第四章 灰狼達の悩

1 狼の戸惑い

「零先輩、零先輩」

戸の向こうで叫ぶ声が聞こえる。入るように指示すると、少し遠慮がちに祐希が入ってきた。「今日入ってくる新人のデータです。少しワケありっぽくて」

祐希は珍しく俯き、前髪で表情を隠した。零は資料に目を通すと、眉をひそめた。

「これはまた、可哀そうな」

一枚また一枚と丁寧にめくってゆく。祐希に礼を言って下げさせ、零はパソコンに向かってキーボードを打ち始めた。

「こんにちは。あなたが小百合さん?」

「あっはい」

小百合は一歩下がって深く礼をした。それがあまりにも長かったので、零は目を泳がすと、頭を上げてと言った。丁寧に手入れされた黒髪が風になびく。すると、祐希が零の肩から顔を出した。小百合は一歩下がると肩を寄せた。

「へぇー。結構可愛いじゃん。俺黒髪好きだよ」

祐希は小百合の髪をいじり始める。それを見て、零は持っていた資料を丸めて頭をはたく。それと同時に放送がかかった。

『出動命令。出動命令。精神判定違反者。〇〇地区××番。一.八、(二)軍。レベル一』

零は小百合の方を向くと、手を引いた。

「行こう。大丈夫だから」

その手は何故か震えていた。

「いやぁ、ほんと後輩は久しぶりだなー」

後部座席で祐希が騒いでいる。零は無言で車を進めていた。

「でもさ、小百合。どっか怪我してる?」

小百合は肩をすくめた。零はルームミラーで小百合の顔を見る。

「えっと、その。何でですか?」

「小百合からは血の匂いがする。こう、零先輩たちみたいな染み付いた血の匂いじゃなくて、妙に生々しいというか」

「もうやめろ」

零が場を切った。小百合は小さく、えっと呟いた。祐希は頬を膨らますと、窓を開け、風に当たった。

「あの…先輩」

心配そうな目で乗り出してきたのを零はニコッと笑って返した。小百合は座席に座り直すと、そっと自分の腕を抱えた。

「さーて、やりますか」

祐希が腕をグルグルと回す。久々に目を輝かせた。チャイムを押すと、落ち着いた女性が出た。事情を説明し、中へ入る。家の外は緑豊かで中は落ち着いた女性を表しているような落ち着いた和風な部屋だった。居間に通され、女性はお茶とともに時計を出す。零は一通り見ると、女性に目をやった。

「どうして、しなかったんですか?」

「えっと…昨日は疲れて寝てしまって」

「まあ、そんなこともあるので、これには装着しなくても判定出来る機能が付いてるんです。意図的に切らないとこういうことにはならないんです」

「あの、先輩」

話の途中で祐希が零の肩を叩いた。祐希の顔は青ざめ、口を押さえている。

「俺、気分悪いので外出ときます」

フラフラと千鳥足で去って行った。零は少し首を傾げ、背中を見送ると話を戻した。

「ちなみに、ご家族は?」

「夫と子供が二人。後は妹がいます」

そう言った瞬間、小百合の顔が曇るのが横目に見えた。

「小百合?」

「話を続けて下さい。嘘は無しです」

女性は顔をしかめた。

「何?この子」

「すいません。この子新人で」

急いで作り笑いをし、小百合の手を引っ張ってたしなめた。ちょっと、と耳打ちしたが視線を逸らされた。

「えっと…で、そのご家族は今どこに?」

「夫は仕事で医者をやっています。子供は学校に。妹は孤児院で先生をしています」

小百合の瞳孔が開いた。すぐさま腰に手を回す。零は資料を思い返す。まずい、この子に孤児院は禁句だ。女性は後ろに手をつき、後退り。小百合は拳銃を抜く。何かを叫んで引き金を引いた。


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