桜と家族写真

京正載

f−1 烏丸恭子

f−1/1 湖岸の町にて

 大阪での『春の新作カメラショーと撮影会』の仕事を終え、梅田で一拍してから私とサワちゃんは、翌日の早朝にホテルを出た。

ここいらの渋滞に引っ掛かれば、たとえバイクといえど、大阪から脱出するのにどれだけ時間がかかるか、分かったものではない。

予想通り、枚方で大渋滞に巻き込まれてしまったが、何とか私のハーレーは国道1号線を北上して、午前中には京都経由で滋賀県に入ることができた。

バイパスを通れば少しは早く着けたかもしれないが、私は防音壁で景色の見えない道はイマイチ好きではない。

とはいえ、やはり時間を節約するため、無意識にハイペースの走りとなってしまってはいたが。

アシスタントのサワちゃんこと、沢田マキの250㏄オフロードバイクも、荷物の重さにも負けずに、後をついて来ている。

いつものことながら、彼女のタフさには驚かされっぱなしだ。

「ん、ああ、仕事の内容は東京と一緒だよ。たいして変わったところもないし。それよりも、そっちはどう? 何かトラブルとかは? うん、そう、まあスタジオの方は、ハルちゃん達を信用してるから」

朝の11時に、大津から東京のスタジオへ、報告と確認の電話を済ます。

小さな写真スタジオとはいえ、私も一応は店主としての自覚はあった。

まあ、優秀な助手達のおかげで、私などいなくても、店の経営は問題はないが。


 私は烏丸恭子からすまきょうこ。35歳(秘密厳守)独身。

これでも少しは名の知られた、風景写真を専門とする女性プロカメラマンだ。

自分で言うのも何だが、写真家の間ではそれなりに、有名人だったりもする。

写真集だって、今まで何冊も出版し、いずれもけっこう売れてて(ちょっと自慢)、今回も大阪のカメラショーに、私は特別ゲストとして招かれて来たのである。

催しとして行われた、私の写真講座も予想以上に大盛況で、アマチュアカメラマン達で客席は連日満席だ。

主催者の大手カメラ店社長も大喜びで、今回のカメラショーも、無事大成功に終わった。

『それより恭子先生、今、滋賀県にいるということは、今回も琵琶湖で撮影ですか?』

「うん、まあね。ちょうど季節もいいし」

『いいかげん諦めたらどうです?』

「諦めない!」

『しつこいですね?』

「そうよ。私は蛇みたいにしつこい女。あのときに見た、あの美しい湖北の景色を忘れられないわ。あれをカメラで収めるまでは、絶対に諦めないと決めたのよ!」

『分かりました。じゃあ、こっちに帰って来るのは、また何日か先ですね?』

「ええ、そのときはまた連絡するね。まあ、再来週には函館の撮影会があるから、それまでには、何とか帰るけど」

『分かりました。お疲れさまです』

「うん、アリガト。サワちゃんにも言っとくわ、本人はそれどころじゃないだろうけど」

と、私は携帯電話を切って、

「じゃ、行くよ。サワちゃん」

「はいぃぃ…………………………」

大津市街でスピード違反で捕まり、すっかり落ち込んでいたサワちゃんに声をかけた。

残り点数の少ない彼女は、バイクの燃料タンクに突っ伏したまま、固まっている。

今の彼女をマンガ的に表現すれば、きっと背景には無数の縦線が引かれて、『ズーン』とかいった描き文字が加えられることだろう。

「いつまでクヨクヨしてんの? 今さら悔やんでも仕方ないでしょ?」

「だ、だぁって、せんせ〜。私ってば、もう少しで免停になっちゃうんですよぉ!」

サワちゃんは情けない顔で言った。

彼女は私の中学生時代の親友、沢田明子の妹であり、彼女の紹介で私のアシスタントになった、甘い物好きでちょっと天然な、25歳の女の子である。

「もう違反をしなきゃいいじゃない」

「ブーッ!!」

肩をすくめて言う私に、彼女はまるで駄々っ子のように、不服そうに頬を膨らませた。

そこで、遅い朝食をとった喫茶店で、特大のパフェをおごってあげると、彼女はたちまち機嫌をなおして、

「先生、後でお土産の生八つ橋も、食べていいですかぁ?」

などと言ってくる始末だった。

食べ物でコントロールできるのだから、何とも扱いやすい娘である。

その後、私達は近江八幡から県道25号線へ、さざなみ街道で彦根に向かった。

まだ春先とあってか、湖から吹く風は、思いの外に冷たかった。


 私は風景写真の撮影のための移動手段には、いつもバイクを使っている。

電車では撮影機材を運ぶのに不便だし、車だと、ちょっとした撮影ベストポイントも発見しずらい。見つけても、駐車に手間取ってしまって、結局撮影できなかった苦い思い出があるので、滅多に使わなかった。

通る道も主に一般道が多い。

高速道路のような、殺風景で面白みのない道は、よほど急ぐときしか使おうとも思わない。

大阪でバイパスを通らなかったのも、そのためだ。

そんな私だから、外での撮影にはサワちゃんのようなアシスタントは大助かりだ。

バイクと地方の甘い菓子が大好きな彼女は、私の所に来る前、全国の甘いもの喰いまくりツーリングで、日本一周をした強者である。

そのため、地方での撮影にはいつも彼女を連れて行くようにしていた。


 湖面を紅く染めて沈む夕日を、私は旅館の部屋の窓に腰かけ眺めていた。

私が定宿とするこの宿屋からは、眼前の琵琶湖をかなり広い範囲で見渡すことができるのだ。

いつものことながら、沖の竹生島を見ていると、不思議と心が和むのは何故だろう?

広い湖の中に、ポツンと寂しく浮いたような存在が、何かと孤独な私自身と重なって見えるのかもしれない。

(孤独………………私が………?)

今の私には、サワちゃんやハルちゃん達がいるではないか?

何を昔のことを、いまだに気にしている?

そんな自分を否定しようと、私は首を振ってごまかした。


 風呂から上がり、浴衣に着替えて、頬にはりつく濡れた髪を気にしながら、似合わない眼鏡の位置をなおし、自販機で買った缶コーヒーを一気に呷って一息ついた。

部屋に戻って、これまた売店で買ったスルメをタバコのように口にくわえて、ボケ〜ッと琵琶湖を眺めていると、妙に落ち着いた気分になるのは、歳のせいかもしれない。

中年の独身女1人。今までやりたいことをやり、自由気まま、好きなように生きてきた。

人のいい故郷の父は、そんな私を気遣いながらも、『早く嫁に行け』と言うが、今さら何を気にしても仕方ないし、興味もない。

婚期を逃したという自覚もなかった。

そもそも、私は自分でも美人な方だとは思わないし、色気も無ければ、男運も無い。

結婚だの何だの、そういった話しは、まるで遥か宇宙の彼方の話しのように思える。

世間はこんな女を、昔は「負け犬」とか言っていたようだが、私自身、何に負けたのか分からないし、これからもこの生き方を変えようとも思わない。

今の人生を、私は最高の楽しんでいるのだ。

「絞り8でいいか。なら、シャッタースピードは、とぉ……………………」

私の傍らには、湖に向けて三脚で固定された愛用の中判カメラが、いつでもベストショットが撮れるようにセットしてある。

被写体を、獲物を見つめる獣のように狙う。この一瞬ほど、生きていると実感できるときがあるだろうか?

だが、

「…………………ダメだわ」

画として悪くはないが、夕日にかかる雲の形が気にくわなかった。

さらに欲を言えば、夕日をバックに水鳥でも飛んでいてくれれば完璧なのだが、あいにくあたりには雀1匹見当たらない。

私にとってここは、幾つかあるお気に入りの撮影スポットなだけに、納得いかない写真など撮る気にはなれなかった。

数年前に初めてここに来たとき、最高の構図で撮れそうだったのに、そんなときに限って運悪くカメラが故障して撮影できなかったという、苦い思い出がある。

それ以来私は、あの景色を、あの美しい夕日を、いつか必ずや撮影するぞと、この近くに来る度に、ずっとチャンスを狙っていたのだ。

だが、いまだにその機会は訪れてはいない。

私は空を見つめてため息をついた。

夕日はすでに沈み、空もすっかり暗くなってしまっている。

「今回も何も撮れないかもしれない………」

まあ、他の撮影のときでも、こんなことはよくあるものだ。

出版社の人からも、よく痺れを切らせて『別にちょっと位、いいじゃないですか?』、などと言われたりもするが、私にもプロとして写真に対するプライドはある。

私は無駄弾は撃たない主義なのだ。

だから納得がいくまでは、決して引金シャッターを押したりはしない。そのため1枚撮影するのに、何時間も何日もかかるのはざらだった。

朝日をバックに美しい富士山を撮るために、河口湖近くにテントを張って1週間もねばったり、快晴の空に青い海を撮りたくて、島であるために、年間で数日しか快晴の日がない沖縄で、半月も空を睨み続けたりもした。

ただのスナップでも、簡単にはシャッターを押したりはしない。

何枚かを適当に撮って、後からセレクトすればいいじゃないか、と言う人もいるだろう。

今ならデジタルカメラを使った、そういうやり方もあるし、私も時々やる。

事実、そうするプロも多くいる。

だが、風景写真がメインの私にとっては、高画質な中判のブロニーフィルムか、4×5サイズの大判カメラの撮影が主なので、そういった贅沢な撮り方は、あまりしたくはない。

「やれやれ、仕方ないわね…………」

窓枠に頬杖を突いて、もう一度、深くため息をついた。今の私は、きっと死人のような顔をしているのだろうな。

知らない人が見たら、それこそ失恋でもした中年女が1人、寂しく傷心旅行に来たのだろうと勘違いしたかもしれない。

まあ、別にどうでもいいことだが。

「ホント、何してんだろ、私は?」

今にして思えば、私はどうしてこんな人生を選んでしまったのだろう?

いや、そんなことは分かっていた。

全てはあの日から始まったのだ。

20年前、中学を卒業した私は、故郷である熊本県東部、阿蘇近くの片田舎にある実家から、逃げるように東京にやって来た。

別に、東京に憧れていたわけではない。

そのときの所持金で、一番遠くまで行けたのが、たまたま東京だっただけだ。

行くあてもなければ、頼れる相手もいない。

ただ、実家にいるのが何より辛かった。

だから私は逃げて来たのだ。

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