」


「ん」



 キリランシェロが素直に耳を差し出す。リズタルトは、キラの耳に口を寄せる。



「ハルメス詩歌ってあるでしょ?」


「あるね」


「キラは知っている? 人間の王家が公開した予言の内容」


「知っている」


「それに書かれている深淵の王を喰らふ者って…………」



 一瞬、躊躇する。だが、詰まらせる喉を叱咤して、告げた。



「僕のこと、なんだって」



 声が震えていた。言ってしまった、という気持ちが膨れ上がる中、キリランシェロは顔色を変えず。



「ふーん。そうなんだ」



 と、軽く聞き流した。

 それで? と言いたげなキリランシェロに、困惑した。その反応は、予想していなかった。



「そうなんだって……キラは僕のこと、怖くないの?」


「怖いって? なんで?」


「だって、僕はいずれ父上を」


「オレを殺すわけでもないのに?」


「そうじゃなくて……」



 何て言えば、伝わるのだろうか。この渦巻く不安と恐怖を。

 そこで初めて気が付いた。自分が自分に恐怖を抱いていることに。



「オレ、どうしてそんなに悩むのかが分からない」



 キリランシェロは言った。



「リズがあの人を殺せるわけがないのに」


「でも、予言は外れたことがないって」


「リズは殺せないよ」



珍しく強い声色で、キリランシェロが言い切る。



「あの人を殺す前に、リズは死ぬから」


「……それって、返り討ちにあうってこと?」



 あの父に勝てるとは思わないが、その返答は些か酷い。

 だがキリランシェロは、首を横に振り否定した。



「あの人はリズを殺さない、と思う」


「だったら、どうして言い切れるの?」


「だって……」



 キリランシェロが言い募ろうとした、その時、離れた場所にいたレッキーニが声を張り上げた。



「皇子! キリランシェロ様!」



 緊迫した声だった。振り返ると、レッキーニが全身黒で覆われた服を着た、グルーテリュスに囲まれていた。


 数は六つ。形はリズタルトと変わらない。リズタルトより大きく、大人の男だということは分かった。屈強ではなく、どちらかといえばひょろりとした体格だった。覆面を被っていて、顔は窺えない。まるで、黒子のような出で立ちだ。



「お逃げください! ここは私が!」



 レッキーニの背後から、何かが光っているのが見えた。



「レッキーニ、後ろ!!」



 それが魔法だと気付く前に、叫んでいた。だが、レッキーニが振り向く前にそれは放たれた。

 刹那、レッキーニの胸が激しく砕かれた。


 耳をつんざく、破壊音。崩れ落ちる、レッキーニの身体。


 何が起こったのか、よく分からなかった。レッキーニの身体だったものが、地面に散らばってから状況を把握できた。


 あの黒ずくめ達の狙いはおそらく自分で、レッキーニは死んだ。


 ゴーレムの胸には、魔核と呼ばれるものが埋め込まれている。それはゴーレムにとっての心臓で、魔核と身体になる岩があれば何度も蘇ることができる。だが、魔核が割れると蘇ることができなくなる、そして、同じゴーレムは二度と作れない。

 レッキーニの胸は、粉々に砕け散ってしまった。魔核だけ無事な筈がない。



「キラ!」



 状況を理解し、リズタルトはキリランシェロに振り向く。いつも静かな表情をしているキリランシェロが珍しく、目を見張って唖然としていた。



「ドラゴンの姿になって! 逃げるよ!」


「わかった」



 リズタルトの声で我に返ったのか、キラは頷いた。

 キリランシェロの身体が光り出す。だが、ドラゴンの姿になる前に、複数の鎖が地面から現れた。まるで鞭がしなるように伸びてきたそれは、キリランシェロの身体に巻き付き、拘束した。



「キラ!」



 キリランシェロの名を叫ぶ。



「リ、ズ……逃げ……て」



 息苦しそうに、キリランシェロは必死に言葉を紡ぐ。

 だが、男の声がそれを遮る。



「逃げては困りますねぇ。皇子様」



 黒ずくめの男達の間を歩く、黒ずくめの男が、嫌味たらしい口調でリズタルトに話しかけた。

 その黒ずくめの男たちとは、背格好は変わらない。だが、他の黒ずくめ達が道を開いたのを見ると、この男が黒ずくめの中で一番偉いというのが分かった。


 リズタルトは男を睨めつける。



「貴方は?」


「名乗るほどの者でもございません」



 その男は恭しく、頭を下げる。よく見ると男の手には、地面から伸びている鎖を手にしている。キリランシェロに巻き付いている鎖は、この男の拘束魔法によるものだと、理解した。



「それはそうと皇子。くれぐれもこの場から逃げようと思わないでくださいね? そうしますと私、怒りのあまりキリランシェロ様を絞め殺すやもしれませんので」


「脅し、ですか」


「嫌ですねぇ、脅しだなんて。安心してください。あくまで警告です」



 白々しい、とリズタルトは内心舌打ちをした。



「僕をどうするつもりですか?」


「そんなに身構えなくても、手荒な真似はしませんよ。大事な交渉材料ですからね」



 男の声は、やや弾んでいるように聞こえた。覆面の下では笑みを浮かべているだろう。だが、その目は笑っていないだろうと、容易に想像できた。



(なるほど。つまり人質か)



 キリランシェロを一瞥する。

 胸元に絡む鎖のせいで、息がしにくいのだろう。青ざめた顔でリズタルトを見ていた。



『早く逃げて。オレのことはいいから』



 と、目が語りかけてくる。

 視線を振り払うため、リズタルトは再び男を見据えた。



「分かりました……貴方に従いましょう」


「賢明な御判断、ありがとうございます。さすが皇子様」



 男の後ろにいた黒ずくめの男達が、リズタルトとキリランシェロの周りを囲んだ。

 再び、キリランシェロに視線を向ける。キリランシェロは眉を寄せて、リズタルトを恨めしげに見ていた。



「ごめんね」



 小さく呟いた声が聞こえたのか、キリランシェロは俯いてしまった。

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