夢殺

ねこじろう

第1話

「先生、わたし思うんですのよ」

きちんとセットされたブラウンのセミロングの髪に触れながら、酒井信子は言った。

小さな会社の経理事務員のような

細面で神経質そうな顔をしており、今年で四十歳なのだが、どう見ても十は老けて見える。多分、目の下にある深く青い隈のせいだろう。ただ、どことなく上品な所作や言葉遣いをしていた。


「どんなことを、ですか?」

目の前に座ってる白衣姿の篠田が机の上で手を組み、上目遣いに信子をじっと見た。

無造作に伸ばした真っ白い髪に、

フレームの無い丸眼鏡を掛けている。彼の右側はガラス張りになっており、その向こう側にはきちんと手入れされた日本庭園が覗いている。


「全てが夢ではないのかしら、と」

信子はキッパリと言った。


「夢?」


「そうです。今朝、警察の方々に車に乗せられ、先生のこの素敵なオフィスに連れてこられたこと、

それから今、先生とお話ししていること、全てが夢ではないのか、と」


「ほほう、ということは、私は現実の人間ではなく、あなたの夢の中の登場人物だと言うのですか?」

篠田は眼鏡を外し、子供のくだらない話を聞く親のように、眉間を指で揉むと、大きく息を吐いた。背後の本棚には、心理学関連の物々しい学術書がすき間無く並んでおり、広い机の上には、タイトルが英語の雑誌が無造作に積み上げられている。


「そうです。だから、もう少ししたら、ここは突然、真っ暗になって、先生もわたしも消えて、わたしはいつものように、いつものベッドで目覚めるのではいか、と」

そう言うと、信子は真剣な目で篠田を見た。


「酒井さん、あなた、本気でそんなことを言っているんですか?」


「はい、だって、そんな夢あるじゃないですか。現実とほとんど変わらないのが……。その中では、当たり前に「暑さ」や「寒さ」を感じるし、「痛み」さえも感じるときがある。この間なんか、主人と娘と、ステーキハウスに行った夢を見たんですけど、その時も目の前の鉄板で焼ける肉の音や、香ばしい肉の香り。油が飛び散り、わたしの手の甲に当たり凄く熱くて、やけどして。それを見た主人と娘が大笑いして、その時も……」


「酒井さん!」

話を遮るように、篠田は声をだす。信子はビクッとして、話を止めた。


「残念だけど、あなたの前に座っている私もあなたも夢ではなく、現実なんです。そして、あなたがご主人と十五歳の一人娘を殺したのも、厳然たる事実です」


「夢なんです 夢に決まってます!だって、わたし、前にもそんな夢を見たことがあるんです!」


「そんな夢というのは?」


「主人や子供を殺す夢です。その時も今回と同じように、包丁で刺したときの手応えを感じましたし、顔に付いた血の生温かい感触も、生臭い匂いもしました。それで、わたし、なんて恐ろしいことしたんだろうと狼狽えて、慌てて近くにあった新聞紙で傷口を押さえたりして、それはそれは全く現実そのものでした」


「それはそうかもしれないが、今回は間違いなく、あなたが現実の世界でやったことなんです」

篠田は少し声を大きくして断定するように言った。


「じゃあ、先生、今のこの状況を

夢ではないと、証明できます?」

信子は大きく目を見開く。

その目は白目がはっきり血走っていた。


 信子がそう言った途端、彼女や篠田の姿はテレビの画像が乱れるように、一部が見え隠れしだすと、周囲と同化するかのように、薄くなっていき、やがて、辺りは暗闇が支配した。




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