第37話)パタヤクレイジー・ラブアフェア

「あなたはSかMのどっち?」。そんな質問を投げかけられたら、あなたなら何と答えるだろうか。


サディストかマゾヒストか。ふと自分の性的嗜好なるものに思いを馳せてみる。ふーむ、自分ではSっ気があるように感じるが、Mのような気もする。いやいや自分はいたってノーマルだ。相手に肉体的・精神的な苦痛を与えることに喜び(快感)を感じるタイプなのか、それとも苦痛を与えられることに喜びを感じるタイプなのか。それは性癖だけでなく、その人の性格(気質)そのものといっていいのかもしれない。人間の人となりというものは日常の生活だけに留まらず、遊びや趣味、恋愛、はたまた人生観まで様々な場面で形となって顕れる。


九州男児のガンコ親父から生まれた僕は(酒には弱いが)女は一歩下がって男をたてる控えめなほうがいい…とでもいうのか、付き合って結婚するならそんな女性が理想である。日本男児なら武士のように気高く勇ましく浪漫を追い求めて情熱的に生きていきたいし、女には黙ってそれを受け止め、どんな困難があろうとも侍の嫁のように覚悟を決めて愛情深く支えて欲しい。そんな願望が少なからずある。いや、それはロマンティック志向な男たちの夢でもあろう。


その典型的とまでは言わないが、頑固一徹な昔堅気のサラリーマン親父とお見合い結婚した母親との間に生まれ育った僕は、まさに亭主関白を地でいくような父親とそれを支える母親を見て九州人らしい家庭だと感じていた。それは学生時代に上京し、いろんな県民の人達と知り合い付き合うようになってから特に感じるようになったことだ。そして、自己分析してみると、どうやら僕も親父に似て頑固な性格だなと自分で感じることが多々ある。そう考えれば、やはり頑固者の血を受け継いだ僕はどちらかと言うとS(サド)なのかもしれないと思うわけである。


とはいえ、自分の人生を振り返ってみると、思春期を過ぎた辺りから、一人暮らしを始めて自由を手にした辺りから、M(マゾ)気質な僕が顔を覗かせ始める。とりわけギャンブルに話を向ければ容易に説明がつく。学生時代にパチンコやスロットなる賭け事にずっぽりハマッてしまった僕は、一つの機種(台)に突っ込んでしまうタチ(気質)である。各々の台の好不調の波を読んでは賢く立ち回る人、誰かが深く嵌らせ大金を注ぎ込んだ後を狙うハイエナのようにちょこまかと移動を繰り返す輩、パチスロにも色々な打ち手がいる。


それはその人の性格をよく表わしている。僕は一つの台に一度座ってしまうと、すぐに愛着を覚え、その上ハイエナされるのが大嫌いなので、同じ台をずっと打ち続けてしまう。大当たりするまで連チャンするまで、その台一つに情念を注ぎ込み、玉(コイン)を吐き出すまで育てるように遊戯してしまうのが常である。そのせいか大勝ちするか大負けするか振り幅の波が激しい賭けになってしまう。まさにギャンブル依存症といっても加減ではないほどである。


しかし、極端なほうが僕にとってはどうやら心地がいいのである。一日に20万円以上突っ込んだ時もあった。そんな大敗の夜は人生が終わった…ぐらいにずっしり落ち込むことになるが、「ちくしょう!明日また朝一から出張って負け分を全部取り戻してやる!」と再び同じ台にリベンジを誓うような性格なのである。そして、負けた自分を一歩引いた目線でクールに見つめて小馬鹿に笑う自分もいる。崖っぷちに追い詰められた自分を他人事のように捉え、ある種の高揚感を感じてしまう自分も確かにいるのである。それはまったくもってM(マゾ)な気質である。


「車を次々乗り換える男は女もすぐに乗り換える」なんて例え話があるが、僕は女性に関しても頑固に一途なほうだと思う。(とはいえ熱しやすく冷めやすいタチでもあるが…) SだけどMでもある。結局どちらの性質も持ち併せているのだろうが、とりわけ危険な道を選んでしまう感がある。刹那的とでもいうのか、破滅志向とでもいうのか、どうにもマゾヒスティックな選択をしてしまうきらいが僕にはある。


おそらく、それは振り幅が大きい方が心に深く刻まれるからで、その体験もいつか思い出として変換されるからなのであろう。その時は醜く傷ついたとしても、痛みはやがて時間の経過と共に消えうせ、残るのは思い出だけだ。辛ければ辛いほど大きな思い出となる。だからなのか、結局死んだらジ・エンドだと思っているからなのか、苦境に陥っている自分にシニカルな陶酔感を覚えてしまう自分も僕の中には確かに存在しているのである。


その性質は人生を左右するような時に特に顕著になって姿を現した。それに感情を大きく揺さぶる恋愛においてもそうであった。そんな僕の気質を情熱的に生きるタイ人女性は大きく刺激した。初めて恋に落ちたタイ人女性ジョイの時もそうだった。そして、僕はまた反省することなく同じような境遇のタイ人女性エルに心を奪われてしまった。タイ移住に際して同棲する恋人のような関係になってしまったエルとの恋仲は穏やかに始まったけれども、ある時期を境に急激に方向転換し、ずぶずぶと破滅的な泥沼の道を自ら進んで歩んでいるようでもあった。


エルと欧米人の彼氏(常客)との関係に、日々ジェラシーを感じながらも一応の理解を示した僕は、結局、目の前にある欲望を貪るようにエルとの付き合いを続けていた。二人の間ではさしてケンカじみた言い争いもなく、現実を受け入れた(ある意味)砕けたような関係性へと二人の仲は変化していた。「どうか平穏な日がこの先も続きますように…」と僕は祈るような気持ちで彼女との時を過ごした。


エルはカラオケが大好きな子だった。自分の歌声に少なからず自信を持っているのか、リュウさんやニックとの飲みの誘いにはあまり応じなかったが、自ら進んでカラオケの置いてある店に足を向けるような子だった。ゲームセンター等で見かけるチープなカラオケボックスに、行きつけのカラオケクラブ、食堂の片隅に設置されているカラオケマシンまで、歌える機会があればエルは喜んでマイクを握った。


よく通ったのがサードロード沿いに点在する現地人たちが集うような深夜営業の店だった。木や竹などで簡素に作られた小屋みたいな店、ちょっとしたプレハブ小屋のようなカラオケ専門店、穏やかな南国の空気を満喫できるアウトサイドテラス形式の屋外店など、色々なタイプの店があった。僕は夜風に吹かれながら飲める開放的なレストランバーが好きだったが、エルはオカマのボスが経営するピンク一色のカラオケクラブが特にお気に入りの様子だった。たいていどこでも周りのタイ人みたいに安いウイスキーボトルを入れてダラダラ飲むのがお決まりだった。


普段しゃべる時はカラカラとした少し高い声質のエルだったが、その歌声は優しく耳障りの良い癒されるような美声で、僕は彼女の歌声を聴くのが大好きだった。初めて歌が上手いと感じたタイ人女性がエルだった。エルは当時流行っていたパーミー(Palmy)の曲がお気に入りで、十八番はパーン・タナポーン(Parn Thanaporn)の定番ソングだった。リュウさんは国民的スターのバード(Bird Thongchai)や、ロック歌手のローソー(LOSO)、クラッシュ(CLASH)といった男性ミュージシャンの流行歌を数曲ほど覚えており、少し渋みのある声色でタイ語の曲を見事に歌いこなしていた。


僕はそれを羨ましく思い、すぐにタイポップソングのCD集(タイ語の歌詞が英語字幕で表記されているVer.)を購入した。自分が歌える曲を見つけるように聴き入っては、初めてタイの音楽に興味を持つようになった。時折バービアで流れる流行の曲に耳を傾けては、エルに歌手の名前や歌のタイトル・内容などを訊ね、彼女にカラオケで歌ってもらった。


二人の関係は再び穏やかなひと時を取り戻し、甘い生活はのんびり緩やかに流れているように思われた。


しかし、突如として、時という魔物は、僕らに(いや厳密に言えば僕に)巨大な闇を運んできた。


その前兆は初め些細なものだった。


「エル、最近ちょっと太ったんじゃない?」


幸せ太りなのか、スレンダーな体躯のエルの顔立ちや身体の肉付きが少しよくなり、幾分ふっくらしたように感じるようになった僕は、食後などに彼女のお腹を指差して「プンプイ(太っちょ)~!」と冗談交じりにからかうことが多くなった。「マイペンラ~イ(大丈夫)!」とエルはぷっくら頬を膨らませてそれに答える。しかし、そんな冗談もいつしか違和感へと変わっていった。


微妙ではあるが、お腹から腰周りにかけて、そしてお尻と細身だった身体についたお肉が目立つようになってきたのだ。そのうちエルは1サイズ大きめのジーンズやゆったりしたTシャツ等を新たに買ってきて、古い衣服はあまり着用しなくなってしまった。僕はそんなエルを微笑ましく見ていたが、いつしか、お腹周りがどうにも気になるようになった。その違和感をはっきりと気にするようになったのは、ニックとリュウさんに指摘されるように言われた頃からだった。


「ヒロ、お前の彼女、なんだか最近太ったなー。子供でもできたんじゃないのか?」


ニックに言われて僕はドキリとした。リュウさんが追随するように口を開く。


「そうだよねー、俺も何かおかしいと感じてたんだよ」


「いえいえ、彼女、最近よく食べるんですよね。だからプンプイって言って突っ込んでるんですが…」


「いや、これは食べすぎで太った感じじゃないな。俺には子供がいるから何となく分かるんだよ」


ニックは同席していたエルの身体をまじまじと観察するように眺めながら僕に告げた。それに同調するようにリュウさんが自らの体験を語る。


「俺も昔、何人か女をはらませたことがあるから、だいたい分かるんだけどさ。もしかしたら本当に妊娠してるかもよ。まあ、妊娠してたらツワリが来るからね。最近、彼女、体調が悪いとか、トイレで吐いたとかない?」


「いや、それはないですけど。でも、実は僕もちょっと違和感は感じていたところなんですよ。それに、あんまりこういうことは言いたくないんですけど、ちょっと最近、彼女の体臭を感じるようになったというか。なんか酸っぱい匂いというか、例えるならワキガみたいなツーンと鼻をつく匂いを少し感じるというか…」


エルを前にそこまでプライベートな詳細を話すのは少し気が引けたが、僕は相談がてら正直に話した。


「ああ、それはやっぱり怪しいかもなー。妊娠すると女性はホルモンのバランスが崩れて、体臭がきつくなるんだよねー」


「えっ、、そうなんですか……!?」


リュウさんがその違和感をニックにも説明するように英語で言い直すと、ニックはリュウさんに同調するように頷いた。僕はどっと冷汗をかきながらエルに目を向ける。僕らが話していた会話の内容をある程度理解したのか、エルは「ノーベイビー!アイ、オンリー、プンプイー」と手を振り、妊娠説を否定するように苦笑いで答えた。まさかそんなことはないだろうと、僕はエルとの夜の営みに思いを走らせ、不安な気持ちが芽生えつつも、頭の中から違和感を振り払うばかりだった。


しかし、その違和感は日を追うごとに現実となって結実するように顕著になっていった。どうにもエルの体臭が益々ひどくなり、エル自身もそれを気にしているのか、彼女は消臭スプレーを購入し、香水を一段と強く振りかけるようになった。僕は本当にワキガになってしまったのではないかと心配し、エルに病院に行こうかと勧めたが、彼女はマイペンライ(大丈夫)とごまかすだけだった。そのうちエルのお腹はまんまるポコンと前方に突き出すまでに変化した。それでもエルは「プンプイになってゴメンね…」と苦々しい表情ではにかむだけだった。


そういえば最近、エルは益々食欲が旺盛なような気がするし、一緒に飲みに出てもお酒を飲んでいないんじゃないか。もし本当に妊娠していたら僕はどう対処すればいいんだろうか。ヤバイことになってきた。僕の不安な想いは大きく膨れ上がっていく一方だった。


それから、ほどなくした時だった。


エルの常客の存在をすっかり許しきっていた僕は、彼女が頻繁に利用している旅行代理店でメールチェックしている際に、それを覗き見ようとする機会がしばしば増えていた。その度にエルは決してそれを見せまいと、僕を店外へと追い出すことになるのだが、二人の関係が更に親密に(とはいえ)緩い関係になってくるにつれて、エルの脇は甘くなり隙を見せるようになった。


ある日、エルとの「メールを見たい・見せないゲーム」に勝利した僕は、とうとう彼女が常客とやり取りしているメール画面をちらりと盗み見ることが出来た。スタッフが代筆したと思われる英語の文面は、パソコン画面の半分以上を覆うほどびっしりと書き込まれていた。エルに怒られるように追い払われるまで、その時間、およそ10秒にも満たない数秒たらず。それはおそらく欧米人男からエルに送られてきたメッセージに違いなかった。当然そんな短時間で全ての内容を理解するなど出来るはずはなかったが、ざっと覗き見た文章の中に僕は確かな違和感を感じた。


それは「Baby」という言葉だった。


メッセージの所々で「Baby」という英単語が浮かび上がるように、強烈に僕の目の中に飛び込んできた。それに「My Baby」という言葉さえ目にしたような気がする。とたんに僕の心臓はドクドクと速い心拍数を刻み、激しく波打ち始めた。稲妻に打たれたように胸に突き刺さる衝撃、もはや抑えることなど出来ない衝動。僕は言いようもない嫉妬混じりの不安な想いをエルに正直に投げかけた。


「ベイビーって書いてあったよ…。やっぱりエルには子供ができたの?それとも、すでに子供がいるの?」


「マイ・チャーイ(違うわよ)、子供じゃなくて、彼は私のことをハニーとかダーリンみたいにベイビーって呼んでいるのよ…」


「いや、でも確かにマイ・ベイビーという言葉もあったんだ…」


「それも同じことよ…。ホントにゴメンナサイ、メールを見せちゃって…」


それでもエルは幾分顔を引きつらせつつ、笑って話を終わらせるだけだった。


僕が感じた前兆や違和感はすでに心のど真ん中にしっかりと居座るようになった。


そして、二人の関係は終着点を見せぬまま、更に深い闇へと引きずり込まれていくのだった。

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