第30話)人生を賭けてイチかバチか!?

「テンキュー・ミスター、シーユー・ネクット・タァーム、バイバーイ!」


定宿のオーナーであるビッグママが、訛った英語と満面の微笑みで常連らしき髭面の欧米人オジサンを送り出している。大きなスーツケースを引きながら外へと出てきたオジサンは、数分前から宿前に待機していたタクシーの運転手に荷物を渡した。


どこかのバーで働く売春婦なのだろうか、隣にはボストンバッグを手にしたタイ人の中年女性が甲斐甲斐しく世話を焼いている。幾らか感傷的な表情を見せるオジサンは、手入れの行き届いた立派な口ひげを女性の顔に近づけ、何やら別れの言葉を交わしている。すぐに二人は熱い抱擁と濃厚なキスを繰り返した。南国の烈しい午後の陽光が二人に降り注ぎ、別れのひと時はスポットライトに照らされているかのようだ。


定宿の軒先にあるちょっとした憩いのスペースで、缶コーヒーを飲みながらタバコを燻らせていた僕は、その様子をぼんやり眺める。軒先にたった一つしかない石造りの簡素なテーブル席は、いつもそのオジサンが陣取るように居座り、昼間からビールを飲み大量の空瓶をテーブルに並べていた彼の特等席のようでもあった。その憩いの場もいつしか空きが目立つようになり、定宿にたむろしていた欧米人たちも、気づくと一人、また一人と姿を見かけなくなった。


年末年始と続いていたパタヤの喧騒は幾らか落ち着きを取り戻し、繁忙期であるハイシーズンはようやく終わりの様相を告げ始めていた。


タイ東部に位置するパタヤはバンコクから車で約2時間程と手軽に足を運べるビーチリゾートであるせいか、シーズン問わず多くの旅行者たちで賑わいを見せる。特にまとまった長期休暇を取ってタイを訪れる欧米人たちは11月頃~年末年始まで数ヶ月に渡りのんびり常夏の楽園で羽を伸ばす。それから2月頃までが大体ハイシーズンと呼ばれているようだ。そんな旅行者たちの姿を横目に、全く先行きの見えない僕は相変わらず自堕落なパタヤ生活を続けていた。


ベトナム戦争以降、性産業を主に栄えてきたようなパタヤの街には、欧米人ばかりが大手を振って行き交うといった雰囲気が漂っていた。その他の地域で見かけるバックパッカーではなく、のんびり南国リゾートでの余暇を過ごすような人種や夜遊び目的の野郎どもといった感じだ。旅行者だけでなく長期滞在者の数も多いが、目の前に広がるのは欧米系の老齢者たちで形成された光景ばかりだった。アジア系はほとんどおらず日本人の姿もあまり見かけない。そんな空間で当時27歳と若者であった僕は自分でも認識できるほどに目立ち、周りから浮いている異色の存在のようでもあった。


パタヤでの移住生活を始めてから、僕はリュウさんから教えてもらったソイブアカオのクッキーバーに毎晩のように足を延ばすようになった。それは当然現地の情報やタイ事情を知りたいという理由があるからでもあった。いつから、どういう経緯でこの店が選ばれたのかは知らないが、20軒近くあるバービア集合群の中でクッキーバーにはパタヤに長期滞在している日本人たちが夜な夜な集っていた。年齢層は僕の一回りも二回りも年上のおじさんたちばかりである。


教職員を早期退職してタイ移住を始めたという元バックパッカー上がりのベテラン長期滞在者。大きな持病を抱え医者に勧められて身体に負担の少ない温暖なタイへと移住してきたという年配者。現地に住む日本人相手にゴルフのレッスンプロで生計を立てているというミドルエイジ。定年退職後、技術指導を乞われて度々タイに足を運んでいるという熟年設計者。無類のギャンブル好きでタイを行き来する際は必ずカンボジアのカジノで一勝負するというサラリーマン風のおじさん。


夜遊び兼ねて頻繁にタイを訪れている人、日本に家庭がありながら移住してきた人、タイ人女性と国際結婚した妻帯者、日本に所有している不動産の家賃収入で優雅に暮らしている人、そしてリタイア後の年金生活者など、それぞれの人にそれぞれの物語があるようだった。そんな様々な種の日本人がクッキーバーに集い、現地情報を交換するように語り合い、夜な夜な酒を酌み交わす。


それは日本から遠く離れた南国の地タイのパタヤという街にできあがった日本人だけの寄り合いであり、小さな村社会のようでもあった。日本で仕事を辞め、ふらふらと移住を始めた年齢的にもかなり年下の僕は、彼らにとっては異端な存在であり、仲間入りをしようにも僕はどうやらここでもアウトサイダーといった空気が漂っていた。


ある晩、リュウさんとの待ち合わせで早めにクッキーバーに足を運び、カウンター席で安酒を飲みながら、バーの女性たちと戯れていた僕に、一人のおじさんが声をかけてきた。それまで話したことはなかったが、彼はタイ人妻がいるリタイア組の一人だった。資産家で今は不動産投資や株などで儲けている人だと誰かに聞いたことがある。白髪混じりで細面の風貌からして年の頃は70歳前後といった感じだが、小奇麗な身なりやその佇まいからも悠々自適に南国でのリタイア生活を満喫しているといった雰囲気だ。


僕に自慢げに話しかけてきた内容は株の話だった。何でも一日に数百~数千万円単位の金を動かしているという。毎日数十万円の利益があるとか、タイ株式だとこれからセメント系が良さそうだとか僕には全く無縁の世界である。「はぁー」とか「へぇー」とか「すごいですねぇー」と興味のない僕は適当に相槌を打つ。


すると、おじさんは「ここ最近は数百万レベルの損失が続いているんだよ…」と口惜しそうに語り、その愚痴を僕に聞いて欲しいようだった。それでも面倒くさいオッサンだなぁと曖昧な返答を続けていると、僕の態度に気を悪くしてしまったのか、その苛立ちの矛先が僕へと向けられるように会話の内容が突如として変化した。


「ところで君は、そんなに若くして一体タイで何をやってるんだ?前々からこのバーで君を見かけて少し気にはなっていたんだけどね」


「は、はい。実は昨年ですが日本で働いていた会社を辞めてしまって。それでタイに来て、パタヤで知り合った長期滞在者のリュウさんってご存知ですか?彼とこっちで何か商売をしようと話しているんですが…」


「はぁー、なんだい、そりゃ。そんな簡単に上手くいくはずがないだろう。タイでビジネスしている人は私も何人か知ってるけど、皆、日本でも成功するような、ひとかどの人物ばかりだよ。異国での商売はそんなに甘い世界ではないよ。それでいったい何をやろうとしてるの?」


「いや、先ずはこっちに住んで、色々見ながら何ができるかを考えていこうかと…」


「はぁー、全くこれだからなぁ、若いもんは。資金に余裕もない、拙い理想だけでうまくいくほど海外は甘くないんだよ。だいたいねぇ、タイという国は観光産業で成り立っているような国だから、若いうちは仕事して金を貯めてね、老後になってようやくその貯蓄で長期滞在するような国なんだよ」


「はい、それは分かってます。でも観光業が盛んだということは、その手の商売をやればいけるかもしれませんし…」


「そんな君が考えつくようなアイデアは、すでに誰かがもうやってるよ。今なら遅くない。悪いことは言わないから、考えを改めて日本に戻ってまた頑張ったほうが賢明だと思うよ。だいたい周りの皆を見てみなさいよ。長年我慢して日本で働いて貯めた資金と年金でこっちで優雅に暮らしている人ばかりだろう。それでタイ人の嫁さんをもらって、家を建ててね。ゴルフでも麻雀でも仲間たちと好きな趣味をやりながらのんびり暮らす。それが一般的なタイでの長期滞在というものなんだよ」


「はい、確かにそういう人ばかりですよね。でも、僕は若さゆえに出来ることもあると思うんです。商売だって体力的にも無理がきく若い時にしか出来ないようなこともあると思いますし。年をとってからタイで暮らすという考えも分かるんですが、僕は今タイに住みたいんですよ。だからそのために何かこっちでやりたいというか。それに老人になってから移住したとして、金に余裕があっても、寄ってくるのはだいたい金に目がくらんだような女ばかりじゃないですか…」


「ほんとに君はあーいえばこーいうだなぁ。全くどーしようもないな。そんなんじゃ絶対うまくいかないよ。まあ、来年には日本に帰っているだろうけどね」


「そうならないように、何とか頑張ります…」


「まぁ、まぁ、二人ともそう熱くならないでくださいよー。ヒロ君も声を荒げて一体どうしたの?」


間に入ってきたのはリュウさんだった。会話に入り込み気づかなかったが、いつの間にか店に来ていたようだ。


「ああ、何でもありません…。生意気な口をきいてしまって、すみませんでした…」


それでおじさんとの会話は終わった。僕は見ず知らずの人に自分の人生観を聞いてもらいたいとか、相談に乗って欲しいなどという気持ちは更々なかった。彼らの生き方に対して意見するような反論的な気持ちも当然なかった。ただ、もどかしい日々を送っていた僕の現状に対して、核心をつくようなおじさんからの説教じみた物言いに思わず反応するように、自分でも気づかぬうちに感情が高ぶってしまったのだった。


「このまま辞めたら、お前の人生はもう終わりだぞ。それでもいいのか?」


それは会社を辞める際に上司に言われた言葉と重なってしまったのかもしれない。適当に話を合わせて、はいはいと調子を合わせて頷いていたほうが可愛げがあるだろうし、気に入られれば何かと世話を焼いてくれたかもしれない。でも、僕は日本を離れてタイに来てまで、日本と同じように年配者に媚びへつらい建前ばかりで生きていくのはもうウンザリだった。それが嫌で日本の社会を捨てたのだ。僕の心の中に渦巻いていたのは自分に正直に生きていきたいという思いだけであった。


日本で仕事を辞めること、そして海外移住すること。それらに対して周りの大人たちのほとんど皆が反対した。それが日本では普通ではない異常なことで、無謀な生き方であることはもちろん自分でも重々承知していた。ただ、僕はそれまでの自分ではない何者かになるためのチャレンジがしたかった。失敗してもいい、貧乏になってもいい、ただ後悔するのだけは嫌だっただけだ。


いつか見返してやる。いつか高々と笑ってやる。稚拙な僕の頭の中に沸々と湧き上がってくるのは怒りのモチベーションだけだった。


「他人は結局、他人だからさ。別に気にしなくてもいいと思うよ。それにここはタイだしね。まあ、とにかく二人で何かやってのし上がっていこうよ。今日は俺が奢るからさー。さあ、パァーッと飲んでオッサンの言ったことは忘れようー」


その晩、リュウさんは初めて自分の生い立ちや、それまで聞いていなかった日本での若かりし頃の思い出を僕に話してくれた。


リュウさんがかつてプロボクサーで、引退を機にアメリカに渡り、その後タイに来てボクシングのプロモーターの仕事を手伝っていたという話は聞いていた。それを僕は物語のような人生だと羨ましくも感じていた。しかし、実際はそんな簡単な話ではなかったようだ。


隠していたのか、言いたくはなかったのか、実はリュウさんは医者の家系に生まれた俗に言うボンボンだった。親族や周りの親戚一同は皆、医療関係の仕事に従事している人ばかりで、リュウさん自身も将来は医者になるべく、幼少時分から勉強ばかりで高校は進学校に通っていたようだ。しかし、当のリュウさんはといえば破天荒でヤンチャな性格だった。そして、両親からの期待に背くように勉学を放棄し、腕っぷしも強かったことからジム通いを始め、すぐにボクシングの世界にのめり込むようになった。


「蝶のように舞い、蜂のように刺す」。当時プロボクサーを目指していた誰もがそうであったようにリュウさんも、モハメド・アリの華麗なボクシングスタイルや世間を騒がせた過激な言動に影響を受け、カシアス・クレイという自分の名前を捨ててイスラム教に改宗し、ベトナム反戦運動にも人生を捧げたアリの生き様などに憧れを抱いていたようだ。


自ら医者への道を閉ざしたリュウさんは大学受験を放棄し、親元を離れて上京すると、都内の大手ジムに所属した。生まれ持った度胸と運動神経を兼ね備えていたことから、その資質を買われて指導を受けると、めきめき実力をつけプロライセンスを取得した。しかし、多くのボクサーがそうであるように、日本王者そして世界チャンピオンへの道のりは果てしなく遠く、並大抵の実力や努力だけで簡単に手にすることなど出来ない。それはほんの一握りの選ばれた者だけにしか与えられない称号である。


それにプロになっただけでは食べてはいけないシビアな世界であり、当然バイトや仕事を掛け持ちしなければならない。年を重ねるごとに身体は不調をきたし衰えを見せ、若さゆえのモチベーションもいつしか現実に打ちのめされてゆく。そして、リュウさんは30歳を機に引退を決意した。半ば勘当同然で飛び出してきた実家の両親とは長年連絡を取っておらず、金銭的な援助を頼むことなど自分のプライドが許さない。だから、ボクサー時代は色々な仕事をしていたという。


「友達たちと金をかき集めてさー、先ずは安い着物を仕入れるんだよ。それで関東圏の地方を車で回ってね、老人ホームみたいな介護施設にスーツ姿で飛び込み営業をかけるんだよ。僕は実家が呉服屋をやっておりまして、今は修行中の身分ですが、こちらが私が仕立てた着物になりまして…なんて言ってね。すると数万円で仕入れた着物を結構な値段で買ってくれたりするんだよ」


「へぇー、そんなことやってたんですね。でも、それってちょっと詐欺っぽくないですか…」


「ははは、まあ、そうだね。でも、もちろん安い粗末な代物じゃダメだから着物の専門的な知識も色々と勉強してさー。だから今でも和物の商売には興味があるんだよね」


「なるほど、何だか逞しい話ですね…」


「あとキャバクラで働いてた時にはさ、上物のネクタイを仕入れてね、それにブランド物のタグを縫いつけるんだよ。それで店の女の子と結託してさー、上客とアフターなんかで外食している時に連絡をもらってね、現場に行くんだよ。で、女の子の客にそのネクタイを売りつけたりしてね。彼女もグルだから協力して客に買うように勧めてくれるわけさ。これも中々の小遣い稼ぎになったもんだよ」


「いやいや、それって本当の詐欺、いや、悪徳商法じゃないですか…」


「まあ、確かにそう言われればそうだけどさ。だから女にうつつを抜かしているような小金を持ったオッサン連中をターゲットにしてたんだよ。俺も若かったからねー、いろいろムチャしたもんだよ。いやー、それにしてもあの頃はバブルでほんとにいい時代だったよ」


「…………(苦笑)」


僕はリュウさんが昔を懐かしみ自慢するように語る思い出話を聞き、呆気に取られるだけだった。当時のリュウさんにとって、ボクシングと両立させるために効率の良い仕事をすることは必要不可欠だったのかもしれないが、それは人を欺き騙している類のものだった。もしかして、僕も彼のうまい口車に乗せられて、タイ移住を決意してしまったのではないか。僕は彼の話を聞き、そんな懸念を抱き始めることになった。


とはいえ彼がもし詐欺師のような人物だったとしても、金もない僕は彼にとって何の得にもならない存在で、ともすれば足手まといにもなる唯の旅行者の成れの果てであった。そんな僕を気にかけ、誘ってくれたリュウさんには感謝の気持ちしかなく、とにかく彼についていき一緒に頑張っていこうと思うばかりであった。


そして、何より僕が気になっていたのはリュウさんが口にするスポンサーという人物についてだった。思い出話に花を咲かせている独白劇ついでに僕はリュウさんに訊ねた。


「よくリュウさんが話しているスポンサーっていうのは一体何者なんですか?」


「うん、実はね、今まで言ってなかったけど、俺の親戚のおじさんなんだよ。ボクサー時代から俺のことを何かと気にかけてくれてさー。医療機器の会社を経営しててね、全国各地に支社があって、数千人規模の社員を抱える大手メーカーなんだよ。それで俺がボクシングを引退した時にうちで働かないかって誘ってくれたんだ。でも俺は自分で何かしてやっていきたいからってその話を断ったんだ。そしたら気に入った!じゃないけど、落ち着くまでは俺が面倒みてやるって言ってくれてね」


「へぇー、そうだったんですか。それってリュウさんの心意気に惚れたって感じなんですかね?」


「まあ、それはよく分からないけどね。だから何かタイでやることが決まれば、幾らか資金は出してくれると思うんだ。でも、結局それって親父のコネみたいなもんだから、簡単にお願いすることなんて出来ないからさ。慎重に色々調査して、これっていうものが出来たら報告しようと思ってるんだ。この前日本に戻った時にヒロ君の話ももちろんしておいたからさ。とにかく早くタイに慣れて、タイ語を覚えてさ、何か一緒にやれればいいと思ってるのは本当だから。だから今はまだ給料は出せないけど、何とか手持ち資金で我慢してね、二人で成り上がっていこうよ」


「分かりました。僕はとにかく節制して、早くタイ語を覚えるように頑張ります…」


それはよく出来たドラマのようなストーリーだった。


タイという異国の地で出会った素性も知らないリュウさんの話は全てが嘘のようでもあり、何が真実でどこまで本当なのか判別することなど全く不可能だった。


ただ僕は自分の直感だけを頼りに彼を信じ、自らを委ねて彼についていくことしかできなかった。


そして、また瞬くうちに一ヶ月という時が過ぎ去り、僕は二度目の失業保険をもらいに日本へと一時帰国することになった。

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