第9話 私は大丈夫な日ですから是非身一つで私の許に

 戴冠式の作法など俺が知るはずがない。そのことをツチヤさんに告げると、神官様が王冠を差し出すので、そこでひざまずいて頭に被せてもらえばいいということだった。屋外の広い場所で執行するため、その後の口上こうじょうは不要とのことだ。


 また、見物人を含め予定の人員以外は遠くから様子を眺めることになる。そのため俺と亡くなった王子殿下の細かな違いに気付く者はいないだろうとも言っていた。


「ヒコザよ、どうせならそのままタケダの国王になってしまうのも一興いっきょうじゃの」

「よ、よして下さいよ。私に国王が務まるわけないじゃないですか」

「でもご主人さま、そうなればお嬢様も私も妃殿下ひでんかって呼ばれるんですよ。素敵じゃないですか」


 アカネさんが悪ノリを始めた。一介の小市民が王族の真似事なんて出来るとでも思っているのだろうか。


「妃殿下……」

「ちょ、ユキさんまで何キラキラさせてるんですか」

「それならヒコザ、わらわもそなたの嫁にいたせ。無論末席まっせきで構わん。まつりごとは妾に任せておけばよいぞ」


 姫殿下、あなたが言うと冗談に聞こえないのでやめて下さい。それに末席でいいなんて、それだと第五夫人になってしまうじゃないですか。


「私は戴冠式が済んだら帰りますよ。命がいくつあっても足りなそうですし」

「まあそう言うな。ヤシチとやらが父上への伝令を買って出てくれたからな。ガモウ殿辺りが駆けつけてくれるじゃろう」

「それにしてもアヤカ様、敵はこのまま引き下がるでしょうか」

「おそらく第一の目的は達しておるじゃろうからそうあってもらいたいものだが、予定通り戴冠式を行うとなるとヒコザも狙われるかも知れんな」

「そ、そんな! だったら私は戴冠式には……」


 冗談じゃないぞ。もしこれで俺が殺されるようなことにでもなれば、丸っきりとばっちりじゃないか。わけも分からず招待されて、その上命を狙われるなんて不条理もいいところだ。


「一度引き受けたものを今さらなかったことになど出来ぬじゃろ。のう、ツチヤ殿よ」


 姫殿下が表情を変えずにそう言うと、部屋の扉が開いてツチヤさんが入ってきた。いつからそこにいたんですか。そして殿下はいつからそれに気づいていたんですか。


「殿下にはかないませんな」

「王女などというものをやっているとな、人の気配には敏感になるのじゃよ」

「コムロ殿、殿下の仰せの通り戴冠式に出てもらわないわけには参らん。だがそなたらの周囲十五けんのところに護衛を十人はいし、見物人は三十間以内には立ち入れないようにするので心配は無用だ」


 一間は約一・八メートル、十五間なら約二十七メートル、三十間はその倍ということになる。弓矢の射程はおおよそ三十間と言われているし、実際に俺たちを狙おうとすれば見物人たちの外側から射なければならないはずだ。さらに身を隠す場所も必要だろうから、遮蔽物しゃへいぶつのない所からの狙撃は不可能に近いと思う。いくら暗殺者の腕が優れていようとも、この条件下で俺を狙うのはおそらく無理だろう。


「仕方ありませんね。そちらも非常時でしょうし協力は致します。ですが本当に護衛の方はお願いしますよ」

「心得た」


 こうして俺は不本意ながらも、殺されてしまったイチノジョウ殿下の代わりに戴冠式に出ることとなった。嫌な予感しかしないが、ユキさんとアカネさんもいてくれることだし、気楽に構える他はないだろう。


「時にツチヤ殿、妾たちにもっと大きな部屋を用意することは出来ぬかの?」

「大きな……はて、殿下とお付きのお二人にはあの部屋では手狭てぜまでしたか?」

「いや、妾たち三人なら十分なのじゃが、今夜からヒコザとそこの娘二人も寝起きを共にしようと思ってな」

「姫殿下?」

「あ、アヤカ様?」


 俺とユキさんの声が被っていた。一方のアカネさんは何故か小さくガッツポーズをきめている。サナとリツの二人は驚いたように目を見開いて、完全にフリーズ状態に陥ってしまったようだ。


「それはまたご酔狂すいきょうなことと存じますが、分かりました。ご用意致しましょう」

夕餉ゆうげもその部屋でる。六人分……いや、人数分より少し多めに用意いたせ。何せ妾も食べ盛りとてのう」

「あはは。ところでその二人にも殿下たちと同じものを、と仰せですか?」

「無論じゃ。それとも何か不都合でもあるのか?」

「……いえ、かしこまりました。そのように手配り致します」

「うむ、頼んだぞ」


 こちらに深く一礼して、ツチヤさんが部屋を出ていった。六人で食事というのは、サナとリツを心配してのことなのだろう。奴隷どれい身分の彼女たちはまともに食事も与えてもらっていないようだったし。それにしても何も寝起きまで共にすることはないだろうに。女の子五人と同じ部屋で寝るなんて、ある意味拷問みたいなもんだよ。


「ヒコザ、どうしても我慢出来なくなったら妾のところに潜り込んできてもよいぞ」

「な、何を言われるのですか!」


 そして何故心の声が聞こえていたかのようにこのタイミングなんですか。


「アヤカ様、ヒコザ先輩の正室せいしつは私ですからその役目は私のものです」


 ユキさんまでとんでもないことを言い出したぞ。


「ご主人さま、私は大丈夫な日ですから是非身一みひとつで私の許に」


 アカネさん、とっても魅力的なお誘いですけど、これ以上俺を刺激しないで下さい。


 それからしばらくして、お城のメイドさんが俺たちを広い部屋に案内してくれた。

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