貴方の花が届くまで
猫柳 リョウ
第1話
私という人間が社会で果たす役割、それを仕事と呼ぶのなら、私の仕事は、貴族の後継者たることだ。
私は、由緒正しい中流貴族の一人娘だ。母は私を生んで体を壊し、これ以上の子供は望めないと言われた。だから私は、代わりの婿養子を得られるだけの、優秀な『妻』になる必要があった。
深窓の令嬢という付加価値の為、生まれてこの方、ほとんど屋敷を出ることはなかった。多くの家庭教師をつけて、礼儀作法・裁縫・声楽、果ては語学に文学まで嗜んだ。
押し付けられて、それらをこなしていたわけではない。私も了承したうえでの勉学だった。けれど、どうしても鬱憤が溜まってしまうのを止めることはできなかった。
ある日、ふと見降ろした窓の外に、草を刈る一人の少年を見かけた時も。
◇◆◇◆◇
鬱蒼とした裏庭の一角は、元々小さな野草の群生地だった。もっと幼い頃、あの裏庭に面した場所に私の子供部屋があったのだ。それで、一度だけ窓から抜け出して、その野草を眺めたことがある。私にとって思い出の場所だった。
それをあろうことか、あの少年は片っ端から刈り上げている。
自分の中で欝々としていた感情が、一つの方向を向いて噴出した。はじかれるように窓を開き、そして、声を荒げていたのだ。
「バカ!」
それが、庭師の少年との出会いだった。
少年は馬鹿正直で、からかうととても良い反応を返した。私は少年に無茶難題を吹っ掛け、少年は毎年毎年、生真面目に色々な草花を集めては、こちらの顔色を伺った。
「この花はどうですか?華やかで見栄えがするでしょう」
「他の草花と全く調和してないじゃない。全然ダメ」
「この花は?」
「枯れかけてるけど。どこから取ってきたのよ」
「北の山中で見かけたので取ってきたのですが……」
「気候が違いすぎるんじゃない?」
「そんなぁ」
がっくりと肩を落とす、そんな動作も微笑ましい。
一人前の庭師とは程遠い、技量も知識もない庭師見習い。意地の悪い私にいつまでも付き合ってくれる、大切な、私の庭師。
幾度かの季節が巡り、彼はやがて、ちょくちょく休暇を取って旅行に出かけるようになった。旅行から帰ってくると、彼は必ず旅行先で見つけた草花を庭先に植えた。本で見たことはあっても、実物を知らない植物が、私の庭を覆い尽くした。
春の花、夏の花、秋の花、冬の花。季節ごとに、驚くほど表情を変える自然を切り取った庭。
それは全て、私が使う窓から一番綺麗に見えるよう、計算して配置されていた。
なんて優しい庭師だろう。なんて素敵な庭師だろう。私の大切な庭師。私の願いを叶えてくれる庭師。
もし、彼が私の本当の願いを叶えてくれたら、なんて素敵なことだろう。
◇◆◇◆◇
「ご覧。ローザベルク家との縁談だ。ここの御曹司はとても良い方だからね、きっとお前を幸せにしてくれる」
由緒正しき中流貴族、されどたかが中流貴族。
結局、この家を建て直すことのできる婿養子は見つからず、父は諦めて私を嫁に出すことに執着した。それは私を幸せにしたいという親心だったのだろう。けれど私は、辟易していた。
大切な家だった。使用人も、この屋敷も、全てひっくるめて、大切だったのだ。けれど私が嫁に行ったら、新たな後継者がいなくなれば、この屋敷はどうなるのだろう。私の愛するものは、私の旦那の家に吸収されて、消えてしまうのではないだろうか。
それが嫌だから、私はここまで必死に、教養を身に着けてきたのに。
喘ぐように、私はその日も窓へ向かった。庭を眺めている時だけ、私は息苦しさを忘れて呼吸ができる。彼と話している時だけ、私は一人の少女になれる。
いつも通り、他愛ない会話。彼の旅先での話を聞き、外の世界に思いを馳せる。
「私ね、縁談の話が出ているのよ」
その言葉を吐き出す時、少しだけ、声が震えた。
「そうらしいですね」
「嫁いだら、私、きっとこの屋敷を出ていかなければならないわ。でも困った、私、まだ貴方に約束を果たしてもらっていないのよね」
「お嬢様はわがままですからねぇ、なかなか納得していただけないようで」
「うん。だからね」
努めて、冷静に。外しきれない建前の裏に、隠しきれない期待を滲ませて。
「最初はね、貴方に、新しい屋敷にもついてきてもらおうと思ったの。でもそうしたら、この屋敷の庭師がいなくなってしまうでしょう?せっかく綺麗に整え続けてきた、お父様とお母様のお屋敷だもの。今更、何処の馬の骨とも分からない庭師を雇うのも癪じゃない?
だから、私、毎年里帰りするわ。貴方の庭を毎年、見に戻るの。
貴方は、私が満足できるまで、最高の庭を作ってみせて。……ねぇ、そういうの、嫌かしら」
違う、本当は。
否定して。それじゃ嫌だと言って。
離れたくないと、言ってみせて。
握りしめた手のひらに、汗がにじんだ。貴方がうんと頷くなら、私は今すぐこの窓枠を飛び越えて、貴方の手を取ろう。そして、まだ見ぬ外の世界を見に行くのだ。そして、そして……。
「はい、分かりました」
あまりにも柔順な二つ返事。一瞬、取り繕う言葉を失う。
「……いいの?嫌じゃない?」
「はい。お嬢様のわがままは、いつものことでしょう?」
違うわ、いつまでも待っていてほしいなんて、そんなのわがままなんかじゃなくて。本当のわがままは。
けれど私が言葉にする前に、剪定ばさみを手放し、少年がこちらを振り仰いだ。
まっすぐなその瞳は。いつも通り、私の心を見透かすようで。
ふっと、私の頭は冷静になった。
どうして、彼が私と共に逃げてくれるなど、思ったのだろう。
「待っています。必ず、お嬢様のお眼鏡にかなうような庭を作りますから」
それは明確な、『主人と使用人』という関係性を示す言葉だった。
◇◆◇◆◇
彼は確かに、私を大切にしてくれた、私にとって、大切な庭師だった。
けれど私はいつからか、ここから逃れたい一心で、その中に『恋愛感情』などという不純物を混ぜ込んでしまった。
私が彼を愛していれば、彼が私を愛してくれれば、きっとここから二人手を取って、逃げ出すことが出来る。あぁなんて都合の良い話。
「情けないわね、私」
結局何年経っても、私はわがままで、弱虫で、誰かに縋ってばかりだというのか。
そんなことはない。それだけでは終わらせない。
彼の努力に文句をつけてばかりで、私はまだ何一つ、自ら行動していないじゃないか。
部屋に駆け戻り、クローゼットの前に立つ。目を据わらせた私に、侍女達がうろたえた。
「お、お嬢様?どうなされましたか?」
「ねぇ、ローゼベルクの若君は、一体どんな女性が好みかしら」
「へ?」
「私ね、自分の美貌にはそこそこ自信があるのだけれど、それを生かしきるつもりは今まで全くなかったのよ。ええ全く」
お母様お父様、私を美人に産んでくれてありがとう。たくさんの教育をありがとう。
「この家を私の代で潰してたまるもんですか。ええ、乗っ取られるぐらいなら、こっちが乗っ取ってやればいいのよ。要は尻に敷いてやるの。全力で惚れさせて、こっちの希望を通しまくってやる。ええ、私の得意分野じゃないの。いつものことね」
「お嬢様……?」
「気は触れてないわよ。至って正気。ただちょっとだけ、覚悟が決まっただけ」
脳裏に焼き付く、少年の柔らかな笑みに誓う。
「必ず私、この屋敷に戻って来る」
私の仕事は、貴族の後継者であることだ。由緒正しき一族と、大切な使用人たちと、その他家財の全て、それを守り切ることが、私の仕事だ。
時に嫌気がさし、悲劇の主人公になりたいこともあった。全てを投げ出して、消えてしまいたいと思うことも。
けれど、まだ私は、大切な友を守るために戦うことが出来るから。
いつか彼が、私の最高の庭を作り上げるその日まで。私はここで、戦い続けます。
貴方の花が届くまで 猫柳 リョウ @yanagiryou
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