ユリエス
「ねぇ、リズ。思ったんだけど」
「なに?」
誰にも見つかることなく、無事に『常春の楽園』と呼ばれている庭園へ降りたリズタルトとキリランシェロは、庭園を歩いていた。
常春の楽園と呼ばれている名の通り、そこは多種多様な花が絶え間なく咲いている。花だけではく、見事と言うしかない程の立派な桜も植えられており、春になると桜が満開に咲き誇るのだ。
季節の移り変わりで咲いている花は変わるが、それでも季節など関係なく、様々な花が庭園を彩っている。いつ見ても花が春のように咲いていることから、常春の楽園と謳われるようになった。
その美しい庭を見て癒やされるがため、騎士が休憩中にここを回っていることもあるので、二人はここで護衛してくれる騎士を探すことにしたのだ。
「別にオレと一緒に降りなくても、別々でもよかったんじゃい?」
「時間短縮だよ」
確かに見つかったら叱られるが、合流するまでに時間が掛かる。それに見つからなければいいのだ。
その時、どこからともなく鼻歌が聞こえてきた。
微妙に音程が外れたそれは、よく知っている人の声に間違いなく、立ち止まって鼻歌の主を探した
。
鼻歌を辿ると、思っていた通りの人物が如雨露で花壇に水をあげていた。
その人物は、見た目は四十代前半の男だ。藍色の長い髪を三つ編みでまとめ、その頭から生えている半透明の角はまるで雄鹿のようで、耳も鹿と同じ形をしている。陶磁器のように白い肌だが、頬にはうっすらと鱗が浮き出ている。白い衣には、誤って水をかけてしまったのだろう、点々とした染みができていた。
「ユリエス様。おはようございます」
「おはようございます」
名前を呼ぶと、ユリエスがリズタルトとキリランシェロのほうに振り返る。細い目が緩み、ユリエスは微笑んだ。
「おや、リズタルト、キリランシェロ。おはようございます。朝御飯は食べましたか?」
「はい。ユリエス様は庭園のお手入れですか?」
「ええ。今日はとても天気が良いですねぇ」
ユリエスがのほほんとした口調で喋りながら、空を仰ぐ。
「こういう天気の良い時は、屋根の上でお昼寝したいですねぇ」
「お昼寝……いいですね」
「お昼寝はともかく、屋根の上でしないでくださいね?」
ユリエスは昔、屋根の上で昼寝して、寝転がって落ちたことがあるらしい。さらにすごいことに、落ちても熟睡したままだったという。
「しませんよ~。起きたらいつの間にかタンコブが出来ていたという、恐怖体験はこりごりですからねぇ」
「それ、恐怖体験ですか?」
「だって、知らない間にタンコブが出来たほどの衝撃があったのですよ? それに気付かないとか、自分が怖くなりません?」
「そっちの方ですか……」
常々この人は他とズレているな、と感じている。それはこの人の性格から来ているのか、それとも種族から来ているのか、分からないところだ。
「お二人とも、今日は公務ですか?」
「いえ。今日は一日中、勉強の予定でしたが、セシル先生が急遽休みを取ったので、中止になりました」
「お休み、ですか? それは心配ですね」
「セシル先生が体調を崩したわけではなく、親戚が怪我をしたようですよ」
「無事だといいですね〜。キリランシェロは?」
「オレも今日はヒマ、です」
「と、いうことは今日は久しぶりのお休みですか。何をするんですか?」
「今から城下に行こうと思います」
「いいですねぇ。あ、ついでに刻み煙草を買ってきてくれませんか?」
「分かりました。いつもの銘柄でよろしいですか?」
「はい。頼みましたよ。護衛が決まってなかったら、ちょうどそこにレッキーニがいますから、連れていってやってください。さっき朝から先輩に怒られたとかで、すごく落ち込んでいましたから、ついでに気分転換させてください」
レッキーニはゴーレムで、比較的若い騎士だ。ゴーレムにしては小柄の方で、強くなることより花を愛でることが好きな、心優しいゴーレムだ。ゴーレムは城下にも沢山いる。悪目立ちはしないだろう。
「分かりました。声を掛けてみます」
「お願いします。あ、そうだ。リズタルト、キリランシェロ」
「はい?」
「なんですか?」
うっすらと目を開け、ユリエスは言った。
「最近、物騒みたいですから、気を付けてくださいね」
「物騒とは一体」
どういう意味で、と訊こうとしたが、薬品の臭いがして、眉を顰めた。
どこから臭いがしているのだろうか。辿ってみると、ユリエスの方からしているみたいだった。
ユリエスは薬を飲むが、薬品を扱っていない。もしかすると。
「…………ユリエス様、それ、普通の水ですよね?」
「そうですよ」
「なんか、変な臭いがするんですけど」
「おや?」
きょとんと首を傾げながら、ユリエスはジョウロに残っている水の臭いを嗅ぐ。
「ああ! どうしましょう! これ、除草剤でした!」
「やっぱり! しかもこれ、けっこう強力な薬だったような……」
「あ、なんか枯れ始めている」
あたふたするユリエスだったが、リズタルトは小さく溜め息をついた。キリランシェロは、ぼんやりとその様子を眺める。
「あ、ああぁ! 最初に撒いた所、元気がなくなっています! どどど、どうしましょう~」
「とりあえず、普通の水で薄めては?」
「おお、良いアイディアですね。それ!」
ユリエスが指を鳴らすと、上から大量の水が現れ、除草剤を掛けたしまった植物の上に落ちた。
「ふ~。これで大丈夫ですね」
「いや、あんな勢いよく水が落ちたら……」
「おや?」
ユリエスは首を傾げ、水を掛けた植物を見やる。水の重さに耐えきれなかったのだろう。ほとんどの植物の茎が、ぽっきりと折れていた。
「おやおや。折れちゃいましたか」
「…………」
何事もないように、しれっと言うユリエスを、リズタルトは半眼で見据える。
「包帯を巻いたら、治りますかね?」
「さぁ……専門家に聞いたらどうでしょうか」
「そうですね。では、久しぶりの城下、楽しんできてくださいね」
にこにこと微笑みながら、ユリエスはゆったりと去って行った。その背中と折られた植物たちを交互に見て、キリランシェロに視線を向けた。
キリランシェロと目が合う。キリランシェロは表情を変えず、一言呟いた。
「今日も元気だね、ユリエス様」
「そう、だね」
力無く返事して、リズタルトは大きく溜め息をついた。
「レッキーニ、どこらへんかな?」
「落ち込んでいるって言っていたから、多分、こっそり隠れられる場所にいると思うけど」
辺りを見渡すと、大きな植物が目に留まった。
「あそこの影とか?」
「いこう」
二人は、そっと大きな植物に近づく。
大きな植物に近づくと、ぶつぶつと何か言っている声が聞こえてくる。
大きな植物の影を覗き込むと、暗い雰囲気を醸し出しているゴーレムが、膝を抱えて蹲っていた。
「レッキーニ?」
声を掛けると、レッキーニは勢い良く頭を上げて、リズタルトを見た。
「お、おおおお皇子!? キリランシェロ様も!? どうしてここに!?」
弾かれたように立ち上がり、レッキーニはびしっと背筋を伸ばし、敬礼した。
「城下に行くから、護衛を探していたんだ」
「レッキーニ、してくれる?」
「わわ、私なんかでよければ!」
「お願いね」
固まっているレッキーニの腕を、ぽんっと叩いた。
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