第15話)パタヤランナウェイ
パタヤ滞在三日目、初日の晩に出会ってからずっと我々と行動を共にしている正体不明のタイ人女性二人組は、まだ我々から離れる気配を見せなかった。ほぼ何もしていない僕はもちろん、南国娘アンと男女の関係になっているエビスさんも、彼女にこれといったチップ(金銭)を与えることなく、請求されることもなく、それまでが経過していた。食事代や飲み屋での会計など大体は僕らが支払っていたが、いろいろ彼女たちが出す機会もあった。
「彼女たち、仕事とかないんですかねぇ?」
不思議に思い僕が尋ねると、エビスさんは「うーん、どうですかねー。羽振りのいい常客に仕送りでもしてもらっているかもしれないですねー」と嬉しそうに答えた。すっかりアンのことが気に入ったのか、エビスさんは2週間だった滞在予定を更に1週間延ばした。日本に戻っても特にやることがない僕は当然のようにそれに従った。
のんびりと我々のホテルに居座るタイ人女性二人組は、三日目の午後過ぎ、「ちょっと着替えに帰るから…」と部屋を出ると、1時間と間を空けずに戻ってきた。店で着替えてきたのか、ボブはその辺で買い揃えてきただろう衣服や下着の入った買い物袋を手にぶら下げていた。ボブはその買い物袋の一つを僕にあげるように手渡してきた。中には派手な刺繍が入った男物のジーンズが入っていた。
僕が今回の旅に持ってきていた衣服は、Tシャツ数枚に、ズボンは履き古したグレーのコーデュロイパンツとジーンズの2本のみ。それと以前タイで購入した海パン程度だった。ジーンズは厚手なのでコーデュロイパンツを毎日履いていたのだが、それは土や泥にまみれたカンボジアでもずっと着用していたため、かなりクタクタに薄汚れ、洗濯もしていないので尚更貧相に見えたのだろう。
「そのズボン、彼女にプレゼントしてもらったらしいですねー。彼女、けな気でいい子ですねー」
その日の夜、僕はボブに買ってもらった派手な刺繍入りのジーンズを渋々着用すると、すっかり親密になったコボリ&アンの二人に導かれるように、再びダブルデートの夜へと誘われた。ホテルの前からチャーターしたソンテウに乗り込み、大通り(セカンドロード)を北上する。パタヤの北部エリアまでやってきたのだろうか、大通りから少し入った所にあるバーに連れて行かれた。
そこはエアコンルームも備えたスタイリッシュなバービア(ビアバー)といった感じの店で、ビリヤード台が設置された屋外テラスにはのんびりくつろげそうなソファー席が小奇麗に置かれている。店内のあちこちには風船や色紙で作ったペーパーチェーン(輪飾り)が装飾されており、そこで働く女性たちもいつも以上にお粧ししているような雰囲気である。聞くと、その日は誰かの誕生日パーティーとかで、飯類は無料サービスの食べ放題、ドリンク代だけでOKだという。
我々は喜びハイネケンをお願いすると、チャーハン、タイ風焼そば、フライドポテト、チキン、そしてブタの丸焼きなど、無料の飯に腹を満足させた。それから、ビリヤードの⑧ボールに興じ、いつの間にやら、お酒は再びウイスキーに変わり、のんびりホロ酔い加減でくつろいでいると、「今日はママさんの誕生日パーティーなのよー」と、派手なドレスで着飾った艶のあるタイ人女性を二人に紹介された。
どうやらビッグボスの愛人のような存在らしい。そして、片言の英語で挨拶し、乾杯、しばらく談笑した後、「一緒にカラオケでも歌いましょうー♪日本語の曲もありますよー」と、隣にあるカラオケ店に連れて行かれた。
実はアンとボブの二人はそのカラオケ店で働くカラオケ嬢だという。店内の様子を見ると韓国カラオケクラブのようだった。すると、それまでアンに終始べったりだったエビスさんは急に警戒信号を発し、きっちり料金システム等をタイ語で二人に尋ねると、1~2時間ならOKと許可を出し、冷酷なまでに冷静に場を仕切った。それから、小一時間ほどカラオケに興じると、少し機嫌を損ねたエビスさんを取り繕うように、二人は我々をディスコへと連れ出した。
ナクルアと呼ばれるパタヤ北部エリアにある、スターダイスという名前のディスコで、韓国や香港、台湾のツアー客に人気の店らしい。ステージ上で繰り広げられるカラオケ&ダンスショーを楽しみ、再び深夜まで飲み、踊り、騒ぎ、僕は三日連続グロッキーな夜を過ごす羽目になってしまった。
そして、その日の晩遅くにホテルに戻ると、泥酔の僕は強引な酔いどれボブに襲われるように攻められ、中折れした…。
翌日の昼近く、部屋を訪れたエビスさんとアンの二人に叩き起こされた。エビスさんは朝から不機嫌な様子で、二人の間にも幾分距離ができたような空気が漂っている。アンは室内にいたボブのほうへ歩み寄り、何やら二人でボソボソとタイ語で話し込んでいる。
エビスさんに事情を聞くと、どうやらアンから金の無心をされたようだ。3日間一緒に過ごしたとか、店の連れ出し料や休みがどーとかこーとかで計8,000バーツ頂戴みたいなことを言っているらしい。しかも、その言葉は僕に対しても向けられているようだ。
明らかに気まずく重い空気が室内を占拠する。しばらくすると、エビスさん(と僕)の憤慨するような態度に気を使ったのか、二人は「ちょっとコンビニで飲み物でも買ってくるから待ってて…」といった感じで、一旦、部屋を出て行った。
とたんに、エビスさんが早足でドアまで駆け寄り、覗き窓を見て、廊下の様子を窺う。二人がエレベーターに乗ったかと思われると、廊下へ飛び出し、エレベーターまで走り、行先フロアを確認している。
「本当にコンビニに行ったようですね。多分5分、10分ぐらいで戻ってくるでしょう。さぁ、ヒロ君、面倒なことになる前にとっとと逃げちゃいましょう!」
「えっ、今から?まじっすかーーっ!?」
「そうですよ!さっ、早く準備してください!急いで!!」
僕は寝ぼけた頭のスイッチを何とか切り替え、エビスさんに言われるがまま、下で鉢合わせしたらどうするんだ?それより置いてけぼりをくらったら最悪だ!と様々な感情が駆け巡る中、サラリーマン時代の遅刻しそうな朝以来の早さで荷物をまとめあげ、部屋の扉を蹴って廊下へと飛び出した。
エビスさんと示し合わせるように合流し、階段を駆け下りると、ロビーでは最早知り合いのように顔を覚えられている受付の兄ちゃんが椅子に座り、呑気にテレビを見ていた。
「今からチェックアウトするから急ぎでよろしく!」
「なんだ?明日までじゃなかったのか?さっき、連れのレディーたち、出て行ったぞ?」
「いや、急遽、予定変更になってね。それでお願いなんだが、彼女たちが戻ってきたら、僕らはもうチェックアウトして居なくなったと伝えてくれよ。デポジットで支払っている2部屋分のお金は君がもらってもいいし、もし何か文句を言われたら彼女たちにタクシー代とでも言ってあげてくれ」
「ははーん、お前ら、彼女たちから逃げるのか?」
「実はそうなんだ、ノーグッドでね。頼むよ、OK?」
男はニヤリ微笑み、親指を立てて「グッドラック、ミスター!」と我々を送り出してくれた。
慌しくロビーを駆け抜け、外の様子を窺うと、一気に飛び出し、ホテルから遠ざかるように走り出す。
隣で走るエビスさんは、満面の笑みを浮かべながら、息を切らしている。
背中の向こうから、誰かが叫ぶ声が、わずかだが聞こえてくる。
走りながら後ろを振り返ると、遠くで女たちがバンザイするように飛び跳ね、大きく手を振っていた。
「あれに乗りましょう!」
エビスさんが手を振り、止まった前方のソンテウに飛び乗る。
重いバックパックをようやく下ろし、ぐっしょりかいた大粒の汗を拭う。
「いやー、冷や冷やもんでしたねー」
我々が乗ったソンテウは逃げるようにパタヤの大通りを北上した。
心地よい南国の風を浴びながら、僕は爽快な気分に包まれていた。
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