トオルくん

ねこじろう

第1話

 僕の住んでいるマンションの同じ階に、トオルくんという男性が住んでいました。

年老いた母親と一緒に暮らしており、特に仕事をしているような感じはなく、母親の年金で生活していたようでした。


 トオルくんはいつも同じ風体をしてました。丸坊主の頭に濃い顔立ちに、でぶっとした肥満体で、白いランニングシャツに紺色の半ズボンをサスペンダーで吊って穿いてます。まるで昔いた放浪の絵描きのようでした。

年齢はおそらく、40歳は過ぎていたと思います。もしかしたら、もっといってたかもしれません。


 マンションの部屋は各階とも、エレベーターを基点に「コ」の字に並んでおり、僕の部屋は5階のエレベーターを降りて、右側突き当たり。トオルくんは左側突き当たりでした。


 朝方仕事に行くときは毎日、エレベーターの前で、トオルくんに会いました。まるで僕が部屋を出るのを見計らかっているかのように、僕が玄関のドアを開けると、正面突き当たりの部屋のドアも開き、トオルくんが姿を現します。

そして一緒にエレベーターに乗り込むと、1階で一緒に降り、出かける僕を見送りながら、エントランスにじっと立っています。


 トオルくんとは、会話というものが成り立ちません。ただただ僕の話すことを、ひたすらオウム返しするだけです。

例えば、僕が「だいぶ寒くなりましたね」と言うと、


彼も「だいぶ寒くなりましたね」と返し、

僕とエントランスで別れるまで、頭を右側に直角に傾けたまま、同じ言葉を繰り返すのです。


「だいぶ寒くなりましたね」


「だいぶ寒くなりましたね」


「だいぶ寒くなりましたね」

……


 それは雨が降り続いていた8月のある日のことでした。

朝方いつも通りエレベーター前でトオルくんに会った僕は何気なく、


「あ~あ、トオルくん、てるてる坊主にでもなって雨を止めてくれないかな」

と、冗談交じりに言いました。


するといつもの通り、トオルくんは今の言葉を繰り返します。


「あ~あ、トオルくん、てるてる坊主にでも

なって雨を止めてくれないかな」


「あ~あ、トオルくん、てるてる坊主にでも

なって雨を止めてくれないかな」


「あ~あ、トオルくん、てるてる坊主にでも

なって雨を止めてくれないかな」

……


僕は苦笑しながら、会社に出掛けました。


 その日、僕は仕事に手間取ったおかげで、マンションに帰り着いたのは、夜9時を過ぎてました。

シャワーを浴び、1缶ビールを飲みます。コンビニで買った弁当を食べ、しばらくニュースとかを観てから、早々に電気を消して、布団に入りました。

5階の部屋なので、とても静かです。疲れていたのでしょう。

微かに聞こえてくる雨の音を聞きながら、程なく眠りに落ちました。


ドン!ドン!ドン!


どれくらい時間が経ったころでしょうか。何かを叩く音で目が覚まされました。枕元の時計を見ると、まだ午前2時10分です。

立ち上がり、電気を点けます。

どうやら、誰かが玄関のドアを叩いているようです。


─こんな時間に、イタズラか?


僕は玄関先まで行き、そうっと覗き穴から外を見ます。

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