鶴召喚用掃き溜め

胆座無人

たとえばこんな彼ら彼女ら

ショートストーリー『未確定の愛情』



 宝井慧華、十七歳。高校二年生、科学部部長。『制服のデザインが気に入らない』との理由で、常に白衣を着ている女生徒。

 そんな横暴が許されるのも、ひとえに彼女の才能ゆえん。

『この学校始まって以来の天才』という二つ名をほしいままにする才女、それが宝井慧華である。


「たまに自分で自分の才能が恐ろしくなるんだけど、我ながら今回は特にやばいね。メンインブラックの世界がすぐそこだよ」

「……またなんか”発明”したんすか?」

「うん。日常生活からCIAのスパイ活動まで、何にでも応用可能な超アイテム!」

「ああ……。昨日一昨日って部活休みだったの、それ作ってたからだったんすね……」


 ショートカットに切り揃えられた黒い髪は、どうにも色素が薄いためかじっと見ていると灰色っぽく見える。

『実験のときに邪魔だから』という理由で短く保ってはいるが、一方で『ショートって相当かわいくないと似合わないからね』と自分で言っていたりもする、趣味と実益と自尊心のすべてを満たす万能の髪型。

 そういう由来を持つ灰色のショートがさらさら揺れるのを眺めながら、

 ヒラの科学部員こと吉川くんは、今日も今日とて己の”発明”を得意げに語る慧華ちゃんにタイミング良く相槌を打っている。


『大して活動してなさそうな部活に籍だけ置くだけ置いとこー』と気軽に選んだ科学部が、なんと天才の研究所。

 奇人と紙一重の天才である慧華ちゃんにはなかなか人が寄り付かず、しかし発明家の慧華ちゃんは自分の発明がいかに素晴らしいか言い聞かせる相手をとにかく常に欲しがっており、

 結果、吉川くんは幽霊部員になることを許されず捕まった。そういう経緯である。


 そんなわけで、ここは科学部部室。

 子供みたいに目をキラキラ輝かせる慧華ちゃんがその手に持っているのは、一見するとペンライトかなにかに見える、銀色の機械。


「なんです、これ?」

「記憶消去装置、名付けて『~愛はきっとそこにある~ ver1.00くん』」

「へー記憶消っ……去!?」


 はいどーぞ、と何気なく手渡されたはいいものの。どう考えても「はいどーぞ」で渡していい類のアイテムではない。

 吉川くんからしてみれば爆弾でも握らされたような気分である。


「あ、そっか。使い方教えなきゃだよね。えーっとね、まずここのボタンを押すとライトが点くから……」

「待って待って、いや『ちょっと一回やってみよっか』でスイッチ入れていい機械じゃないでしょう!?」

「あとは、消したい記憶と代わりに刷り込む記憶を口頭で説明すればオッケーだよ。じゃ、」

「だから『じゃ、試しにやってみよっか』が許されるマシンじゃないでしょうって!」

「あはは、毎回毎回心配性だよねー吉川くんは。わたしからするとこの説明って実はもう三回目になるんだけど、毎度リアクションが新鮮で飽きないよ」

「いや、……え? ん? ……え、いや、怖いこと言うのやめてくれません……!?」


 まさか既に、と絶望顔で自分の頭を触る吉川くんを見て、慧華ちゃんは心底楽しげに微笑む。

 白衣の裾をばさりと翻し、『部長専用。吉川くんに許可するのは匂いを嗅ぐところまでです』と張り紙のしてある立派な回転椅子に腰掛け、ふんぞり返って。


「でも、リアクションが見てて楽しいのはほんとだよ。ふつう一介の高校生が『記憶を消す装置作りました』って言い出したらさ、幼稚なごっこ遊びか頭おかしいかの二択だって考えるのがまともな思考でしょ」

「先月部長が作ったタイムリープマシンを俺はまだ忘れていません」

「んふふふふ。あれ、まだ使えるようにはしてあるからさ、必要になったらいつでも言ってね」


『中間テストがだいぶ悲惨で、このままだと補習になりそうなんスよね。なんで、たぶん部活にも出られなくなるかと――』

『わたし勉強できない人の思考回路ってちょっとわかんないんだけどさ』

『今すげえノーモーションでケンカ売りに来ましたね』

『出る問題がわかってれば、さすがに吉川くんでも解けるんだよね?』

 という会話だけを前触れとして、いつの間にか開発が始まりいつの間にか完成していたのがタイムリープマシンである。

 たった二人の科学部活動、不当な欠席は許さない――という厳命の下、テスト内容暗記合宿からの時間遡行を大マジに体感した身としては、今回の記憶操作も冗談にならぬものだと本能が理解している。


「むしろ、なんで部長が”一介の高校生”扱いされてんのかのほうが不思議ですよ」

「ええー!? こーんなかわいらしくていじらしい模範的女子高生をつかまえて!?」

「いやですね、どう考えても世界観歪ませてるでしょ。この現実の世界観歪ませてるでしょ。こんなドラえもんみたいな人間現実にいていいわけないでしょ……」


 あんなこといいな、できたらいいな――とは言ったが、本気で時間遡行ができてしまったらそれはそれで怯える。

 どこかの研究所にでもスカウトされていておかしくない存在だと思うのだが、といつも吉川くんは考えているわけで。

 それに対して、慧華ちゃんが寂しそうな顔をするのもいつもどおりなわけだ。


「信じない人っていうのはね、現物見せても信じないから」

「つって、俺は実際に中間テスト前まで時間戻ったんですけど……」

「どうせなんかの手品かドッキリでしょ、って喚くくらいならいいほうだよ。お母さんとか、おまえは悪魔の子だとかなんとか言い出したもん」


 慧華ちゃんの交友関係だとか家庭環境だとか、そういった諸々の事情について、吉川くんは断片的な知識しか持たない。

 部活帰りにファミレスへ寄ったとき『誰かとこーいうとこ来るのって始めてなんだ』と無邪気に笑っていた姿、

 最近うちの母親が勉強しろ塾へ行けってうるさくて、と愚痴ったときの『うちの親は変な宗教ハマってるけど、勉強しろとは言われないかなあ』と何気なくこぼした姿。

 そういうところから、なんとなく寂しさを感じ取る程度である。


「なんかねー。便利なものとかすごいものとか、素直に受け入れて利用すればいいじゃんって思うんだけど。なんでかな、怖がられたり怒られたりしてばっかなの」

「……まあ、普通の神経してるとビビるとこは正直あると思います」

「だからね、誰にも認めてもらえないわたしの発明品を、せめて吉川くんには有効活用してほしいなって思ってるんだ」


 そんなこんなで、改めて記憶消去装置を吉川くんの手に押し付ける慧華ちゃん。

 どうしろというのだ、という話である。


「いろんな使い道が考えられます。いいことにも、悪いことにも。はい、たとえば?」

「えー……っと。貸してた金返せって言われたときに、記憶消してごまかしたり」

「そうそう。あとはエッチなこととか」

「……なんか、こう、忘れられないトラウマに苦しんでる人の記憶を、消してあげたりとか」

「わたしに力ずくで好き放題したあと全部忘れさせて完全犯罪、とか」

「………………」

「そういうことが今すぐにでもやれる状態というわけですね!」

「…………あの、この機械の名前なんでしたっけ」

「『~愛はきっとそこにある~ ver1.00くん』

「…………」


 今の例のどのあたりに『愛』なるものを汲み取ればいいんですか、という問いが脳裏をよぎるも、

 この女にそれを聞いても無駄だろう、と踏みとどまる理性が吉川くんにはある。


「あ、でもあれだね。カメラとか録音とか、記録媒体にはちゃんと残っちゃうから。やるならその手の機械がないところでね!」

「……んじゃ、今日の部活はここまでってことで……」

「データ取りたいのはほんとだから、ちゃんと使ってみて報告してねー」


 科学者はエビデンスが大事だからね~、というぽわぽわした声を背後に聞きながら、吉川くんは退室。

 あらゆる犯罪に利用可能な爆弾じみたアイテムを抱えて、しばらく過ごすことになりました。



「あんた、この前数学の小テストあったって言ってたわよね。何点だった?」

「えっ? あ、あー……っと……」

「あんまり点数が悪いようなら塾を増やすってお母さんは何回も――」

「――そ、それなら昨日見せたでしょ!? ほら、満点……には一問届かなかったけど、ほぼ満点!」

「え……? あ、ああ。そうだったわね、そういえば……」


「おい吉川。おまえ忘れてんじゃないだろうな」

「え、何を?」

「や、今日の掃除当番。この前代わってやったじゃん俺、だから今日はおまえが――」

「――いやいや、それなら昨日代わっただろ? ほら、もう借りは返し終わってる! それで終わり!」

「え……? ん? あ、ああ。そういやそうだったか……」



「――うーん。いまいち面白みのない使い方ばっかりするよね、吉川くんは」

「いや、おもしろみってどういうのを想定してるんですか……」

「だからこの前も説明したとおり、わたしに――」

「――っていうかですね、データが欲しいなら自分で使えばいいじゃないですか。なんでいちいち俺に使わせようとするんですか?」

「……べつに、冗談のつもりで言ってるわけじゃないんだけどなあ……」


 そんなわけで科学部部室、ザ・小市民という具合のサンプルデータしか取ってこれなかった吉川くん。

 慧華ちゃんはといえば、吉川くんの小市民エピソードを聞きながら『まあ、きみはそういうやつだよね』という菩薩めいた優しい笑みを浮かべている。


「わかんないかな? これはね、『きみが持っていることによって、初めて完成する』道具なの」

「……なにひとつ意味がわかんないです」

「ぜんぶ説明してるんだけどなー」


 うむむ、と腕を組んで椅子にふんぞり返る。

 そういうポーズを取ると胸のサイズが控えめであると一目でわかってしまうのだが、

 自分のプロポーションを『均整の取れた美しさ』と自分で評する慧華ちゃんは特に気にすることもない。


「何回も言ってることだけどね。君はその記憶消去装置を持っている限り、わたしに無理やりキスしたりとか、キス以上のこともしたりとか、キス以上のこと以上のこともしたりとか、そういうことが普通にできるわけなんだよ。やってる最中……ヤってる最中、わたしがどんだけ泣き喚こうと、終わった後で記憶消しちゃえば全部なかったことになって、いつもどおりの付き合いができるわけだから。……これ、たしかタイムリープマシン作ったときにも同じこと言ったよね?」

「…………」

「で、ここは『キス以上のこと以上のこと』ってなんですか、って質問が来るところだと予想してたんだけど」

「その話どのくらい引っ張ります?」

「本題を進めろというなら、そうします」


『やってる最中』と『ヤってる最中』でイントネーションに微妙な変化をつけた慧華ちゃんから目をそらしつつ、なんとか軌道を修正する吉川くん。


「さて、でも君はそういうことをどうもやってないみたいなんですね。君の自己申告を信じるならば、って話ではありますけど」

「…………俺の自己申告ってそんなに信用ならないんですかね?」

「君の信用がどうこうというよりは。わたしの目線からすると、本当にやってないのか……本当にヤってないのかどうかって、自分じゃ確定できないんだよね」

「……というと?」

「もしかしたら、吉川くんが黙ってるってだけで、わたしはもう何回も何回もきみと獣のようなセッ」

「直接的なワードを出さないでください」

「きみの獣のような愛を全身に叩きつけられているのかもしれない。装置でそれを忘れさせられてる、ってだけで。そうでしょう?」


 試すように、挑発するように、艶めかしい笑みを浮かべながら。

 あったかもしれない口づけの感触を、思い出すように。その感覚を存分に味わうようにそっと目を閉じると、慧華ちゃんは自分の唇を撫でる。


「わたしの視点、わたしの記憶では、きみとわたしの間には何もなかった。でも、それが本当に確かな記憶なのかどうか、わたしの側からは証明できません。放課後はいつも二人っきりでこの科学部部室にいるわけで、チャンスなんていくらでもあったわけだしね」

「……つくづく、なんでそんなもん俺に渡そうとしたんですか……?」

「それが愛の証明になるからです」


 びしり、と指を一本立てて身を乗り出す慧華ちゃんに、吉川くんが一瞬たじろぐ。

 その隙を見逃すことなく、灰色のショートカット、貧乳、白衣、天才科学部部長たる宝井慧華ちゃんは、持論を開陳し始める。


「この記憶消去装置をきみが持っている限り、わたしは『きみと関係を持ったかもしれないし、持っていないかもしれない』っていう状態になるわけですよ。どちらとも確定できない状態」

「……で?」

「つまりですね、『わたしは、吉川くんに愛されているかもしれない』と思いながら毎日を過ごせるわけなんですよ」

「すいません、だいぶ話飛びました?」

「飛んでません。もしかしたら、吉川くんはわたしのことが内面まで含めてすべて好きで、いやまあわたしの外見に劣情を抱いただけとかでもいいんだけど、とにかくわたしのことが『欲しい』と望んで、それを実行に移したかもしれない、って可能性がずっと捨てきれずに残ることになるんだよ。わたしは吉川くんに『求められた』かもしれない、って考えることができるの。それはわたしにとってすっごく幸せなことで、すごく興奮すること」

「――んなことヤってないってさっきからずっと言ってんじゃないですかあ!」

「どーだかな~? その発言がホントか嘘かわたしにはわからないしー、ひょっとしたらヤった後で罪の意識に耐えかねた吉川くんが自分の記憶を消した可能性とかも……」

「アンタほんと俺にどうしてほしいんですか!?」

「愛してほしい」


 ――即答。

 にこにこと幸せそうな笑みも声色もすべてそのまま、けれど、その瞬間空気が変わったと肌で感じることができる一声。

 顔を赤らめて叫んだ吉川くんが、とっさにその怒声を引っ込めてしまったくらいには、真剣な。


「ほんと、冗談じゃないんだよ、べつに」

「……えっと、その」

「誰もすごいって言ってくれない。わたしがなにを作っても。不気味がって、抑え込もうとするばっかりで。なんかもう最近は話すら聞いてくれない人多いもん」

「…………」

「べつにさ、誰彼構わずこういう下ネタ言ってるわけじゃないよ。そもそも他に話し相手いないし。……ねえ、いつも一緒にいてくれてさ、なんだかんだでわたしの話を聞いてくれて、発明遊びにも付き合ってくれて……そういう年下の男の子をわたしがこのくらい気に入るのってさ、そんなに変なことに見える?」

「……それは」

「で!」


 ばん、と机をぶっ叩いて立ち上がると、両手を腰に当てた仁王立ちスタイルで――

 吉川くんの目の前まで歩み寄ってきて、詰め寄る。


「わたしにこんだけ言わせといて、きみのほうから一切返事なしとか。そういうのって、ありえる?」

「…………」

「据え膳がどうのこうのとかって問題じゃないよ、もう。男としてっていうか、人として、そういうの……どうなの?」

「……………………」



 と、いうわけで。

 もはや逃げ場などないことを悟った吉川くんは、そこで覚悟を決めました。

 天才性と抱き合わせの孤独をずっと背負い続けてきた彼女の、望みを叶えてあげる覚悟を――――



「えへへ。えへへへ……」

「……………」

「わたしね、今のこういう瞬間が一番好きなんだ。ぜんぶ終わった後でね、あー、天才だとかなんだとか言っても、わたしも結局人肌のぬくもりを欲しがる俗な人間なんだな~……って、すごく気が楽になる」

「……いや、まあ、それはいいんすけど」

「ん、なに?」

「……先輩、その……初めてじゃ、なかったんすか……?」


 シーツに包まったまま人生の幸福について語る慧華ちゃんと、その隣で釈然としない表情をしている吉川くん。

 こういうこと聞くのって嫌な男かなあ、いやでもあの流れでこれはちょっと妙な感じするよなあ、どうしようかなあ――

 そんな逡巡の果てに、吉川くんが思い切って切り出したのに対し。

 慧華ちゃんの反応はといえば、それはそれはあっさりしたもの。


「いまさらなーに言ってんの。きみだって別に初めてじゃないんだから」

「――は?」

「何をいまさらウブな少年気取っちゃっ……て……」

「……」

「……」

「……おれ、その、今まで、彼女とか……いたこと、ない……」

「……あっ」


 やっばい、とお茶目に自分の口を抑える慧華ちゃん。とはいえ、時すでに遅し。

 いかに吉川くんが凡人といえど、さすがにこの程度の連想は働く。


 吉川くんが記憶消去装置を持っている限り、慧華ちゃん側からは『なにかがあった』可能性を排除しきることができない。

 が、逆もまた然り。

 装置を作ったのがそもそも慧華ちゃん側である以上、彼女がそれを使っていないという保証なんてまったくない。


 慧華ちゃんの側から何らかのアクションがあった可能性を、吉川くんは排除できない――


 枕元へ無造作に放り出してあった記憶消去装置に、吉川くんが目をやった瞬間。

 吉川くんよりも一手早く、慧華ちゃんが装置を手に取って――スイッチ、オン。


「――今日のことは何も覚えてない。明日になったらまたいつもどおり、君は部長の慧華ちゃんのことが大好きなヒラの科学部部員。オッケー?」

「……オーケー……です。はい……」

「よろしい。じゃ、今日はこのへんでお開き!」


 ぼんやりと幽霊のような動作で脱ぎ捨てた衣服をかき集める吉川くん。

 その様子をたははと笑いながら眺めて、慧華ちゃんはぺろりと舌を出す。


「ま、いつまでたっても自分から腰上げない君が悪いんだからね」


 科学者というのは、エビデンスが命。

 入部から早数ヶ月、吉川くんが宝井慧華という人間を憎からず思っていることなど、天才・慧華ちゃんはとっくの昔に調査済みである。

 となれば、あとはそれを手に入れるためにどうすればいいかという『実験』を、結果が出るまで繰り返すだけ――



 ――吉川くんのほうから告白してくれるまで、あと何回くらいかかるかな?

 そんな夢を脳裏に描きながら、彼女は幸せな眠りにつく。




ショートストーリー『未確定の愛情』END

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