喰鬼殺しの顎

神村椋

第1話 異常な世界

 人間は害虫でしかない。

そう『アギト』は物心ついた頃から思っていた。

 しかし、両親から貰った名前を一切捨てて『アギト』と名称だけとなった彼は、そんなことはもはや頭にはなかった。

 現在、彼の目の前には女性が倒れている。

年齢は20代前半だとは思うが、アギトは若い人間を好むというだけで年齢なども眼中にない。

 アギトは彼女のふっくらとした足を手に取ると、ゆっくりと歯を埋め込んだ。

 口内にねっとりとした血生臭さと肉の味が広がるはずだが、アギトはそれをすぐに咀嚼して飲み込む。

 そして一言。


「…やっぱり、死んでると味が悪いな…。生きていた方が良いが、騒ぐと面倒だしな…」

 

 既に息絶えている女性を貪るアギト。

 死んでいるとしても、やはり人間の肉は格別だと思った。食糧が手に入らない時に食べたネズミとは天と地の差だ。

 彼が感じているのは『美味』と表現できる肉の味。

 血はどんな物よりも芳醇な香りがするソースとなり、肉は程よい脂と柔らかさ。

 ある程度食らったのち、腰のウエストポーチから袋とナイフを取り出して袋詰めにする。

 腹が減った時の非常食にするためだ。

 切っては包み、バッグに詰めてを繰り返していると、視界の端に映るものがあった。

 金髪で目つきの悪い、いかにも不良要素を含んだ青年だ。

 肉が噛み千切れるようになっている鋭い犬歯と、筋力特化型なのか太い腕や足が特徴だった。


「…それ、もういらねぇの?」


 青年が、アギトの足元に残る女性の肉片を指さして問いかける。


「見て分からねぇか? 解体中だ、邪魔するな」

「んなこと言わねぇで…オレ腹減ってんだ、少しくれぇ分けてくれよ…!」


 舌舐めずりをしながら怒鳴った青年は、一気に腰を降ろすと一旦停止する。

 ボコ、と筋肉が隆起する音が聞こえたと思うと、青年の足は異常なほど膨れあがって筋肉の塊と化していた。

 かろうじて足の形だが、まるで馬の盛り上がった胸のようだ。


「脚力特化型か、面倒だな…」

「いいからメシを寄越せよ…喰鬼グールの雑魚が…!」


 青年が自慢の脚力でアギトに向かって飛んでくる。

 相当な筋肉量のその足で蹴られれば、無事ではすまないだろうその足を、簡単に避けながらアギトは呟いた。


「雑魚はお前だ、筋肉野郎。こっちがって知らねぇだろ」

「…あぁ!?」


 一瞬ピタリと猛攻が止んだその瞬間を、アギトは見逃さなかった。

 怪訝な顔をする青年の懐へと飛び込むと、下からの足蹴りも気にせず相手の心臓付近へと手を移動させる。

 アギトは決して相手の脚よりも強力な武器は持っていない。

 しかし、一瞬にしてアギトは青年の心臓をそのまま抉り出した。

 心臓はアギトの手の中にあり、未だ動いているそれを持ちながら飛び退く。


「て、てめぇ!? それ、オレの…!」

「ああ、お前のだ。若いからまだピンクに近いな、


 アギトはにやりと笑うと、犬歯を見せながら手のひら程の心臓にかぶりつく。

 咀嚼している間、脈打っていた心臓は徐々に鈍くなる。


「…返しやがれ…!」

「…流石喰鬼だな、心臓抉られても暫くは喋れんのか。なら、ついでに教えといてやる」


 一呼吸置き、アギトは食べかけの心臓を見せつけながら発言する。


「…俺は、人間よりもの肉が好きだ。だから、喰鬼ハンターはやめられねぇんだよ」


 最後の心臓の肉片を飲み込むと、限界が訪れた青年は白目を剥いて倒れた。

 これが、アギトを通り名で『喰鬼殺しのアギト』と呼ぶきっかけとなった一件の話である。

 

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喰鬼殺しの顎 神村椋 @ryo1964

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