鍋を囲って

 その日の夜。一行はリズと共に、遺跡で野宿することにした。


 上空には戻ってきたフライボンが徘徊していたが、フライボンは決まった場所でしか卵を植え付けないらしく、その場所から離れた場所には徘徊しないという。


 フライボンが徘徊しない場所、リズが火を熾していた場所にテントを張り、そこで夜を明かすことにした。


 夕食は遺跡の周りにいたスネイの鍋。フライボンを出汁にして、スネイの肉とリズが持ってきた野菜を煮たものだ。



「すっげぇうまそーな匂い!」


「もうすぐで出来ますからねー」



 お玉で鍋の中をぐるぐると掻き回すと、リズは小皿を取り出して、味見をした。



「うん、こんなものかな?」


「じゃ、皿を出すな!」


「お願いします」



 底が深い皿を袋から人数分を出し、それをリズに渡す。リズが皿に盛りつける間に、次はスプーンを取り出した。



「うう……手が生臭いし、べちゃべちゃする……」



 ドロシーが己の手を嗅ぎながら、顔を顰める。



「気になるんだったら、これで臭いを消せ」



 薬草を潰していた擂り鉢を乱暴に渡され、ドロシーは胡乱げにテトを見つめた。



「これ、どう使うのよ?」


「こう使うんだよ」



 擂り潰した薬草を手に取り、それを両手にまんべんなく塗る。ドロシーはテトと同じように、薬草を手に塗った。



「はい、お二方~。お水出しますよ~」



 二人はリコリスに向けて、手を差し出す。



「チョロロっと」



 リコリスの指先から、水がチョロロと出た。それで薬草を洗い流し、ドロシーは改めて手を嗅いだ。



「臭くなくなっている!」


「あ、俺もいいか?」


「わたしも使わせてください~」


「ああ」



 背後の会話を聞きながら、カインはリズから受け取った皿を持って、焚き火の傍にいるテトに渡す。



「回して」


「ああ」



 テトが皿をドロシーに渡して、ドロシーは塗った薬草を洗い流し終えたヴェイツに渡した。皿が四人に行き渡り、カインとリズは自分の皿を持って焚き火の傍らに座った。



「えーと。では」



 ドロシーが両手を組む。



「空の神よ。あなた様の導きにより、今日も生きてこれました。あなた様に感謝を。サリュス」



 ドロシーの後に続き各々に、サリュス、と呟く。ただ、リズだけ言わなかった。それに気付いて、ドロシーはリズを見た。



「リズ、サリュスは?」


「僕はいつも言わないよ。モイラ教の信者じゃないから」


「え? この挨拶、世界共通じゃないのか?」


「モイラ教の教えが根付いている地域か、信者しか言わないよ。まあ、半数以上はモイラ教の人だからほぼ世界共通かな?」



 カインは、へぇ、と呟いたが、対してドロシーはつまらなそうに唇を尖らせた。



「モイラ教じゃない人、初めて見たわ」


「神殿から出たことないなら当たり前だろーが」



 テトが小さな声で突っ込む。カインは頷いた。



「だったら、リズはなんの宗教を信じているわけ?」


「え? 特にないよ?」


「ない? 嘘でしょ?」



 予想外の返答だったのだろう。ドロシーが半眼になって、リズを見据えた。その目は、得体の知れない物を見ている時の目に酷似している。



「つまり無宗教ってこと? モイラ教じゃないっていうだけでも信じられないのに、無宗教とか信じられないわ。何の教えがあって、今まで生きてこれたの?」


「無宗教って、そんなに変なのか?」



 カインが疑問を口にする。モイラ教ではなく、他の宗教でもなく、無宗教が何が問題なのだろうか。信仰する神がないのなら衝突することもないのに。



「宗教にはそれぞれ教えがあるんだよ」



 隣にいたテトが耳打ちしてきた。



「隣人を愛せ、とか、自分がしてほしいことは他者にもするように、とか、そういうのも宗教の教えだ。無宗教っていうのは、その教えがないっていうことだから不安なんじゃないか」



 なるほど。カインはなんとなく合点した。だから、得体の知れない物を見るような目で見ていたのか。



「うーん。強いて言うなら、父と父の親友、それから周りの教えかな? 生き様を学んだというか」


「周りの人たちもモイラ教の人じゃなかったの?」


「じゃ、なかったですね。僕にとって、それが当たり前でした。イカネにも信仰深い人はいませんでしたし。ほとんどの人が無宗教。僕はその一人に過ぎない」


「でも……」



 ドロシーがまた言い募ろうとしている。皿が徐々に温くなっていることに気付き、カインは声を張り上げた。



「なーあー! そろそろ食べようぜー! せっかくの飯が冷めちゃうぞ!」


「そうですね。では、いただきます」


「あ、それが挨拶なんだ」



 リズお手製のスネイ鍋を一口食べる。スネイの肉は柔らかく、口の中で解れていった。



「手袋、外さないのか?」


「ああ、これですか? 火傷の痕が酷いので」


「あ、わりぃ……」


「いえ」



 リズはにっこりと笑った。

 遠くでフライボンの羽音が聞こえる。魔物たちはいつ寝ているのだろうか。



「そういえば、貴方たちはどうしてイカネに?」


「ジャオリー先生に聞きたいことがあって」


「ああ、なるほど。僕の手伝いする代わりに、先生にすぐ面会できるようにしておくってノエルに言われたんですね」


「すげぇ! 当たり!」


「ジャオリー先生、最近体調が優れないって聞いたが」


「歳が歳ですから……三ヶ月前までは杖なしで学院中を歩き回るくらい元気だったんですけど、病気で倒れてから満足に歩けなくなって、自分の研究室に籠もっているんです」



 リズの顔が曇る。

 三ヶ月前まで……九十歳と言っていたから、余程元気な老人だったのだろう。カンデレラにも八十歳を超えた老人が数人いたが、寝たっきりか、杖がないと歩けなかった。



「なら早く顔を見せに帰らないとな」


「はい。皆さんのおかげで、早く終われそうです。ありがとうございます」


「いえいえ~。わたしたちも、フライボンの群れを追い払ってもらいましたし~」


「そういえば、なんであの時、光の球を追いかけていったんだ?」


「虫って光に集まるでしょ? それと同じです」


「へぇ~」



 フライボンは光に集まるのか。今日は何かと魔物の新たな面を知るな、とスネイの肉をかじる。



「あ、星がキレイ」



 ドロシーが呟く。夜空を仰ぐと、雲が一つもない夜空に天の川が悠然と流れていた。



「おお! すげぇ!」



「周りに光がないから、きっと綺麗に見えるんでしょうね」


「ピギャー」



 キラがリズの膝の上に乗り、リズを見上げて鳴く。



「あ、ごめんごめん。はい、あーん」



 リズはスプーンをキラの口元まで持ってきた。キラはスプーンを咥え、人参を食べる。



「キラって雑食なのか?」



 キラがカインをキッと睨む。小さいわりには凄い眼力に、びくっと肩を震わせた。



「な、なんだよ」


「あ、ごめんなさい。キラは僕以外の人に名前を呼ばれたくないみたいで」


「だったら、ノエルとかなんて呼んでいるんだよ?」


「ピーちゃんですね。あと、ピギャーとか蜥蜴とかアオピーとか……先生はドラちゃんですね」


「……それでもいいのか?」


「キラじゃなかったら、基本どうでもいいらしいです。あ、ちなみに雑食です」


「じゃ、あたしはピーちゃんって呼ぶわ!」



 嬉々と宣言したドロシーを一瞥して、キラはまたリズに視線を戻した。興味がないのか、認めたのか。微妙なところだ。



「ここって発掘調査の途中なんですか~?」


「発掘調査はほとんど済んでいますよ。あとは、今使っている壷のような物を回収するだけです」


「この遺跡はどんな目的で造られたのか、分かっているのか?」


「色々と説があります。天体観測所だったとか、砦だったとか、都市の一部だとか」


「たしかに遮るものがないから、星がよく見えるけど」


「リズはどれだと思うんだ?」


「僕は監視塔的な役割だったと思います」


「物見櫓じゃなく、監視塔?」


「ここが建造されたのが、二千年年程前だと推測されています。その事を踏まえると、おそらく海の王を監視していたのではないかと」


「海の王って神話の話だろ?」



 カインの台詞に、リズは目を細める。



「当時の人は、海の王の存在を信じていました。二千年年前といえば、ヴァレンにあった大都市が津波で沈んでしまった時期と被ります。前兆があったからか、それとも大都市が沈んだ後なのか分かりませんが、この遺跡には地下に避難場所らしき場所が作られていた跡があります。海の王の逆鱗に触れ、津波が襲ってきたとしても生き残れるように作られた、と僕は考えています」


「ヴァレンがある場所は大陸だったのか?」


「はい。ヴァレンはその大都市の中で一番高く、津波の被害をかろうじて免れた場所に築かれた街なんです。その証拠に、ヴァレンの真下には沈んだ古代都市が眠っています。けっこう綺麗に残っていて圧巻ですよ。沈んだ古代都市に潜って探索するツアーがあるので、機会があったらぜひ潜ってください」


「なんか楽しそうね!」



 リズの話に、ドロシーが目を輝かせてた。テトは大きく溜め息をつく。



「あのなぁ~。おれたちは観光で旅をしているわけじゃ」


「せっかく旅しているんだからさ、勿体ねぇじゃん! オレも興味ある!」


「まあ……テメェが歴史に興味を持ってくれたのはありがてぇが」



 テトはドロシーを一瞥する。



「テメェ……泳げるのか?」


「むぅ! 馬鹿にしないで! 泳ぎくらいすぐマスターするわよ!」


「つまり泳げないんだな」



 サイファー神殿には泉も湖もなかった。神殿に入ってから一度も出たことがなかったドロシーには、当然泳ぐ機会もなかったに違いない。



「ツアー参加する前に、泳ぎをマスターしないとな」


「水の魔法を使うと思いますが……今後のために泳げるにようにならないといけませんね~」


「カインとテトは泳げるわけ?」


「オレもテトも泳げるぞ!」


「補足しておくと、コイツはおれよりも泳ぎが得意だ。魔法がなくても長く潜れる」


「意外ね。溺れたことがありそうな感じがするのに」


「井戸の中に落ちても、溺れなかったからな。コイツ」


「それ、むしろよく生きていたな……」


「普通、死にますよね~」



 ヴェイツが半眼に、リコリスがのほほんと呟く。



「ああ、それな。オレ、全然覚えていないけど、テト、よく覚えているな」


「なんで当事者のテメェが覚えていねーんだよ。大変な騒ぎだったのに」


「怪我がなかったからじゃね? 痛かった記憶ってわりと残るし」


「しかも無傷だったのか」


「頑丈ですね~」



 そういえば、そうだ。大事件のはずなのに、カインはその時のことを全く覚えていない。誕生日に教えてもらっても、一欠片も思い出せなかった。テトは記憶力がいいから、四歳頃の記憶もカインと比べたらあるだろうが。


 ふと、視線を感じて振り返る。自分をじっと見つめるリズと目が合い、カインはたじろいだ。自分を見つめるリズの目は、不思議な色を宿しているように感じ、少しだけ居心地が悪い。

 リズはカインと目と合うと軽く目を見開いたが、次の瞬間には微笑んだ。



「な、なんだ?」


「いいえ。美味しそうに食べてくれるな、と思いまして。作った甲斐があります」



 リズはカインから視線を逸らした。



「さて、フライボンが焚き火の火に反応しないとは言い切れないので、さっさと食べちゃいましょうか」


「そうだな」



 リズの言葉にヴェイツが頷く。その後は会話もそこそこに、食事が終わった。

 食事を終え、焚き火を消してからもカインは井戸に溺れた記憶を手繰ろうとしたが、やはり思い出せなかった。

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