イーリス興亡記

久遠マリ

本書の刊行にあたって

端書


 どうにも、歴史書という体裁をあまり理解せぬまま、この文筆という仕事に手を付けようとしてしまっているのは、個人としても、世間の間で流布する我が名に対しても、些か軽率であったのではないかと猛省している最中である。しかし、私にこの話を持ってきた碧森堂のレファンティアング編集部所属である担当氏――頼むから名は出してくれるなと仰せであった、奥付に名が載るのにこの人は何を言っているのだろうと思ったが――曰く、体裁など気にせずともよい、他ならぬ私の言葉であることが重要だ、人々に今尚語り継がれている私の不名誉な渾名を払拭するには丁度良いではないか、ということだ。断っておくが、私個人は先に述べられたものについては何も不名誉とも渾名とも形容したい意志はないし、寧ろ“厄災運び”というそれについては興味深いとすら思っているのだ。

 第一紀の折より、このバルキーズ大陸及びサントレキア小大陸、フライアスヘヴン群島において、私自身の存在が“厄災運び”と言われる所以は理解している。確かに、私はこの数千年間、バルキーズ大陸において発生してきた幾つもの文明や文化を見守り、様々な種族の人々が紡ぐ歴史の、数多ある転換点を幾度となく目にしてきた。その転換点の中には、セルナイエス・フィルネアという私の名を堂々と出して積極的に関わったものさえ存在する。故に、私の話を聴く為にエルフィネレリアを訪れる者は後を絶たないし、私を国に招いて意見を取り入れようとする者のおかげで、一所に留まることは早々なく、気付けば旅のイェーリュフと相成っていた次第である。

 私自身の存在、ひいてはエルフィネレリアという国の存在は、彼らが自らの見解などを一切挟み込まず事実をありのまま伝えていく為の抑制力となっているので、真なる歴史を偽ることは、私が生きている限り、エルフィネレリアという国がある限りは不可能であると言えるだろう。尤も、それ故に何度も命を狙われはしたが、竜の理の下に生きる人々と違って、現在エルフィネレリアという国家を形成している者達は全ての源である星と海の力を我が母であるイェーリュフラの実行した秘儀から授かっているが故に、私を消すことは出来なかったようだ。おかげで何度も命拾いをした、というのは余談ではあるが。

 故に、私が自らペンを取って書くなどという行為をする日など来ないものだと考えていた次第ではあるが、先の担当氏は、今こそ貴方が書く時であり、どんな歴史家も歴史書も、貴方の紡いだ文字に全てを委ねるであろう、と宣うのだ。私は何をそんなに必死な、とは思わなかった。何故なら、長く大陸を旅してきたことによって、物語ること、語り継いでいくこと、受け継いで次世代へ繋いでいくことが大変に重要な意味を持つことを、私は既に知っているからだ。担当氏は更に私に向かって語った、簡単に生まれ、消えていくものが多くなったこの豊かな時代にこそ、貴方の消えぬ命の灯を掲げることが重要なのだ、と。言葉は変なるものではあるが、やがて私が命尽きた後でもそれを読み解くことの出来る者は必ず現れるであろう、と。担当氏については些か夢想家のきらいもあるのではないかと思えるのだが、今回ばかりは私もその希望に身を任せてみることにした。


 今回これを寄稿するにあたって全面的に協力を申し出てくれた碧森堂レファンティアング編集部であるが、碧森堂自体は第一紀という非常に古くから存在する団体であり、大元は彫金師や魔石刻印師の集まる装飾品を取り扱う小さな店舗であった。大陸共通語や、今や古代語と成り果ててしまった術式文字レファンティアングに関する書籍を取り扱うようになったのは、第一紀末に碧森堂初代刻印師長として今でもエルフィネレリアの大図書館に名と著作が残っているフィニエンス・クエルド氏の意向によるものであり、当時は書籍そのものも魔石刻印や彫金などの技術に関する出版物が中心であったが、次第に様々な種別の書籍を扱うようになった。現在――私達の身があるエルフィネレリアの歴史家クレイオス氏は新たなる大陸文明の黎明期を迎えた今を第四紀と名付けている――においては、出版業を主として取り扱っているとのことである。だが、碧森堂初代店主にして刻印師、彫金師であったエレオノーラ・ペレウス氏の存在なくしては今こうして私が正史を紡ぐこともなかったであろう。私自身も実際に対面して触れたことのある第一紀末の時代に生きたその人々に対する感謝の意を、ここに表しておく。


 さて、記念すべき私の最初の著作については、第一紀と第二紀において一固有種とみなされたラライーナという特異な種族の祖であり、私の唯一の妻でもあったアミリア・シルダ・レフィエール氏と、彼女の生きた時代や彼女と関わりのあった人物について、彼女の誕生からの半生を、時間の経過に沿って記すことにした。とある民族を例に挙げて一固有種と断じることの可能不可能はそれそのものが未だに議論の尽きぬ議題ではあるが、本書においてはこれを問題視しない。ラライーナという種族については、黒髪、赤の混じった褐色の目、という外見的特徴、大陸の他の人型種族には習得不可能な独自の言語を用いて竜族と意思疎通を図ることが可能である、という能力的特徴を兼ね備えていることが、明らかに一固有種として彼らである条件なので、議論の余地はないと私は断言しておく。

 第一章ではラライーナという種族の成り立ちについて、現存する詩や伝承、私の見てきたものを実際に挙げて述べていく。第二章は、ラライーナの定住していたイーリスという都市国家と、シルディアナの関係性について述べる。我が妻アミリア・シルダ・レフィエールの項は第三章を予定しており、一体これは何の本だとあらゆる方面からお叱りを受けそうな構成ではあるが、分量については第三章が最も多く、また、物語調として記しておくつもりであるので、おそらく飽きない筈であろうと思われる。

 読者諸氏におかれましては、物語的観点から第三章を楽しんで頂きたいと私は考えている。歴史的観点から見ると、アミリア・シルダ・レフィエールにおいては、他ならぬ私と婚姻を結ぶまでの人生二十年間のその間に、イーリスとシルディアナという名の二国の滅びと再興を確認することが可能だ。とりわけ、彼女が十六歳から二十歳までは特に重要な四年間である。本書では、錆付いた鍵を取り払って、封印した彼女の記憶を呼び覚まし、ここでは語ることのない共に歩いた愛しい道のことを想いながら、その二十年間に注目するという形で当時何が起こったかを振り返っていくことにする。

 尚、本書において時折有名な歴史家の著述を否定する文言が飛び出すかもしれないが、どうか御容赦頂きたい。一つ確かなことは、彼らはもうこの世にはいないが、私は決して忘れることのない全ての記憶を持ってまだここに一生命として存在しているということである。

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