ニセモノの空を飛ぶ天使
玻津弥
ニセモノの空を飛ぶ天使
その日、高い空に現れたのは、天使であったか、悪魔であったか。
その少女には翼があった。
✢✣ ✳❊ ✳❊ ✢✣
コンクリートの町って好きじゃない。
背の高いビル、人を追い詰めるようにして建っている。
コンクリートは私が体のすべての力をこめて叩いても割れやしないし、とても頑丈にできている。頑丈な要塞。そこから誰も出ることはできない。
あるとき私は気付いてしまった。私は自由ではないということに。ずっと閉じ込められたまま生きていることに。手足に枷をはめているように不自由で、その枷の重さに気付いたときから私は幸せでなくなった。コンクリートのなかに閉じ込められているのと同じだった。
❊
「幸せになりたいですか?」
そう聞かれたのは、学校からの帰り道。
夕暮れの人気がない時間。黒い服を着た男が私に話しかけた。
幸せになりたい。
目の前の見知らぬ男に尋ねられた私はいつの間にか、「はい」と答えていた。
学校に毎日のように行かなくちゃならなくて、決められた制服に決められた校則。とても窮屈だった。
とにかくそこから抜け出したかった。
男が私を連れて行ったのは、巨大な白いコンクリートの建物だった。よりにもよって私の一番嫌いな建物だった。躊躇している暇もなく男は自動ドアを通り、先へ行ってしまう。私は、急いで追いかけた。
中に入ると、そこでは、見た目からは想像もつかないほどの数の人間が働いていた。白衣を着た人たちが歩き回っている。
天井は高く、エレベーターで四十八階へ案内された。
「ここは病院ですか?」
エレベーターの箱の中で私が聞くと、男は首を横に振った。
「幸せになるための場所ですよ」
男の眼鏡が天井の明かりを反射して光った。やけに高い天井。男は笑っているらしい。私はその男の笑うと出てくる金歯が嫌いだった。
男は私に簡素な部屋を提供した。そこは、窓の外の色以外は白一色だった。
そして、そこに足を入れたそのときから、私はそこで生活をすることになっていた。
出ようとしても扉は開かなくなっていた。
コンクリートでできた建物の中にいると、まるで檻のなかにいるみたいだった。
四角く切り取ったような小さな窓。
そこから、世界を見ていると、外は絵のように見える。下の方で小さい蟻になった人間たちが忙しそうに歩き回っている。ご苦労さまなことだと思った。
私は相変わらず、コンクリートの中に閉じ込められている。幸せにしてくれるだなんて、騙された。
木製のいすに座って、窓に頭をもたせ掛ける。こつんと硬くて冷たい音が小さな衝撃をくれた。
今、力が欲しい、と思う。
力があれば、コンクリートなんて粉々に打ち砕いて自由な世界へいけるのに。私に翼があれば、そこから抜け出して、自由な空へ羽ばたけるのに。
気ままに空を横断していく鳥が今は羨ましかった。
人間って体があって自分の好きなことができるし、脳みそがあって考えることができるのだけど、その分余計に損している。考えなくてもいいことを考えたりして、心も体も疲れる。頭が空っぽで空を飛べる鳥がなんとうらやましいことか。
鳥になりたい。
気が付けば、鳥になる夢ばかりを見ていた。
その訪問者がやってきたのは、私が来てから何回目の夜だったのか、はっきりと思い出すことはできない。
とにかく、夜だった。
窓からは星が見えていた。
みんな寝静まった頃。
外から扉を叩く音がした。
「はい」
半分夢から覚めていない心地で、返事をした。ここのところ、一日中寝て過ごしていた。起きていても、半分は寝ているようで、頭がぼんやりしていた。
久しぶりに話しかけられて、私は意識を起こした。
「新しく来た人だね」
静かに声が言った。
しばらくの後、私の頭はいきなり冴えてきた。そして、「ええ」と答えた。
相手がどんな人なのかも分からない。自分がどうなってもよかったが、目は覚ましていたかった。
「ぼくはきみと同じような境遇にいる」
物音はしない。扉にあいた細長い穴から、一つの影が伸びていた。私は黙ったままだった。
「ぼくはきみと同じような境遇にいる」
私が聞いていないと思ったのか、相手は二度言った。
「きみは、早くここを出たほうがいい。気分がしっかりしているうちに」
ゆっくりと咀嚼するように考えていると、やっと頭に疑問が浮かんできた。
この人は、研究所の関係者なのだろうか。
「……でも、どうやって?」
扉には鍵がかかっている。ここからは出ることはできない。
「ぼくが協力する。だから大丈夫。君は最後まで君らしくいること。そうすれば、何も心配することはないから」
「……それはいつ?」
「わからない。でも、はやい方がいい」
どういうことだろうと聞こうとしたけれど、そのときには早くも彼の足音は遠ざかっていた。
食事はきまった時間に定期的に出されていた。
少年はいつも決まって、白衣の人たちがいなくなった夜に現れた。
「いいものを見せてあげるからついておいで」
そう言って、少年は鍵をあけた。
今なら逃げ出せる。
いっそ、少年の手をはねのけて逃げることもできたのに、私はそうしなかった。
少年に手を引かれて連れて行かれたのは、電気もついていないのに蛍光色の緑色に光る部屋だった。
液体の中に生々しいものがさまよう様に浮いていた。
「ここではね、生物の実験をしているんだ」
「あなたは誰? どうしてここのことをこんなに詳しいの?」
私はずっと聞きたかったことを口にした。
「ぼくは、ここの研究員の息子だった」
「今はそうじゃないの?」
そう。少年はそれだけを答えた。
「昼間のぼくは研究施設を自由に動ける。みんなぼくは気がおかしいと思われているから相手にしないんだ」
少年はそう説明した。
奥には、黒い部屋があった。少年はそこへ黙って近づいていった。
円筒のケースが空間を支配しているようだった。
その中には巨大な生き物がいた。
「きみはこの生物の力を受け継ぐんだ」
私はガラスケースに顔をおしつけた。そこから見えたのは黒いもの。ひからびた巨大なこうもりのようだと私は思った。
「よく見ると人間にそっくりだろう」
言われるとよく分かる。羽のようなものを取り除けば、人間に近い姿をしている。それでも、口には獰猛な犬を思わせる細やかなキバがあり、ちぢれた羽は醜い。目は暗い洞窟のようで何も見ていない。
「地中の奥深くで発見されたんだ。なぜか、羽を持っていて、空を飛ぶ能力を備えていた。つまり、これはまだ孵化前で、成人になると地上に出て空を飛ぶんだ。太古の昔にはこういう生物がたくさんいたらしい。でも、絶滅したんだ。地球の環境に合わなくなって」
「それはよくわかる」
その方角からいつも謎の音が聴こえていた。施設には防音素材が使われているのに、それをも音が通過しているのだ。音の正体は何なんだろう。私はそれが気になっていた。あの男の子は見ちゃいけないと言っていたけれど、気になって仕方がなかった。
そして、ある夜私は部屋をぬけだした。
たどり着いた場所はジャングルのようだった。樹木が生い茂っていて、辺りが暗い。足もとがやっと見える程度に天井の明りが届いているだけだ。
「来てはいけないと言ったのに……」
少年が立っていた。
でも、そのときの少年は獣のように見えた。二本足で黒い毛むくじゃらが立っていた。
獣はうなり声を上げると、また林の奥に走って姿を消した。
私は追わなかった。
「この翼を人間に移植すれば、空を飛べるんじゃないかって、ここの人は考えたわけだよ」
少年は模型をつかって人形を動かした。背景は小学生が描いたような水色の空の絵。羽の生えた天使のような人間を空に吊り上げる。糸に引き上げられたそれは、ぶらぶらとゆれた。
「幸せになりたいかい?」
少年が静かに問う。
「ぼくは思う。幸せっていうのは、夢を見てるのと同じだ。幸せの夢を見てるだけなんだよ」
少年が天使の羽についていた糸をはさみでちょん切った。天使は飛ぶ力を失って、こてんと床に落ちた。
「目が覚めたら、断崖に立たされたみたいにさ、夢に置き去りにされて泣くことになるんだよ」
私には少年の言っていることがよく分からなかった。
少年は遠い昔から生きているような人の瞳をしていた。
「ぼくは少しずつ、薬を飲んだふりをして、捨てて、飲む量を減らしている。それで、最近は日が落ちたころになると、調子がいいんだ。気持ちがゆらゆらしたりしないで感情が統一している」
しばらく少年が訪れない日が続いた。
そして、その間、夜になるとどこからか野生の獣のような荒れ狂った声がきこえるようになった。
数週間後に来た少年の目の下には濁った紫色のくまができていた。
「研究員に、薬を飲んでいないのを気付かれた」
少年はたいそう疲れたようすでそう告げた。
「約束の日は、もうすぐだよ」
とうとう私の背中に古代生物の翼が移植された。
手術は死ぬほど痛かった。
だけど、手術のあとの私には妙な高揚感があった。
これが幸せというものなの?
「いいな。きみは空を飛べるんだ」
少年は羨ましそうに言った。
ついに実験の日は来た。
私の飛行実験が始まった。
コンクリートの重い扉が開かれる。
一面に広がる青い空。
空へ出て私は自由になる。
私は空を飛ぶ喜びでいっぱいだった。
けれど、すぐに自由ではないのだと感じた。コンクリートからは二十メートルも離れているのに。
背中につけられた翼は体からちぎれそうだ。
痛い。いやだ。
私の伸ばされた手の先でコンクリートが粉々に砕けた。私は力を手に入れたのだ。 大嫌いなものからもこれで解き放たれた。
私を阻むものは何もない。
このまま、飛んで逃げてしまえばいい。
そう思った。
なのに、なぜか地上に引き留められる。あれだけ嫌いだった世界なのに。
私は気づいた。
人は重いんだ。そして、重いのは心。人は飛ぶようにはできていない。
鳥になりたい、とずっと思っていた。
でも、ニセモノの翼はいらなかったんだ。そう。
重い羽は欲しくない。
今思えば、分かることがたくさんある。
あの私を助けてくれた少年は、自分もろとも施設が滅ぶことを望んでいたのかもしれない。
彼の立っている窓が小さくなってゆく。
『いっしょに行けたらいいね』
『ぼくも見たかったな』
彼は初めから知っていたのか。自分の運命を。もう聞くことはできないけれど。
彼は世界が死んでいくのを眺めながら死んだ。きっと救われたようにほほ笑んで。
世界が瓦礫の山になった頃、私は天を目指した。太陽が暑い。人を寄せ付けないようにしているのか。
重たい頭は地面を恋しがっている。やっぱり、脳みそを少年にあずけてくるべきだったのかもしれない。
戻ろう。そして、頭が軽くなったら、翼をたずさえて飛ぼう。それは鳥のように楽しく飛べるだろう。
まぶたの内側で、緑の楽園から鳥がはばたいた。
END
ニセモノの空を飛ぶ天使 玻津弥 @hakaisitamaeyo
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