赤の揺らし方

大江 千歌乃莉

序-終

 吐く息が白い。すっかりと、街も季節感を纏っている。シルエットが変わるほどの衣服を身に纏い、それに対抗するが、そんなものをいとも簡単に貫通してくるこの寒さには、毎年、悩まされるものだ。そんな気候で、都会でもなく、むしろ田舎に近い街の一路上は、深夜にもなると、車も、人も、自分以外に能動的なモノはいない。それらがいるときは、場合によっては、通りたくないと思えるほど、道の狭さを感じるが、人一人になると、随分と広々している。そんな道を歩き、今日の目的地へと向かう。十三のときから、毎晩ではないが、頻繁に行なっていること、習慣と言えるだろうか。全く人がいなくなる深夜というのは、その習慣を行うに好都合で、あえてこの時間にしている。まあ、目的のない、ただの散歩にしても、相手の悪意の有無に関係なく、深夜の人影は怖いものなので、見たくない。

 目的地へ行く前に、近所の神社に立ち寄る。だが、賽銭やお祈りなんてことはせず、ただ立ち寄って、数分、長いときでも十数分ほど、ただベンチに腰をかけたり、手水舎の水で遊んだり、本当に意味のあることはしないのだが、習慣が習慣になる前、最初の最初に立ち寄ってから、なんとなく続けている。今日も、数分、ベンチに腰をかけ、夜空を眺めてから神社を後にした。流石にこの季節、水遊びをする気にはなれない。


 十三の冬、初めて家出をした。些細なことで姉と喧嘩になり、分が悪くなったので、泣きながら家を飛び出したのだ。走り出した方向に、偶然あった神社、そこに身を隠すように入り込み、涙も出尽くし、頬も乾くほど時間が経つと、徐々に頭が冷え、体も冷えていることに気づいた。何も考えずに飛び出してきたので、上着も羽織っていない。しかし、寒いから帰るというのも、何か格好がつかないぞ、と、自分でも、そのとき初めて存在を認識した若いプライドが、足を引き止める。

 せめて、風をしのぐことはできないかと、周りを見渡すと、濡れ縁に何か置いてあることに気づいた。手に取ると、それは煙草とマッチで、ここで吸っていた人が、急用を思い出したのか、ただのうっかり者か、忘れて置いていったものだろう。それにしても、ここで煙草を吸うのは、罰当たりなのではないか。十三で家出をした日に、煙草を見つけた、となると、多くの場合は、やはり煙草本体の方に目をつけ、吸ってみたりなんてするのだろうか。おそらく、そうだろう。だが、そのときの私は、寒さからなのか、それとも本能か、何故かマッチの方に、異常に興味を持っていた。箱を開けると、十本以上残っており、その中から一本取り出し、火をつけた。僅かな暖かさを感じた後、一瞬とも言えるほど短い時間で、火は消えた。まるでマッチ売りの少女だ、と、心の中で思いつつ、もう一本取り出し、火をつける。そして、火は消えた。マッチをポケットに入れ、近くにある、半分山のような、木に囲まれた広場へ移動することにした。枯れ技や枯れ葉を集め、焚き火をしようと考えたからだ。境内でやるのは、流石に気が引けた。

 広場に移り、暖かくなったところで、ある程度、体も落ち着きを取り戻し、この先どうしよう、なんてぼんやりとしていたが、そのうち、その意識は燃え盛る火に奪われていった。めらめらと、空気を飲み込み、空間を赤に染める。引き込まれるように見つめていると、頭がくらくらと、体がふわふわと、不思議な感覚に包まれていった。どのくらい見つめていたのか、気づけば火の勢いも、弱まっていた。しかし、あの不思議な感覚は続いており、目を離すことができない、むしろ、この感覚は強くなったような、そんな気もする。さらに時間が経つ。もはや、暖としての役割は果たせていないが、そんなことも忘れるほどに、何故か体は火照っていた。静寂が訪れ、そして、ふっ、と、火が消え、明かりは、広場に設置された、弱々しい公園灯のものだけとなった。だが、そのとき、体には、そんな環境とはまるで反対の衝撃が駆け抜けていた。今まで感じたことのないそれは、瞬間的なものでなく、じんじんと響き続けた。この一件以降、深夜にこっそり、家を抜け出しては焚き火をする、奇妙な日々が始まった。奇妙は奇妙だが、人に、それほど大きな迷惑をかけてはいないので、まだ健全だった時期でもあったのだが。


 目的地に近づくにつれ、鼓動が強くなるのがわかる。あの日と同じような寒さ、同じような天気、あのときから、成長せずに同じままの自分。自嘲的な思考も、今ではすっかり板についている。良いことではないが。話し相手もいないので、一人、脳の中で中身もない会話をする。これも、この習慣ができてから得意になったことだ。役に立つのか、立たないのか、そんなことばかり身につくものだ。

 しばらく歩くと、目的の廃屋にたどり着いた。年季の入った小屋で、崩壊寸前にも見えるのだが、それでも問題はない。早速準備に取り掛かる。準備と言っても、特に難しいことではなく、広場で枯れ技や枯れ葉を集めていたときと、何ら変わらない、むしろ、歩き回ってかき集める必要がない分、今の方が労働量では楽だ。好きな曲を口ずさみながら、てきぱきと作業を進めていくと、十数分で終わらせることができた。近くにあった岩に腰を落ち着け、廃屋を観察する。何のために建てられ、何があって使われなくなったのだろうか、田舎なのもあって、こういうモノがよくあるのだが、ある意味、自分にとっては良い環境だ。対象を廃屋に移してから、焚き火のときよりも頻度を減らすことはできた。しかし、これで満足できなくなる日もそう遠くはないだろう。そうなったら、どうなるだろうか、まあ、そんなことは、今はどうでもいい。頭を振り、腰を上げ、廃屋に近づく。ポケットに入れていたマッチを取り出し、着火させ放り、あらかじめ用意しておいたところに急ぐ。二〇〇メートルほど走り、広げておいたシートの上に座り込み、望遠鏡で廃屋を覗いた。



 最近、近辺地域で、連続放火事件が起きている。使われなくなって長い廃屋が狙われていて、今のところ、怪我人や死亡者は出ていないのだが、だからといって許されることではないし、いつか、民家も狙われるのではないか、それが自分の家だったら、なんて考えると、恐怖もある。用心深いのか、手がかり等は見つかっていないのも、不安要素だ。ニュースを見て、そんなことを考えていると、妹が外から帰ってきた。妹が部屋の前を通るときに、おかえりなさい、ただいま、と、定番の言葉を交わす。いつもならそれで終わりだが、何となく今日は、そういえば、と、言葉が続いた。

「最近、放火が続いてるみたいなの」

「うん、知ってる」

「あらそう」

 まだ何かあると思っているのか、こちらを見て立ち止まっている妹に、呼び止めたことを軽く謝り、行っていいことを伝える。変なの、と、首を傾げながら、ぱたぱたと階段を登っていく妹を見送る。てっきり、最近の事件なんて知らないと思っていたところに、知っていると、予想外の返しをされて、少し不自然になってしまった。普段、ニュース番組や新聞を、全く見ていない妹だったのだが、気づかぬうちに大人に近づいているということだろうか。姉として、嬉しさは大きいが、同時にほんの少しの寂しさも感じる。年の違いが二つしかない妹の成長で、こんなにも複雑な気持ちになる自分は、実の子の成長に耐えられるのだろうかと、今から不安だ。

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