6 狼の過去
「兄さん!」
空は兄の陸が大好きだった。国家防衛機関というところに勤め、二軍というかなり上位の位にいることとが、とても誇らしかった。それは、十五歳の空にも容易に理解できた。
「今日はどんな仕事をしたの?」
「今日も悪人をいっぱい捕まえたぞ」
「すごい!」
と満面の笑みを見せた。十五歳にしては童顔で、幼い空は皆から可愛がられている。そのことに関しても陸は自分の弟に誇りを持っていた。
「そういえば、空」
空の頭を撫でながら話す。
「今日兄さんの職場に来てみるか?透君も一緒に」
空は大きく返事をすると家を飛び出していった。陸はやれやれといった様子で息を一つはいた。
「如月空です。透君いますか?」
チャイムに向かって話しかける。小さな返事の後、戸が開いた。
「あっ空」
弱々しい声が聞こえる。顔には無数の痣。暑い中、不自然な長袖の裾から見える手首には切り傷。いつ見ても酷い体だった。透は偽の笑顔で駆け寄った。
「今日はどこに行くの?」
ウキウキした様子で目を笑わす。
「兄さんの職場」
空は背中を押した。戸惑った様子で首筋に汗をにじませる。透はソラを仰ぎ、ポツリと呟いた。
「零元気かな?」
「元気だよ。絶対」
引っ越してしまった幼馴染の零の声を聞いていない。この青いソラの向こうで繋がっているんだなと、くさいことを考えていた。こんなことを考えているうちは平和だなと胸の内で感じていた。
街中にそびえ立つ大きな建物に足を踏み入れる。中に入ると、冷気が頬をくすぐる。受付に、如月陸の弟です。見学に来ました。と告げる。しばらくすると、笑顔が顔に張り付いた男が二人に声をかけた。
「こんにちは。私はここの機関長の岡村だ。兄さんの部屋に連れて行ってあげよう」
二人は丁寧に礼をすると、ついて行った。廊下を歩いている間、岡村は色々と話していたが、空はその偽物っぽい笑顔が気になって全く内容が入ってこない。案内されたのは白塗りの綺麗な扉。開けると、そこは個人部屋とは程遠い光景が広がっていた。透は物珍しいらしくはしゃいでいたが、空は完全に警戒していた。後ろで鍵が閉められる音が聞こえる。咄嗟に振り返ったが、この扉は中からは開けられないようになっており、余計に恐怖が全身を駆け巡った。
「透!警戒して!」
突然の大声に透は素っ頓狂な顔を見せる。すると、部屋に不自然にあった窓の奥が光った。空は食い入るように見る。そこには、椅子に縛られて座っている男性がいた。
「…兄さん?」
空は右、左と目を見開いて、キョロキョロしていた。思考回路が全停止し、全身の感覚がなくなっていく。
『こんにちは。これから国特防流処刑法を説明するよ。瞬き禁止』
スピーカーから変声機の音が聞こえる。これじゃまるで、犯罪組織じゃないか。しかし、完全に否定できない自分に少し苛立ちを覚える。部屋に男が入る。男は少し小柄なカッターを持っていた。それを固定された手に容赦なく突き刺す。刻んで千切って潰して引き伸ばして刺して抉って剥がして刳り貫いて壊して歪めて曲げて沈めて死ねないように殺した。痛みと苦痛に声を上げなくなった陸の目に光は無かった。一部始終何も言葉を発しなかった空は床に座り込んだ。目の奥で涙が出たそうにしているのを何かが蓋をしている。
『最期の別れをさせてやる。中に入れ』
立たない腰を必死に立たせ、重い足を陸の前に運んだ。こちらを向いても何も言わない。生気を失った目だけが、空の目を見透かすように合っている。逸らすことはできなかった。気が付けば死んでいた。いや、図ったのだ。この男は。死んだ兄に重たい石が重力に従って落ちてきた。陸は跡形もなくなり、肉と血だけが空のもとに形となって体に降りかかる。霞んだ視界の中で兄の一部と認識した。脳が思考に追いついた。喉が痛かった。呼吸ができなかった。耳の奥に誰かの叫び声が劈くように響いた。あまりに喉が痛かったもんで確信した。叫んでいたのは自分だった。
「え…あははは…はははは…はははは…あはははは」
一滴に二滴だった涙が筋になり、叫び声が笑いに変わり、笑い声が嗚咽に変わり、足から崩れ落ちた。眼鏡が血だまりに落ちる。
「兄さん…ここは嘘だらけだよ…真っ赤だ…」
その訴えは反響することなく響いた。
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